なんにでもなれる人は強い
今朝の朝ドラ「あんぱん」を見て
ふと、そう思いました。
まだ、正体が明かされていない、
のぶたちを助けた女性のことが描かれていて。
「なんにでもなれる」って
裏を返せば、
「なんでも受け入れている」ということなのかもしれないなあ と
感じたのです。
水のように。
水は、珈琲にも、ドブ川にもなれる。
なんでも受け入れていて
油ですら、外には追い出さない。
ただ、そこに在るだけ。
ふと、こんなことを思いました。
おばあさんになっても、
「わたしは何かになりたい」と願いながら
同時に、
「何かにはなりたくない」とも思っているのだなと。
そんな時、ふと 風鈴の音が聞こえてきました。
どんな風が吹いても
風鈴は、ただ鳴っています。
変わらない音で。
ホントは、きっと、
わたしたちは
いくつになっても
どんなときでも
なんにでもなれる存在で。
そんな力を、
もともと持っているのかもしれません。
だからこそ、
どうにかなっても、
どうなっても
大丈夫だったりする。
「どうなっても大丈夫」
ということを
わたしは、今、知らず知らず
少しずつ体験しているのかもしれません。
公園の草むらで鳴いていた猫だったり、
一軒家の猫だったり、
マンションの猫だったり