ばなな庵主『最後の一本バナナ週末記』

「最後の一枚」か。「もう二度と戻れない」修行・勤行中にも邪念だらけの庵主。「立つ」闘いの記録。『Dekuの棒週記』続編。

晴耕雨読

2007-03-17 02:02:27 | Weblog
道路舗装のガードだった。2人でついた。年度末、舗装の日程はずらせない。なぜなら重機も資材も目一杯に組まれているからだ。

監督は、8時から17時までといった。ホッとした。しかし、資材を積んだダンプが8台も朝から並んでいるのに、いっこうに始まらない。孫請けの舗装やさんが、型枠を忘れた。信じられないことだ。それを取りに帰るのに、ロスは1時間半。ダンプは待たされる。この間、2往復できるものを、次はここには来ないで、他の現場にいったのだろう。待つこと2時間以上。何が17時だ。

最後のダンプが出て、フィニッシャーという重機も出て、さあ戸締りだ。と思ったら、監督は先に帰るからといって帰っていった。丸投げというのはおいしいらしい。下請け監督が、資材が少し足りないので、もう一台というではないか。空気が冷たかった。終了は夜9時だった。舗装やさんは、まだ苦闘していたが。

まあ、こんなことはよくあることだ。


明るい昼間に、他の会社の現場に着いていた警備員と話をした。

彼の娘は、誰もが知っているおもちゃメーカーの会長のおつれあいだという。銭湯みたいな会社だったと記憶している。彼の実父は、なんとか監督署の署長だったという。パーティーなどに行っても、政財界の有名人ばかりだという。

でも、この顔は雪焼けです、山が趣味なもんでと、平然というらしい。自分の仕事に負い目を感じないという。運動して金になる、そんないいことはないではないか、と交通誘導をはじめたという。オフィス仕事は、もう絶対やりたくない。同じ警備でも施設警備は拒否したという。

51歳まで証券会社にいたという。今67歳。ということはバブル期。仕事で連日大量の酒を飲み、体重もはるかにあった。そして脳が破裂した。脳梗塞らしかった。リハビリをした後、家で趣味にいそしんだが、一日の長いこと。そこで、運動して金になるガードマンになったというのだ。オフィス仕事はもうこりごりだといった。

それから16年。今年でやめるつもりという。北国の母が90歳代で、妹の手に余るようになた。最後くらいみんなで世話をしようと、帰郷するつもりだそうだ。それぞれが年金を手にできるしなと。


わたしは質問した。なぜ、16年もできるのですか。なんでこんなことをやっていて意味があると思うのですか。

67歳のNさんはいった。すぐに16年なんてたつものさ。続ければすぐになるさ。人の出世がうらやましく思うのは、自分がそう思うだけさ。雨が降れば休み、晴れれば働く。晴耕雨読。

タバコを昨年やめた。もう大丈夫。

お酒はどうですか?

500mlに酒2合。

休肝日はどのくらいですか?

ない。毎日さ。

本当に安心した。私の生き方は間違っていないのかもしれない。なぜなら私は、

350mlの発泡酒と焼酎2合が毎日になってきているからである。



freebirdさんが、「留学代をいくらまでだせばいいの?」という不登校の親の問いに答えていた。本人に言えばと。えてして不登校の子は高価なものを次から次へと要求するという例があった。それに耐え切れなくて、金属バットで息子を殺害したのが、青木書店の編集者だった。

ふと思った。長女のことがこんなに気になるのは、金が絡んでいるからではないか。いっそのこと、私名義の残された預金のぜ~ンぶをつかったら、といってみるのはどうでしょうか。大学では最高8年、私の貯金では2年。留年しようが何しようが、くれてやる。それでいいではないか。(といいきる勇気がない。もったいなくて・・・とも、あるのがせこい)他の人の名義の貯金は使わせない。なぜなら、私の貯金をもうあてにできなくなるのだから、自分のために大切にしてもらいたい。


「地位なく、名誉なく、金もなし」

そのあとは、ガードマンの立禅とお布施、晴耕雨読。

私の昨年の源泉徴収表の額を足したら、1768760円だった。そんなにあれば暮らせるのだ。だめなら死ねばいいのだ。


彼が帰るとき、私たちはまだ現場だった。「しっかり稼げよ!」といいながらチャリで走り去った。髪はまだ黒ぐろとしていたし、運動のために1時間くらいの現場ならチャリで行くという。

この仕事をしようかといったら、家族も、何のためらいもなく、いいわよ! と賛成してくれたという。

自分が警備員であることを外連味(けれん)なくいう人は珍しい。さわやかだった。

1989年バブルの頂点。51歳で倒れる。ショックだったろう。でもかれは、警備員になった。ほかに仕事がなかったわけではないという。作り上げた人脈から証券知識を求められた職もあったという。でも外の仕事をえらんだ。

彼と違って私は55歳でなった。これから16年やると71歳か。そして私にないのは、彼のけれんみのなさ、さわやかさ、150ml分の少ない酒量、そして貯金と年金ぐらいだ。






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