「早稲田社会学ブックレット」というシリーズが学文社から出ました早稲田大学で社会学の講義を担当している教員が中心となって発足させたシリーズです。その第一巻を私が執筆しました。
「本書では、日常生活のなかからいくつかの素材を取り上げて、それらを社会学的考察の対象にしている。それは日常会話から外国語の勉強を始めるようなものに見えるかもしれないが、そうではない。第一に、日常会話の勉強はとりあえず役に立つものであるが、日常生活の社会学はさしあたり何の役にも立たない。役に立たないどころか、日常生活を遂行していく上で支障が生じる可能性さえある。日常生活はさまざまなあたりまえのことから成り立っている。いちいちその前で立ちどまっていては日常生活は立ち行かない。何も考えずに、あるいは深く考えずに、いつものことをいつものとおり遂行するのが日常生活というものである。これに対して、日常生活の社会学はあたりまえのことの前で立ちどまることを求めるものである。第二に、日常会話の勉強は知的刺激に乏しい退屈なもの(丸暗記)になりがちであるが、日常生活の社会学は「なぜ私たちはそのようにふるまっているのか」を問うものである。日常生活そのものは退屈なものかもしれないが、その正体を解明することは決して退屈なことではない。/日常生活の社会学を外国語の勉強に喩えるならば、日常会話ではなく、むしろ文法の勉強に似ているだろう。ただし、それは文法の教科書には書かれていないような文法、すなわち暗黙の行為規則に焦点を当てたものである。日常生活を日常生活たらしめているのは明示された行為規則ではなく、それに従っていることさえ気づいていないような暗黙の行為規則なのである。」(「はじめに」より)
社会学は現代人間論系のカリキュラムを構成する要素の一つです。本書は社会学の入門書として読んでもらえればと思います。なお、第三巻は長田攻一先生が執筆された『コミュニケーションの社会学』です。こちらも併せてどうぞ。
(大久保)
「本書では、日常生活のなかからいくつかの素材を取り上げて、それらを社会学的考察の対象にしている。それは日常会話から外国語の勉強を始めるようなものに見えるかもしれないが、そうではない。第一に、日常会話の勉強はとりあえず役に立つものであるが、日常生活の社会学はさしあたり何の役にも立たない。役に立たないどころか、日常生活を遂行していく上で支障が生じる可能性さえある。日常生活はさまざまなあたりまえのことから成り立っている。いちいちその前で立ちどまっていては日常生活は立ち行かない。何も考えずに、あるいは深く考えずに、いつものことをいつものとおり遂行するのが日常生活というものである。これに対して、日常生活の社会学はあたりまえのことの前で立ちどまることを求めるものである。第二に、日常会話の勉強は知的刺激に乏しい退屈なもの(丸暗記)になりがちであるが、日常生活の社会学は「なぜ私たちはそのようにふるまっているのか」を問うものである。日常生活そのものは退屈なものかもしれないが、その正体を解明することは決して退屈なことではない。/日常生活の社会学を外国語の勉強に喩えるならば、日常会話ではなく、むしろ文法の勉強に似ているだろう。ただし、それは文法の教科書には書かれていないような文法、すなわち暗黙の行為規則に焦点を当てたものである。日常生活を日常生活たらしめているのは明示された行為規則ではなく、それに従っていることさえ気づいていないような暗黙の行為規則なのである。」(「はじめに」より)
社会学は現代人間論系のカリキュラムを構成する要素の一つです。本書は社会学の入門書として読んでもらえればと思います。なお、第三巻は長田攻一先生が執筆された『コミュニケーションの社会学』です。こちらも併せてどうぞ。
(大久保)