今年になって同級生夫婦を訪ねていない。家周りのメンテナンスとブログ、ホームページの書き込みで忙しいからであるが、彼らが忙しくなったからでもある。長男の奥さんが急死して、孫の面倒を見なければならなくなったのである。お孫さんは自閉症だから目が離せないようだ。のんびりお茶を飲んでいる余裕はなさそうだ。知的障害者とつきあうのは難しいことなのだ。自閉症とのつきあいは受容が大切なのだが、それにはその気持ちを理解しなければならない。それができるようになるには10年の苦闘が要するだろう。70過ぎの彼らには無理なことだ。慰めに行ってやりたいが・・・
新聞配達をしながら高校に通った。大配りといって、朝の3時、4時に起きて町の新聞屋まで新聞を受け取りに行き、5人ほどの小配りに持って行った。その後自分の集落を配った。自転車で行くのだが、その頃はどこにも舗装道路はなかったので風の日などは砂塵が舞い難儀だった。雨風の時は悲惨だった。風にあおられて倒れ、新聞を風にさらわれたこともある。気管支炎で扁桃腺、蓄膿の身にはきつい毎日だった。学校帰りには新聞屋によって夕刊を受け取って配った。だからクラブ活動はしなかったので、学校生活を楽しんだ思い出はない。
どんな勉強の仕方だったか覚えていない。東大病にかかっていたのはよく覚えている。新渡戸稲造などの伝記の影響かもしれない。反面文学に熱中していたので受験勉強などしたことがなかった。勉強とは読書のことだったと言っていいだろう。教科書を何度も音読した。参考書を読むのも好きだったように思う。藤村や啄木、宮沢賢治の影響を受け、あるいは芭蕉や西行、万葉集などの影響を受け俳句や和歌や詩を作り始めたのは2年生頃だろう。哲学にも興味を持った。イデア論や唯物論は三年に入った頃からではなかったかと思う。 学業そっちのけで、授業中も机の下に置いて読んでいたように思うリーダースダイジェストも愛読していたのではなかったか。
3年生の頃は何かにとりつかれたように詩作を練るなどしてそこら中をうろついていたようだ。夏でも黒いマントを羽織ったりして頭がおかしくなったと噂されもしたようである。実は悪化した扁桃腺の熱に浮かれていたのでもある。そしてついに40度の熱に倒れた。
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