街の中を歩いて、西本願寺にも参りました♪
『 水吹き銀杏 』
西本願寺 の境内には、
高さ15m、枝周り30m、樹齢300年とも言われる
銀杏 ( いちょう ) の大木があります。
この銀杏の木には古い伝承が残されており、
京の町を焼き尽くした 天明の大火 ( 1788年 ) の際、
西本願寺のお堂に炎が燃え移りそうになると、
この大きな銀杏から勢いよく水が噴き出し、
燃え移る火を消し止めて幸いにもお堂は焼失を免れたと伝えられています。
それ以来、人びとは西本願寺の銀杏を
『 水吹き銀杏 』 と呼ぶようになったそうです♪♪♪
『 水吹き銀杏 』
西本願寺 の境内には、
高さ15m、枝周り30m、樹齢300年とも言われる
銀杏 ( いちょう ) の大木があります。
この銀杏の木には古い伝承が残されており、
京の町を焼き尽くした 天明の大火 ( 1788年 ) の際、
西本願寺のお堂に炎が燃え移りそうになると、
この大きな銀杏から勢いよく水が噴き出し、
燃え移る火を消し止めて幸いにもお堂は焼失を免れたと伝えられています。
それ以来、人びとは西本願寺の銀杏を
『 水吹き銀杏 』 と呼ぶようになったそうです♪♪♪
東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、
御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、
阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しているそうです。
「真宗本廟は、親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えに出遇い、
それに依って人として生きる意味を見い出し、
同朋(とも)の交わりを開く帰依処・根本道場として、
聖人亡き後、今日にいたるまで、数限りない人々によって相続されてきました。
親鸞聖人は、師・法然上人との出遇いをとおして、
「生死出ずべきみち」(生死の問題をのりこえる道)は、
「往生極楽のみち」(念仏の道)として見い出されました。
それは、人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人に、
生きることの真の意味を見い出すことのできる依り処を、
南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。
だからこそ、それは人々にとって大いなる光(信心の智慧)となったのでした。
そして同じようにその道を求め、また歩もうとする人々を、
聖人は「御同朋御同行」として尊敬し共に歩まれていったのです。
心静かにご参拝いただき、
親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えに耳を傾け、
お一人お一人の生き方の有り様を教えに問い尋ねてくださることを念願いたします。」
と言う事だそうです。
これだけ、圧倒的な大きさだと、
自然に心穏やかになります。(合掌)
御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、
阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しているそうです。
「真宗本廟は、親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えに出遇い、
それに依って人として生きる意味を見い出し、
同朋(とも)の交わりを開く帰依処・根本道場として、
聖人亡き後、今日にいたるまで、数限りない人々によって相続されてきました。
親鸞聖人は、師・法然上人との出遇いをとおして、
「生死出ずべきみち」(生死の問題をのりこえる道)は、
「往生極楽のみち」(念仏の道)として見い出されました。
それは、人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人に、
生きることの真の意味を見い出すことのできる依り処を、
南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。
だからこそ、それは人々にとって大いなる光(信心の智慧)となったのでした。
そして同じようにその道を求め、また歩もうとする人々を、
聖人は「御同朋御同行」として尊敬し共に歩まれていったのです。
心静かにご参拝いただき、
親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えに耳を傾け、
お一人お一人の生き方の有り様を教えに問い尋ねてくださることを念願いたします。」
と言う事だそうです。
これだけ、圧倒的な大きさだと、
自然に心穏やかになります。(合掌)