平成13年に花巻そば友の会から発行した『わんこそば なっても』は、友の会前会長の嘉司屋・佐々木喜太郎氏の強い希望により研究途上で出版してしまったので心残りだった。
そこでその後も研究をつづけ、先月(2021.8.31)歴史と文化に関する部分を増補改訂して自費出版することが出来た。

平成13年発行の旧著

今年8月発行の新著
これで安心してあの世へ行けると思っているが、この本に興味を持った大槌の方から注文があり送ったところ、大槌にもわんこそばがあったという情報をいただいた。
昭和13年に国鉄山田線・大槌駅が開業した当時、花巻の梅津喜八の四男喜兵衛が駅前に「安兵衛食堂」を開店したのである。そばが主メニューだが、川開き時期の「はらこそば」が名物であり、「わんこそば」も提供していたという。

開業当時の安兵衛食堂『宮古・釜石・気仙・上、下閉伊の今昔』より

昭和27年発行『大槌町勢要覧』より。創業者が花巻出身とは言え、当時すでに「わんこそば」は花巻名物だったのであろうか。
この安兵衛食堂は昭和51年頃に「梅津会館」というビジネスホテルに転向したが、東日本大震災による津波で消滅してしまった。
そこでその後も研究をつづけ、先月(2021.8.31)歴史と文化に関する部分を増補改訂して自費出版することが出来た。

平成13年発行の旧著

今年8月発行の新著
これで安心してあの世へ行けると思っているが、この本に興味を持った大槌の方から注文があり送ったところ、大槌にもわんこそばがあったという情報をいただいた。
昭和13年に国鉄山田線・大槌駅が開業した当時、花巻の梅津喜八の四男喜兵衛が駅前に「安兵衛食堂」を開店したのである。そばが主メニューだが、川開き時期の「はらこそば」が名物であり、「わんこそば」も提供していたという。

開業当時の安兵衛食堂『宮古・釜石・気仙・上、下閉伊の今昔』より

昭和27年発行『大槌町勢要覧』より。創業者が花巻出身とは言え、当時すでに「わんこそば」は花巻名物だったのであろうか。
この安兵衛食堂は昭和51年頃に「梅津会館」というビジネスホテルに転向したが、東日本大震災による津波で消滅してしまった。