昨日の、
> 自分の感覚だと、なんで『嫌』とか『苦しい』と『起こってくる』かって、そもそもが、自分の感覚なりの『在るべき姿』があって、『在るべき姿』『じゃない』と感じる事を『嫌』とか『苦しい』と感じてるんだろうと思うんですよね・・・
↑なんですけど・・・いや実はこう↑書いてから気付いたんですけど、こんな↑感じで確認してみると、昨日の
>「・・・もう、本当に嫌・・・」
>「じゃあどうしたいの?」
>「わからないよ、わからないけど、嫌なものは嫌なの・・・ただ嫌なのっ!!」
↑と似たような事、けっこーありますよね?単純なところだと、食べ物の好みとか、人の言動や行動に対しての反応とか、「苦いの嫌い」、「あいつ高圧的でウザい」とか『感じる事』が、『どうしてそう感じる』のか、よくよく考えてみれば「こう感じるものは感じるからしょうがない」←みたいに言うしかない事も多いですしね~。感じている事に気付いてから、「意外と自分てこう感じるんだ・・・」みたいに思う事だってありますよね。
あと、「勉強キライ~」、「こんな仕事したくない」←とか思い感じはするけど、じゃあ何をしたいかと考えると、意外と明確に思いつかなかったりする事も多いだろうと思うんです。特に仕事は、仕事をしたくない訳じゃなくて、自分に合った仕事をしたいけど、なかなか見つからないとか多いだろうと思うんです。
つまり、
『苦しい時』
とか、
『在るべき姿』
『じゃない』
↑とは
分かってる
けど、
その
『在るべき姿』が
分からない
↑って事が多いんじゃないかと思うんでs
「いやそもそも『在るべき姿』なんて無いから、幻想だから(呆」
↑な人多数な時代かもですけど、取り合えずそっち方面は脇に置かせて頂きます。そういう↑人は、当然『苦しみ』とかも幻想と気付いて、何がどう起こっても『普通に眺めていられている感覚』を自覚しているはずですけど、ここでは『苦しい思い、感じ』に苦しんでしまっている人宛に書いているので。
要は、
『苦しい』
↑とか
『感じて
いる』時、
『苦しみ』
『じゃない』
『在るべき姿』を
求めてる
けど、
『在るべき姿』
『じゃない』
『苦しみ』に
ハマって
しまっている
事で、
『苦しみ』
『じゃない』
『在るべき姿』
↑すらも
分からない
そんな↑事、多くないですか?という確認です。
この↑へん、ピンとくる人は、ご自身の感覚で、よくよく確認してみる事をお勧めします。