
埋立地タイ第二報 タイのごみ処理は、未分別収集・埋立地直行 2006年1月
舟木賢徳
分別収集・焼却の国から、未分別収集・埋立地直行のタイ国に赴任して
―タイでのごみの出し方―
チェンマイに赴任して、まずごみの現状を調べようと、ごみ処理施設を回り、リサイクルセンターやコンポストセンター、プラスチックのリサイクル現場や、なんと4時に起きて、朝の5時から昼まで、収集車に乗り込んでごみの収集状況の調査もした。面白い見聞をして来たので、2006年1月現在での、チェンマイのごみ事情と、見聞後に分かったタイでのごみの出し方を提案したい。
ミカンの産地として名高いチェンマイ県ファーン郡を訪れた。ここのミカンは美味しいことではタイ一番と言う。種が多いのが難点ではあるものの、日本のミカンよりも皮が薄く、袋ごと食べられ、甘さは日本よりも上かもしれない。車で3時間、ミヤンマーとの国境、麻薬で有名な黄金の三角地帯に近く、途中、警察の検問もあった。
ファーン郡を訪れた理由は、勤めている天然資源環境省が日本と同じく、ごみ処理の広域処理を進めるために市町村合併、ここではクラスターと呼んでいる、を進めており、そのことをテーマとした会議に出席したことから始まる。タイ語は分からないものの、良く発言する人物がおり、自慢げに発言しているので、隣りに座っておられる筆者のカウンターパート(援助を受ける相手側の人)の課長に伺ったら、ファーン郡の郡長で、逸早くリサイクルセンターを作って、リサイクルを進めていると聞いて、特に見学をお願いしたという経緯がある。リサイクルセンターの流れは、まずごみ袋を破り、次に、ごみの中からプラスチック袋を取り出す。どうもきれいなレジ袋やごみ袋が取り出されているようである。これらは、固く縛られ、リサイクル工場に運ばれるというが、どこで何にリサイクルされるかは、時間の関係で聞けなかったが、恐らく、ごみ袋に使われる黒いポリ袋(日本では黒い袋をごみ袋として利用できる市町村はほとんどなくなっている)にリサイクルされると思われる。さらに次の工程では、びん、缶、硬いプラスチックを取り出していた。いずれの工程も人の手で行われる。この後、残さ物は日光に晒され、乾かされ、その後別棟に運ばれて、EM菌と水が撒かれ、最終工程では、異物、特にプラスチックを風で吹き飛ばして、合計60日かけてコンポストが完成する。これらは有料で農家に販売される。
センターの隣りには埋立地が広がっている。広大な敷地である。日本と同様、埋立地の底には厚いビニールが敷かれ、浸出水は、大きな3つの池に順次流され、空気を送り込むバッキ方式と、日本のホテイアオイに似た植物の浄化で、自然浄化される。最終段階では、透明な、魚が住める水になっていたが、聞けば浸出水の大部分は、ほとんど乾燥して、池にある水は雨水がほとんどだと言う。埋立地を見ると、プラスチック、特にレジ袋等の袋が目立つ。センターが完成する前からのごみもあるが、センターでコンポストを作った後の残さ物、主として汚れた透明なプラスチックの袋、恐らく屋台などで、おかずやスープ、ジュース類を入れるのに使われる透明なポリ袋が大部分と思われた。この国では、ジュースやアイスコーヒーなども、プラスチックのコップではなく、プラスチックのポリ袋に入れてストローで飲む習慣がある。ちなみに、タイではコップから直に口を付けて飲むには抵抗があるということで、熱い飲み物以外はすべてストローで飲むのがこの国の流儀で、お冷やもすべてストロー付きである。
プラスチックや紙のコップを使わない点では、プラスチックの使い捨ての量は少ないとは言えるが、気がかりなことは、熱いスープや、油の多い料理をプラスチックの袋に入れて大丈夫なのかということである。環境ホルモンでは、プラスチックに含まれる添加剤が問題にされており、このような耐熱、耐油ではないと思われる袋では、スープ等に移ってしまうのではないかと心配である。
埋立地で特に目立ったプラスチックの袋類はどうなるのだろうか。その行方は、パーサーン町の埋立地で明らかとなる。ここも牛の糞をコンポストにしたり、一部地域で、資源ごみのびん、缶、硬質プラスチック、紙類を収集している。町舎に着いて、町長さんの部屋に案内されて部屋に入ったら、いきなり町長さんから、日本語で話しかけられて度肝を抜かれた。聞けば、日本に15年も住んでいたことのある人で、いまも日本との間で貿易を営む。後で、町長さんの家に案内されたが、妻は食堂を経営し、邸宅は大木が林立、池には日本のニシキゴイが泳ぐ大豪邸であった。その町長さんの案内で、町の郊外の埋立地を見学する。他の町がうらやむ町独自の埋立地である。タイの埋立地は、谷を埋める日本とは異なり、平地に積み上げる埋立地である。埋立地は一部供用開始されており、浸出水の池を3つ、いずれも自然浄化の池が整備されていた。町職員の話しでは、1日に埋め立てられたごみの上に15cmの土を盛るサンドイッチ方式という話しであったが、土の上はプラスチックの袋が散乱していた。ちょうど、熱い日差しの中だったので、テントに入って、町から提供された水をストロー付きで飲んでいたら、竜巻が吹き、あっという間に、空高く、埋立地に散乱していたレジ袋やらポリ袋が上空に舞い上がり、あわててカメラを取り出して、写真を取りまくった。下から上空を見ると、まるで、お祭りで、辺り一面紙吹雪をしたような風情である。映像としては面白いが、空高く舞い上げられたレジ袋、透明ポリ袋等はどこへいってしまうのか。田んぼや道路に落ち、最終的には川から海へと流れ、クジラなどの生物に誤食されてしまうであろう。これら袋はプラスチックであるから、ほとんど分解することなく、長く環境に残り続ける。プラスチックの添加剤やら着色料として使われた重金属も少しずつ環境中に漏れ出していく。どんな悪さを環境に及ぼすことか。それよりもなによりも、せっかく道路から拾われ、あるいはごみとして出されたレジ袋・ポリ袋が、また埋立地以外の環境中に放りだされたのである。道路に落ちたごみを拾う意味はなんであろうかとも思う。Aにあったごみを、Bに移しただけではないか。ごみ拾いは日本では美談だが、タイのごみ拾いは、家の前のごみを、人が余り住まない野原にただ持っていっているだけではないのか。日本だったら、拾ったごみは、缶だったらリサイクルされ、レジ袋だったら焼却されて、取り敢えず、目の前からも他所の場所からもごみは消えるが、こちらのタイのごみ拾いは、焼却場も、リサイクルセンターもないために、埋立地に直行ということになる。そうなると、ともかく、環境を汚染するレジ袋・ポリ袋、お菓子の袋の使用を止めないといけないだろう。例えば、今シンガポールで印刷された朝日新聞を毎日、自宅にプラスチックの袋に入れられて届けられている。この袋はまず、埋立地に直行である。朝日の関係者は、このことをどれ位理解しているだろうか。もう一つ、日本では、新聞の集金の際、茶色の新聞回収袋をもらう。新聞を回収袋に入れて、リサイクルして下さいというのであろう。しかし、朝日の関係者は、このことをどれ位理解しているかどうか。リサイクル業者の紙問屋では、この朝日の回収袋を、紙問屋に集まった紙の山から、アルバイトの学生さんらが、必死になってかき集めて取り除いているのである。なぜなら、古新聞はまた古新聞にリサイクルされるが、茶色の紙は古新聞にはリサイクルされない。段ボールにリサイクルされる。朝日は、分別しなくてはいけないものを、混ぜて使ってしまっている。その点、読売新聞はちらしで作った紙袋を読者に配布している。チラシの袋と古新聞は同様の機械で新聞等にリサイクルされ、分別する必要がない。読売新聞の愛読者ではないが言っておきたい。
筆者が好きなワインの、使用済みのびんや缶、プラスチックの袋以外のヤクルトの容器や、牛乳、ミネラルウォーターのプラスチックはどうなるのだろうか。そのことは、朝4時に起きて、サンカンペンで収集車に乗って収集状況をつまびらかに見て明らかとなる。収集車には、SVの3人が乗り込んだ。運転手と合わせて4人が運転席に座れるほど大きい三菱の12トンの収集車である。まず、収集の手順を示そう。
収集作業は、朝の通勤時間帯を避け、朝の5時から収集を始める。運転手一人に3人の作業員の計4人が当たる。まず、作業員の一人が収集車の前を歩いて道路のごみを拾いながら、ごみ袋を一ヶ所に集め、余裕があれば、もう一人の作業員と一緒に車にごみ袋を載せる。3人目の作業員は、車の後部の隙間に立って、ごみ袋をナイフで破り、車の後部に吊るした大きな袋の中に、びんと缶を一つの袋に、硬質プラスチックをもう一つの袋に、段ボールは、折りたたんで、上部の隙間に載せ、新聞その他ちらし類はもう一つの袋に入れていく。一杯になった袋は車の屋根に載せる。足元がごみで一杯になったら、機械のボタンを押して、ごみを内部に送り込んでいく。当然だが、このような作業をするものだから、日本と比べごみの収集は相当遅くなる。朝8時になると、開いている食堂で30分ほど朝食を取り、朝食後はさらに作業を継続、11時頃収集を終え、町から少し離れた埋立地の横で、まず資源ごみを降ろし、作業員自ら、資源ごみの重量を測り、チェンマイ市内から来たリサイクル業者のサレーンに売却する。大体、一人平均1日100バーツ売れると言う。日本でも、分別収集が行われる以前は、収集作業員が資源ごみを抜き取り、換金して自分の懐に入れていた。分別収集を始める時は、その分の十分な収入を補償することで、収集作業をしながら、資源ごみを抜き取る作業がなくなり、効率的な収集作業が行われるようになった。タイでも分別収集をして、資源ごみをリサイクルセンターで中間処理する場合、このような補償を考慮する必要があろう。
以上見たように、プラスチックの中で、ヨーグルトやタイでも売られているヤクルトの容器、ペットボトル、硬いプラスチックは抜き取るが、レジ袋やポリ袋、お菓子の袋等の軟質プラスチックは集めない。プラスチックの量が少ない上に汚れていて効率が悪いと言うことであろう。上記、ファーン郡ではリサイクルセンターで選り分けていたが、このようなごみの中から、レジ袋等の軟質プラスチックをリサイクルするのはタイでも珍しい。まず、チェンマイ市内であれば、自分が出したごみは、収集作業員が資源ごみを選り分ける以外はすべて埋立地に直行である。日本では2000年の容器包装リサイクル法の完全施行で、レジ袋等のその他プラスチック製容器包装を分別収集の対象にする例が増え、プラスチックからプラスチックというマテリアルリサイクルではなく、主にコークス炉で廃プラスチックをコークスにする処理が約5割、製鉄高炉還元材としての利用が約3割の合計約8割が、汚れたプラスチックでも処理し易い処理方法で処理されている。
県庁から車で50分ほどのプラスチックをリサイクルする工場も見学した。昼夜交代制で60人ほどの従業員が働く。工場内には、4人ほどの人が泊まり込みで生活している。ここでは、チェンマイ県全域から、サレーン等が集めた硬質プラスチック、例えばペットボトル、ヤクルトの容器、化粧品の容器、プラスチックの飲料コップやカップ、コンテナを、色別に人の手で分別して破砕し、さらに水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)の溶液を使って洗濯機で洗浄したあと溶融し、糸状に加工。これを、プラスチックの原料であるペレット(丸い小さな粒)に裁断し、袋に詰めて、バンコクにあるプラスチック成形工場に売却する。ただ残念ながら、水酸化ナトリウムを落とすために、水を入れた池に破砕片を沈めて、洗い落とすが、洗った後の汚水は、茶色に濁っている上に、池に入れられた破砕片を、作業者が腰まで浸かってざるですくっていたりしており、また今にも壊れそうな板張りの上を作業者が歩く作業環境で、労災事故の危険性が高そうな作業環境である。その日、破砕機は定期点検で、動いていなかったが、動いていれば、騒がしい騒音とプラスチックの粉末が当たり一面漂っていたはずである。さらに学校に行っているはずの時間帯なのに、年端も行かない少年が労働に従事しており、児童労働違反ではないかと思う。水酸化ナトリウムで洗った後の廃水は、専門業者に持っていってもらっていると聞いたが、プラスチックの表面が汚れと一緒に溶け出した溶液であり、見た目にも気分の悪くなる汚水となっている。プラスチックのリサイクル現場は、相当、労働環境が悪そうである。また、作業場周辺の地面にはプラスチックの破片が散乱しており、これらが環境中に排出される危険性が高い。汚水を池に溜める所では、フィルターを通してペレットが排出されないようにしていると言うが、作業場周辺にプラスチックの破片が散乱しており、これらが、良く海岸の砂浜等に打ち上げられ散乱しているプラスチックの破片の一部ではないかと危惧する。プラスチックは野外に出れば生物による分解を全く受けず、最終的には、プラスチックは生物の分解を受ける生分解可能なプラスチックや紙等の物質に代えていくべきではないかと考える。ともかく、プラスチックのリサイクル現場を見学して、リサイクルは環境を汚染するもの、リサイクルするよりも、まずごみを減らす努力が大事だと思わせた。
以上の見学を通じて、タイでは、有害廃棄物用の小型焼却炉を除き、焼却場がプーケットとサムイの2ヶ所位しかない。バンコクにもチェンマイにも焼却場は存在せず、我々が出したごみは、収集車の作業員が資源を抜き取る以外は、すべて埋立地に直行するということが判明した。このことから、タイに住む我々のごみ出しルールを、以下のように提案したい。
まず、レジ袋や、おかずやスープ入れに使っているポリ袋のプラスチックの袋やお菓子の袋などの包装は、リサイクルされず、すべて埋立地に直行するので、できるだけ使用しないようにしたい。レジ袋を使わず、買い物袋を持参したいし、おかずを入れてもらう時は、タイ人が弁当を入れる時に使う三段重ねのステンレス容器などの容器を使ようにしたい。ごみ袋も生分解可能な材質に代えたい。袋などのプラスチックの包装については、焼却場のないタイでこそ、有料化を促す意味でも、普通のプラスチックの3、4倍するという高価な生物分解可能なプラスチックに代えていきたいものだ。レジ袋については、日本食材を扱うリンピンスーパーが、買い物袋を持参するお客一人に1バーツをスーパーが寄付金として貯めて、1年毎に聾唖学校等に寄付していくと言うが、残念ながら、寄付文化に心やさしいと聞くタイ人にまだ浸透していないようで、開店して既に4ヶ月になるが、この寄付金政策を実践しているのは、100人中わずか、2、3人しかいないと店長が証言していた。日本は、2007年にレジ袋の有料化を目指すとしているが、是非タイでも買い物袋の持参を促す有料化を実現したい。乾電池等も埋立地に直行するので、できるだけ使い捨ての乾電池は使わず、充電式の乾電池や、充電できる製品に代えたいものだ。
新聞・ちらし、段ボール、びん・缶、硬いプラスチック、金属等を作業員が、収集車の上でごみ袋をナイフで破って抜き取っているので、我々も日本にいた時と同様に、きちんと分別したいものだ。段ボールは折りたたみ、新聞・ちらし・雑誌類は、できるだけ白い紙ひもで縛って出したい。紙切れ類は、紙袋にまとめて入れる。ヨーグルトなどの容器もリサイクルしているので、洗って、できれば紙袋に入れて出したいものだ。プラスチックの包装は埋立地に直行である。生ごみも、できることならごみとして出さないで、庭などでコンポストや、EM菌作りをしたいものだ。残念ながら、我が家は家のオーナーに相談する必要があり、まだ生ごみのリサイクルを実践していないが。
舟木賢徳
分別収集・焼却の国から、未分別収集・埋立地直行のタイ国に赴任して
―タイでのごみの出し方―
チェンマイに赴任して、まずごみの現状を調べようと、ごみ処理施設を回り、リサイクルセンターやコンポストセンター、プラスチックのリサイクル現場や、なんと4時に起きて、朝の5時から昼まで、収集車に乗り込んでごみの収集状況の調査もした。面白い見聞をして来たので、2006年1月現在での、チェンマイのごみ事情と、見聞後に分かったタイでのごみの出し方を提案したい。
ミカンの産地として名高いチェンマイ県ファーン郡を訪れた。ここのミカンは美味しいことではタイ一番と言う。種が多いのが難点ではあるものの、日本のミカンよりも皮が薄く、袋ごと食べられ、甘さは日本よりも上かもしれない。車で3時間、ミヤンマーとの国境、麻薬で有名な黄金の三角地帯に近く、途中、警察の検問もあった。
ファーン郡を訪れた理由は、勤めている天然資源環境省が日本と同じく、ごみ処理の広域処理を進めるために市町村合併、ここではクラスターと呼んでいる、を進めており、そのことをテーマとした会議に出席したことから始まる。タイ語は分からないものの、良く発言する人物がおり、自慢げに発言しているので、隣りに座っておられる筆者のカウンターパート(援助を受ける相手側の人)の課長に伺ったら、ファーン郡の郡長で、逸早くリサイクルセンターを作って、リサイクルを進めていると聞いて、特に見学をお願いしたという経緯がある。リサイクルセンターの流れは、まずごみ袋を破り、次に、ごみの中からプラスチック袋を取り出す。どうもきれいなレジ袋やごみ袋が取り出されているようである。これらは、固く縛られ、リサイクル工場に運ばれるというが、どこで何にリサイクルされるかは、時間の関係で聞けなかったが、恐らく、ごみ袋に使われる黒いポリ袋(日本では黒い袋をごみ袋として利用できる市町村はほとんどなくなっている)にリサイクルされると思われる。さらに次の工程では、びん、缶、硬いプラスチックを取り出していた。いずれの工程も人の手で行われる。この後、残さ物は日光に晒され、乾かされ、その後別棟に運ばれて、EM菌と水が撒かれ、最終工程では、異物、特にプラスチックを風で吹き飛ばして、合計60日かけてコンポストが完成する。これらは有料で農家に販売される。
センターの隣りには埋立地が広がっている。広大な敷地である。日本と同様、埋立地の底には厚いビニールが敷かれ、浸出水は、大きな3つの池に順次流され、空気を送り込むバッキ方式と、日本のホテイアオイに似た植物の浄化で、自然浄化される。最終段階では、透明な、魚が住める水になっていたが、聞けば浸出水の大部分は、ほとんど乾燥して、池にある水は雨水がほとんどだと言う。埋立地を見ると、プラスチック、特にレジ袋等の袋が目立つ。センターが完成する前からのごみもあるが、センターでコンポストを作った後の残さ物、主として汚れた透明なプラスチックの袋、恐らく屋台などで、おかずやスープ、ジュース類を入れるのに使われる透明なポリ袋が大部分と思われた。この国では、ジュースやアイスコーヒーなども、プラスチックのコップではなく、プラスチックのポリ袋に入れてストローで飲む習慣がある。ちなみに、タイではコップから直に口を付けて飲むには抵抗があるということで、熱い飲み物以外はすべてストローで飲むのがこの国の流儀で、お冷やもすべてストロー付きである。
プラスチックや紙のコップを使わない点では、プラスチックの使い捨ての量は少ないとは言えるが、気がかりなことは、熱いスープや、油の多い料理をプラスチックの袋に入れて大丈夫なのかということである。環境ホルモンでは、プラスチックに含まれる添加剤が問題にされており、このような耐熱、耐油ではないと思われる袋では、スープ等に移ってしまうのではないかと心配である。
埋立地で特に目立ったプラスチックの袋類はどうなるのだろうか。その行方は、パーサーン町の埋立地で明らかとなる。ここも牛の糞をコンポストにしたり、一部地域で、資源ごみのびん、缶、硬質プラスチック、紙類を収集している。町舎に着いて、町長さんの部屋に案内されて部屋に入ったら、いきなり町長さんから、日本語で話しかけられて度肝を抜かれた。聞けば、日本に15年も住んでいたことのある人で、いまも日本との間で貿易を営む。後で、町長さんの家に案内されたが、妻は食堂を経営し、邸宅は大木が林立、池には日本のニシキゴイが泳ぐ大豪邸であった。その町長さんの案内で、町の郊外の埋立地を見学する。他の町がうらやむ町独自の埋立地である。タイの埋立地は、谷を埋める日本とは異なり、平地に積み上げる埋立地である。埋立地は一部供用開始されており、浸出水の池を3つ、いずれも自然浄化の池が整備されていた。町職員の話しでは、1日に埋め立てられたごみの上に15cmの土を盛るサンドイッチ方式という話しであったが、土の上はプラスチックの袋が散乱していた。ちょうど、熱い日差しの中だったので、テントに入って、町から提供された水をストロー付きで飲んでいたら、竜巻が吹き、あっという間に、空高く、埋立地に散乱していたレジ袋やらポリ袋が上空に舞い上がり、あわててカメラを取り出して、写真を取りまくった。下から上空を見ると、まるで、お祭りで、辺り一面紙吹雪をしたような風情である。映像としては面白いが、空高く舞い上げられたレジ袋、透明ポリ袋等はどこへいってしまうのか。田んぼや道路に落ち、最終的には川から海へと流れ、クジラなどの生物に誤食されてしまうであろう。これら袋はプラスチックであるから、ほとんど分解することなく、長く環境に残り続ける。プラスチックの添加剤やら着色料として使われた重金属も少しずつ環境中に漏れ出していく。どんな悪さを環境に及ぼすことか。それよりもなによりも、せっかく道路から拾われ、あるいはごみとして出されたレジ袋・ポリ袋が、また埋立地以外の環境中に放りだされたのである。道路に落ちたごみを拾う意味はなんであろうかとも思う。Aにあったごみを、Bに移しただけではないか。ごみ拾いは日本では美談だが、タイのごみ拾いは、家の前のごみを、人が余り住まない野原にただ持っていっているだけではないのか。日本だったら、拾ったごみは、缶だったらリサイクルされ、レジ袋だったら焼却されて、取り敢えず、目の前からも他所の場所からもごみは消えるが、こちらのタイのごみ拾いは、焼却場も、リサイクルセンターもないために、埋立地に直行ということになる。そうなると、ともかく、環境を汚染するレジ袋・ポリ袋、お菓子の袋の使用を止めないといけないだろう。例えば、今シンガポールで印刷された朝日新聞を毎日、自宅にプラスチックの袋に入れられて届けられている。この袋はまず、埋立地に直行である。朝日の関係者は、このことをどれ位理解しているだろうか。もう一つ、日本では、新聞の集金の際、茶色の新聞回収袋をもらう。新聞を回収袋に入れて、リサイクルして下さいというのであろう。しかし、朝日の関係者は、このことをどれ位理解しているかどうか。リサイクル業者の紙問屋では、この朝日の回収袋を、紙問屋に集まった紙の山から、アルバイトの学生さんらが、必死になってかき集めて取り除いているのである。なぜなら、古新聞はまた古新聞にリサイクルされるが、茶色の紙は古新聞にはリサイクルされない。段ボールにリサイクルされる。朝日は、分別しなくてはいけないものを、混ぜて使ってしまっている。その点、読売新聞はちらしで作った紙袋を読者に配布している。チラシの袋と古新聞は同様の機械で新聞等にリサイクルされ、分別する必要がない。読売新聞の愛読者ではないが言っておきたい。
筆者が好きなワインの、使用済みのびんや缶、プラスチックの袋以外のヤクルトの容器や、牛乳、ミネラルウォーターのプラスチックはどうなるのだろうか。そのことは、朝4時に起きて、サンカンペンで収集車に乗って収集状況をつまびらかに見て明らかとなる。収集車には、SVの3人が乗り込んだ。運転手と合わせて4人が運転席に座れるほど大きい三菱の12トンの収集車である。まず、収集の手順を示そう。
収集作業は、朝の通勤時間帯を避け、朝の5時から収集を始める。運転手一人に3人の作業員の計4人が当たる。まず、作業員の一人が収集車の前を歩いて道路のごみを拾いながら、ごみ袋を一ヶ所に集め、余裕があれば、もう一人の作業員と一緒に車にごみ袋を載せる。3人目の作業員は、車の後部の隙間に立って、ごみ袋をナイフで破り、車の後部に吊るした大きな袋の中に、びんと缶を一つの袋に、硬質プラスチックをもう一つの袋に、段ボールは、折りたたんで、上部の隙間に載せ、新聞その他ちらし類はもう一つの袋に入れていく。一杯になった袋は車の屋根に載せる。足元がごみで一杯になったら、機械のボタンを押して、ごみを内部に送り込んでいく。当然だが、このような作業をするものだから、日本と比べごみの収集は相当遅くなる。朝8時になると、開いている食堂で30分ほど朝食を取り、朝食後はさらに作業を継続、11時頃収集を終え、町から少し離れた埋立地の横で、まず資源ごみを降ろし、作業員自ら、資源ごみの重量を測り、チェンマイ市内から来たリサイクル業者のサレーンに売却する。大体、一人平均1日100バーツ売れると言う。日本でも、分別収集が行われる以前は、収集作業員が資源ごみを抜き取り、換金して自分の懐に入れていた。分別収集を始める時は、その分の十分な収入を補償することで、収集作業をしながら、資源ごみを抜き取る作業がなくなり、効率的な収集作業が行われるようになった。タイでも分別収集をして、資源ごみをリサイクルセンターで中間処理する場合、このような補償を考慮する必要があろう。
以上見たように、プラスチックの中で、ヨーグルトやタイでも売られているヤクルトの容器、ペットボトル、硬いプラスチックは抜き取るが、レジ袋やポリ袋、お菓子の袋等の軟質プラスチックは集めない。プラスチックの量が少ない上に汚れていて効率が悪いと言うことであろう。上記、ファーン郡ではリサイクルセンターで選り分けていたが、このようなごみの中から、レジ袋等の軟質プラスチックをリサイクルするのはタイでも珍しい。まず、チェンマイ市内であれば、自分が出したごみは、収集作業員が資源ごみを選り分ける以外はすべて埋立地に直行である。日本では2000年の容器包装リサイクル法の完全施行で、レジ袋等のその他プラスチック製容器包装を分別収集の対象にする例が増え、プラスチックからプラスチックというマテリアルリサイクルではなく、主にコークス炉で廃プラスチックをコークスにする処理が約5割、製鉄高炉還元材としての利用が約3割の合計約8割が、汚れたプラスチックでも処理し易い処理方法で処理されている。
県庁から車で50分ほどのプラスチックをリサイクルする工場も見学した。昼夜交代制で60人ほどの従業員が働く。工場内には、4人ほどの人が泊まり込みで生活している。ここでは、チェンマイ県全域から、サレーン等が集めた硬質プラスチック、例えばペットボトル、ヤクルトの容器、化粧品の容器、プラスチックの飲料コップやカップ、コンテナを、色別に人の手で分別して破砕し、さらに水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)の溶液を使って洗濯機で洗浄したあと溶融し、糸状に加工。これを、プラスチックの原料であるペレット(丸い小さな粒)に裁断し、袋に詰めて、バンコクにあるプラスチック成形工場に売却する。ただ残念ながら、水酸化ナトリウムを落とすために、水を入れた池に破砕片を沈めて、洗い落とすが、洗った後の汚水は、茶色に濁っている上に、池に入れられた破砕片を、作業者が腰まで浸かってざるですくっていたりしており、また今にも壊れそうな板張りの上を作業者が歩く作業環境で、労災事故の危険性が高そうな作業環境である。その日、破砕機は定期点検で、動いていなかったが、動いていれば、騒がしい騒音とプラスチックの粉末が当たり一面漂っていたはずである。さらに学校に行っているはずの時間帯なのに、年端も行かない少年が労働に従事しており、児童労働違反ではないかと思う。水酸化ナトリウムで洗った後の廃水は、専門業者に持っていってもらっていると聞いたが、プラスチックの表面が汚れと一緒に溶け出した溶液であり、見た目にも気分の悪くなる汚水となっている。プラスチックのリサイクル現場は、相当、労働環境が悪そうである。また、作業場周辺の地面にはプラスチックの破片が散乱しており、これらが環境中に排出される危険性が高い。汚水を池に溜める所では、フィルターを通してペレットが排出されないようにしていると言うが、作業場周辺にプラスチックの破片が散乱しており、これらが、良く海岸の砂浜等に打ち上げられ散乱しているプラスチックの破片の一部ではないかと危惧する。プラスチックは野外に出れば生物による分解を全く受けず、最終的には、プラスチックは生物の分解を受ける生分解可能なプラスチックや紙等の物質に代えていくべきではないかと考える。ともかく、プラスチックのリサイクル現場を見学して、リサイクルは環境を汚染するもの、リサイクルするよりも、まずごみを減らす努力が大事だと思わせた。
以上の見学を通じて、タイでは、有害廃棄物用の小型焼却炉を除き、焼却場がプーケットとサムイの2ヶ所位しかない。バンコクにもチェンマイにも焼却場は存在せず、我々が出したごみは、収集車の作業員が資源を抜き取る以外は、すべて埋立地に直行するということが判明した。このことから、タイに住む我々のごみ出しルールを、以下のように提案したい。
まず、レジ袋や、おかずやスープ入れに使っているポリ袋のプラスチックの袋やお菓子の袋などの包装は、リサイクルされず、すべて埋立地に直行するので、できるだけ使用しないようにしたい。レジ袋を使わず、買い物袋を持参したいし、おかずを入れてもらう時は、タイ人が弁当を入れる時に使う三段重ねのステンレス容器などの容器を使ようにしたい。ごみ袋も生分解可能な材質に代えたい。袋などのプラスチックの包装については、焼却場のないタイでこそ、有料化を促す意味でも、普通のプラスチックの3、4倍するという高価な生物分解可能なプラスチックに代えていきたいものだ。レジ袋については、日本食材を扱うリンピンスーパーが、買い物袋を持参するお客一人に1バーツをスーパーが寄付金として貯めて、1年毎に聾唖学校等に寄付していくと言うが、残念ながら、寄付文化に心やさしいと聞くタイ人にまだ浸透していないようで、開店して既に4ヶ月になるが、この寄付金政策を実践しているのは、100人中わずか、2、3人しかいないと店長が証言していた。日本は、2007年にレジ袋の有料化を目指すとしているが、是非タイでも買い物袋の持参を促す有料化を実現したい。乾電池等も埋立地に直行するので、できるだけ使い捨ての乾電池は使わず、充電式の乾電池や、充電できる製品に代えたいものだ。
新聞・ちらし、段ボール、びん・缶、硬いプラスチック、金属等を作業員が、収集車の上でごみ袋をナイフで破って抜き取っているので、我々も日本にいた時と同様に、きちんと分別したいものだ。段ボールは折りたたみ、新聞・ちらし・雑誌類は、できるだけ白い紙ひもで縛って出したい。紙切れ類は、紙袋にまとめて入れる。ヨーグルトなどの容器もリサイクルしているので、洗って、できれば紙袋に入れて出したいものだ。プラスチックの包装は埋立地に直行である。生ごみも、できることならごみとして出さないで、庭などでコンポストや、EM菌作りをしたいものだ。残念ながら、我が家は家のオーナーに相談する必要があり、まだ生ごみのリサイクルを実践していないが。