例えば
Aさんにおいらが
プレゼントしたとします。
誕生日のお祝いでもよし
送別の品でもよいし
・・・
おめでとうね
これからもがんばってね
などと話して
Aさんからも
ありがとうね、などの感謝の意が表明されたとします。
問題はそのあとです。
数時間後
あるいは
数日後
Aさんは
感謝の品をもらったことについて
うれしかったよ
○○もらって助かったよ
などの
フォローの言葉
をおいらに言うべきです。
それがないと
どうもしっくり来ません。
これまで
そういったフォローの言葉を
おいらは聞いたことがなくて
少々さみしい思いをしているところです。
思い出すのは中学生のとき
杉本君という同じクラスの子。
「昨日は、○○やってくれてありがとね。」
と言ってくれた。
あれはうれしかった。
母にそのことを話したら
「その子はきっと3世代同居している子だろうね。」
杉本君にそれを聞いてみたら
それは否定した。
3世代同居で身につく素養ではなさそうだ。
杉本君にあってみたいな。
会ったら、そのことを話してみたいな。
母が杉本君のことをうんとほめていたよって。
もう50年近く前の話。
元気で生きていてくれたらな。
また会えるかな、杉本君。
ちなみに母は3年前に他界してしまいました。
Aさんにおいらが
プレゼントしたとします。
誕生日のお祝いでもよし
送別の品でもよいし
・・・
おめでとうね
これからもがんばってね
などと話して
Aさんからも
ありがとうね、などの感謝の意が表明されたとします。
問題はそのあとです。
数時間後
あるいは
数日後
Aさんは
感謝の品をもらったことについて
うれしかったよ
○○もらって助かったよ
などの
フォローの言葉
をおいらに言うべきです。
それがないと
どうもしっくり来ません。
これまで
そういったフォローの言葉を
おいらは聞いたことがなくて
少々さみしい思いをしているところです。
思い出すのは中学生のとき
杉本君という同じクラスの子。
「昨日は、○○やってくれてありがとね。」
と言ってくれた。
あれはうれしかった。
母にそのことを話したら
「その子はきっと3世代同居している子だろうね。」
杉本君にそれを聞いてみたら
それは否定した。
3世代同居で身につく素養ではなさそうだ。
杉本君にあってみたいな。
会ったら、そのことを話してみたいな。
母が杉本君のことをうんとほめていたよって。
もう50年近く前の話。
元気で生きていてくれたらな。
また会えるかな、杉本君。
ちなみに母は3年前に他界してしまいました。