野球小僧

東京音頭 / 東京ヤクルトスワローズ応援団

♪ 東京ヤクルト 東京ヤクルト
♪ 東京ヤクルト 東京ヤクルト

昨夜はより大きく神宮の杜にこだましたでしょう、東京音頭。
これは2015年10月2日のラッキーセブン東京音頭です。 

それにしても、14年ぶりの優勝ですね。
まだ、14年周期説は確立できていませんが。

14年前は若松勉監督の下で優勝。この年は横浜ベイスターズ3位と躍進した年でした。
今年も同じ外野出身の真中満監督で優勝。横浜DeNAベイスターズは前半の台風の目でした。

1980年代のことです。なぜかスワローズ戦でヤクルト応援団と一緒に外野席で野球を観戦していました。
今と違って、弱く、また地方球場だったこともあり、大勢の応援ではなく、こじんまりとした傘をフリフリしながら、東京音頭に合わせて踊って、楽しそうに応援していました。

この外野応援団の中で先頭に立って応援していたのが岡田正泰さんです。スワローズ一筋50年の私設応援団「ツバメ軍団」団長です。

今ではスワローズの応援になくてはならない、ビニール傘と東京音頭の応援を考え、始めたのが岡田さんでした。

岡田さんは1952年ごろ、後楽園球場で読売ジャイアンツ対国鉄スワローズを観戦していましたが、スワローズファンの少なさを見かねて応援を始めました。その時に大きな音をさせようと、家庭用のフライパンを叩いて応援していました。

1960年代から1970年代になると、仲間も増え、生粋の江戸っ子の岡田さんは「当時の江戸っ子なら、東京音頭は誰でも知っている」ということで東京音頭を唄い、いつの間にか「ヤクルトおじさん」と呼ばれるようになりました。最初、東京音頭を演奏するトランペットの奏者は、神宮外苑で1人で練習していた大学浪人生だったそうです。岡田さんが彼の音色を聞いて口説いたそうです。

岡田さんの応援はすべて手作りでした。家業が看板屋だったこともあり、応援のプラカードは全部自分で作っていました。自宅兼作業場には、描きかけの仕事の看板とともに、試合に使うプラカードも何本かあったそうです。

1978年の念願の初優勝時には号泣している場面がテレビでも映し出され、ファンが囲んで優勝を祝福し、主力選手だった大杉勝男さんに招かれグラウンド内をトロフィーを引いて一周もしました。

「オヤジがいたから優勝できたんだって、大杉(勝男)さんがグラウンドに入れてくれたんだ。応援団冥利に尽きるよな。出すぎちゃいけないんだけど、この時だけは許してもらった」

1980年代に入り、チームが低迷したときには「神様!!勝たしてください」「今日は勝ち鯛」などのユニークな横断幕でファンと選手を楽しませてくれました。
また、傘を使っての応援は、少ないファンをなるべく多く見せるためでした。きっかけは、神宮外苑に来ていたアベックが捨てたビニール傘を見て、使えないかと考えたそうです。傘なら、誰でも持っていて、家からでも持ってこれるからだというからです。そして、応援グッズにはお金をかけず、「チケットを買って、球場に来てもらいたい」というのが信条でした。

(10月2日の試合は雨天のため順延になった前日の振替。チケットを購入しようとする出来ない人が大勢。オークションサイトでは通常の何倍もの価格で席が出品されていました。また、球場外にはダフ屋さんとともに「チケット譲ってください」と看板を掲げるファンもいました)

1990年代に入って優勝争いの常連になっても「ファンを楽しませたい」という一心で明治神宮野球場に足を運び、声をからしてスワローズを応援し続けました。

自慢は「優勝を決めた翌日だって本業の看板描きは休まなかった」ことで、奥さんも「本業には絶対に影響させない、というのがこの人なのよ」と認めていたそうです。

岡田さんは晩年は肺を患い、東京以外に応援に行くことはなくなったそうです。ただ、北海道のファンは飛行機のチケットを手配して招待していました。

2002年7月19日からの札幌ドームでの対広島東洋カープ戦に駆けつけましたが、東京との気温差から帰京後に体調を崩し2002年7月30日に71歳で急逝しました。

そんな岡田さんのことを奥さんは「私よりもヤクルトに恋をしたのだから仕方がない」と語っていたそうです。

今でも神宮球場のライトスタンドには、岡田さんの在りし日の写真とお供え物や花などが飾られています。

「応援団というのはよ、バカじゃできない、賢くてもできない。中途半端じゃ、尚できないってもんだぜ。出すぎてもいけねェ、出すぎなくてもダメなんだ。たとえ大敗しようとファンに楽しんで球場から帰途についてもらいたい。ファンに喜ばれるというのがオレのポリシーだ。強制なんかしねえよ。応援を楽しむことによりファンがノって、そのファンの応援で選手をのせられれば、最高じゃないか。な、そうだろ」

岡田さん、優勝おめでとうございます。
岡田さんが、一人で始めた応援は、昨夜こんなに大勢のファンで優勝を観ましたよ。

ハァ~踊り踊るなら チョイト東京音頭♪
ヨイヨイ♪
花の都の 花の都の真中で♪
サテ(それ)♪
ヤートナ ソレヨイヨイヨイ♪
ヤートナ ソレヨイヨイヨイ♪


コメント一覧

まっくろくろすけ
上田の慎坊さん、こんばんは。
私も好きでした。松岡弘さん。本当にキレのあるボールでしたね。今は北照高校で非常勤のコーチをやっていますね。
YSの帽子がカッコよくて、買ってもらった記憶があります。

あとは、何といっても伊藤智仁さん。あのスライダーは神のスライダーでした。2001年の優勝シーズンが最後の登板でしたね。

私が初めて買ったレコード…記憶にないです。
まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
いやあ、どうもありがとうございます。
おかげさまで、どうやら5位の座が…おっと。

連続最下位からの優勝ですから、本当に大したものです。打線にピッチャーが引っ張られたのでしょうね。

ちなみに、あと、何かドラフト以外にイベントってありましたっけ。

さて、おそらく、おそらくですが、「真中監督の人心掌握術」みたいな本が出ることでしょう。これは断言できます。
上田の慎坊
真逆が本当に
まっくろくろすけ様

スワローズ優勝!
投手力からすると、よく長いリーグ戦を制したなあと思いました。
攻走守が揃えば、力は何条にも高まるということでしょうか。

スワローズには若松さん、大杉さん、大矢さんと名選手が名を連ねていますが、私が一番好きな選手は松岡弘投手でした。
実家から神宮野球場が近かったこと(当時は親父が若かったこと)もあって、中学生のころよくスワローズ戦を観に連れて行ってもらいました。
当時は予告先発もありません。先発に松岡投手が告げられると興奮しました。
松岡投手が投げる直球(印象としてストレートとは違うまさしく真っ直ぐ)が、未だ鮮烈に記憶に残っています。

そして私が初めて買ったレコードが桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」と、もう1枚が松岡弘さんが歌う「とびだせヤクルトスワローズ」でした。
今から40年前にリリースされたスワローズ初代応援歌。13歳くらい私にとってはかなりいい歌でした。
風呂に入りながら歌う度に、お袋に「近所迷惑!やめなさい」と叱られました。
昨晩は動画配信を視聴しながら、誰にも叱られず熱唱しました。

特段、スワローズに関心がある訳ではありませんが、14年振りのリーグ優勝おめでとうございます!
CS、日本シリーズと健闘を祈ります。
eco坊主
おはようございます。

ヤクルト・スワローズの皆様そしてファンの皆様
ペナントレース優勝おめでとうございます。

混セの中での打撃そして救援陣の安定は際立っていました。
真中マジックなのかどうかは分かりませんが
ここ一番の時の負けない采配も・・・

私の2015年のペナントレースは終わりましたが
あと2試合は兎の意地を観たいものです。
来年からの10連覇へ向けて^^v

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「プロ野球」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事