140km/h台後半のストレートとスライダー、カーブ武器にしており、相撲部屋がスカウトに来るほどの体格で1994年の夏の甲子園奈良県予選で好投を続け、一躍プロ注目となりました。奈良県予選では惜しくも決勝で敗れたものの、同年のドラフトで嘉勢敏弘さん(元オリックスブルーウェーヴ)の外れ1位ながら近鉄バファローズに指名され入団します。
入団時の記者会ではフォーム改造の手本とした元読売ジャイアンツの金田正一さんに倣って、400勝を目標に挙げ「野茂さん、伊良部さんみたいになりたい」とコメントしていました。しかし、将来性が期待されて入団したものの、故障続きで大成せず、プロ入り後は1軍登板もないまま1999年に引退となりました。
プロ野球選手としては大成できなかった田中宏和さんですが、ドラフト指名されたことをきっかけにして世界記録を目指す運動が始まりました。それは田中宏和さんの入団に伴い、同姓同名の人物に関心を持った東京都の会社員・田中宏和さんが後にHP「田中宏和.com」を開設して、同姓同名収集を開始。2010年、2011年には「田中宏和の会合」が開かれ、全国から田中宏和さんが参加するというものです。
そして、第3回となる2017年には「田中宏和運動全国大会2017」と銘打って、ギネス世界記録の更新を目指す会合が今日10月28日に東京都内で開かれます。今回は過去最多となる全国100人超の田中宏和さんが一堂に会する見通しだそうです。
田中宏和さんが運営している「田中宏和の会」には2014年に一般社団法人化。代表理事は同会を主宰してきた田中宏和さん。このほかに初期メンバーの田中宏和さんやホームページの運営に尽力した田中宏和さんを加えた3人で登記手続きを済ませた、まじめな会です。2017年10月26日時点で117人目の生後6ヶ月の田中宏和さんが登録(?)されています。
法人化の狙いは2011年にギネス世界記録樹立に失敗した雪辱を果たすことで、法人を立ち上げれば企業からの支援の受け皿になるし、遠方から駆けつける会員の交通費も援助できるというものです。
私たちも、生まれも育ちもそれぞれ異なるのに、同姓同名というだけで他人とは思えない連帯感を覚えてしまう不思議さはありますよね。例えば、名字が同じだけであっても、出身地がどうのこうので盛り上がったりします。それが同姓同名となれば、次元はまったく違うようで、お互いの絆を深めるために定期的に会合を開いたり、テーマソングやロゴやTシャツを作ったりとしています。
「自分とは何者か? 名前の機能とは何か? それは哲学的な問いかけであり、前衛芸術活動でもある。海外でも同じような運動があるのでいつか国際交流もしてみたい」と田中宏和さんは夢を膨らませているそうです。
2011年10月15日に田中宏和さんは67人の同姓同名の田中宏和さんを一同に集めてギネス世界記録(最大の同姓同名の集まり)を樹立する目標に挑戦しました。ギネス本部からの事前情報では「50人以上集まれば記録として認定できるだろう」という見通しだったそうですが、米国の女性実業家マーサ・スチュワートさんがテレビ番組の企画で164人のマーサ・スチュワートさんを過去に一堂に集めていたという事実が判明し、ギネス本部はそちらをギネス記録に認定したそうです。
今年の会合はそのリベンジというものです。「同姓同名運動はあくまでも趣味の一環。ビジネスにするつもりはないけど、大きな目標があった方が活動は盛り上がるでしょう。本気でギネス世界記録更新を狙いますよ」と田中宏和さんは熱っぽく語っています。
ちなみに、2013年に実施した明治安田生命保険の調査では、田中姓は日本国内では佐藤、鈴木、高橋に次いで4番目に多く、134万人いると推計されており、この田中姓は西日本に多いことが知られています。一方、現時点での「田中宏和の会」の会員の分布は首都圏が多く、西日本はまだまだ開拓の余地が大きいそうです。2012年から田中宏和運動の関西地区大会、九州地区大会、中部地区大会を催すなど会員獲得に努めてきているものの、「今後はさらに取り組みを強化しないといけない」と田中宏和さんは気を引き締めているそうです。
ところで、肝心の田中宏和さんは全国に何人いるのだろうか?という話に田中宏和さんは「あくまでも推計ですが・・・2002年時点のNTTの電話帳に田中宏和さんが195人掲載されていたから、世帯主の母数から逆算すると日本国内では850人ほどの田中宏和さんがいる計算になります。国民の14万人に1人、田中姓の1500人に1人が田中宏和さんという確率です」と予想しているそうです。
ちなみに、すべて田中宏和さんですが、田中宏和の会ではそれぞれを特定するために呼び名を付けているそうです。「ほぼ幹事の田中宏和」「渋谷の田中宏和」「作曲の田中宏和」「WEBの田中宏和」・・・ただ理美容業界で3人の田中宏和さんが出てきたときには呼び名を付けるのに困ったそうです。思案した結果、「美容師の田中宏和」さん、「美容室の田中宏和」さん、「床屋の田中宏和」さんと呼び分けることにしたそうです。
2011年3月11日。
東日本大震災の発生時に「ほぼ幹事の田中宏和」さんは仙台に住む田中宏和さんの安否が気になっていたそうです。まだ会ったことはないものの、「田中宏和の会」にメールをもらっていた、消防士の田中宏和さん。被災地の最前線で奮闘しているはずだと信じて3月16日夜、「今日までご連絡するのをガマンしてきました。お元気ですか? 返信だけでもいただけるとうれしいです……」と安否確認メールを送ってみたそうです。
すると翌朝、「大丈夫です 災害対応中です がんばります負けません」と元気いっぱいの返信が届きました。「連絡をありがとうございました。いつか、そのうち笑って会いましょう。応援しています。いつでも連絡ください」と田中宏和さんはこう書いてメールを返信しました。
震災後、「消防の田中宏和」さんと仙台で初めて顔を合わせたのは7月2日のことでした。
「名前って何だろうとつくづく思います。その人を特定しているようで、呼称としては機能していないこともある。でも、名前を通じて仲間が知り合い、友人になっているのは確かなんです。名前のおかげで、別の田中宏和だったら、ありえたかもしれない異なった人生を疑似体験できる。パラレルワールド(並行世界)を感じるような感覚なんです……」
今日、ギネス世界記録更新となるか。全国の田中宏和さんの動向が気になります。