確かに認知症になると完全な別人格になりますし、基本的な判断能力も実質“子供=童(わらべ)”になりますから責任能力が問えません。本当に厄介な現実になります。【認知症で賠償 広がる支援事業】https://t.co/vGC0m84Dsc
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) February 17, 2020
認知症の人が外出先などで他人にけがをさせたり、物を壊したりして家族らが損害賠償を求められる事態に備え、民間保険を活用する自治体の支援事業が広がっている。神戸市では、見舞金などが3件で支給されたという。
斯く言う私の父親も認知症を発症していて要介護度は2になります。まだ徘徊が出ていないだけ多少はマシですが、もう基本的な責任能力も人としての信頼度や信用性は皆無に等しいです。
それだけに、今後なにかをしでかした場合には責任が私に来るのは間違いないので保険があるなら入りたいくらいです。
然し乍ら、この制度に多くの利用があったとしても、せいぜい10年も保てればよいのではないでしょうか。正直、高齢者社会に対応できるシステムの構築が遅すぎましたし、今後確実に訪れる平成世代の胸三寸次第では制度を破棄する可能性も捨て切れません。
明らかに支える側が少なくなれば、どれだけ制度を作っても意味がないです。況してや当該の人物の家族も高齢化して更に認知症の可能性が増えますし、そうなってしまったら保険を維持するだけの投資も期待できません。
もう平成世代が実権を握ってしまったら、昭和の生き残りなんて何処かに一纏めにされるでしょう。それに従えなければ完全な放置だって有り得ます。昔に当たり前の様にあった姥捨山が復活するでしょう。
勿論、そんなことは避けたいですが、もう何も期待できない人たちを養うよりも明日の日本に期待した方が遥かにマシなんですよ。一緒に人生を全うしていたら間違いなく共倒れです。そんなことをすれば本当に日本は終わってしまいます。
やはり時代時代に於いて【きちんとやるべきこと】をやってこなかったツケは何処かで払わねばならないのです。たとえ其れが命であったとしても、次の世代が前に進むことが最優先されなければ歴史が終わってしまうんです😞 。