写真で綴る小さな旅

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信州・姨捨

2014-05-21 | 日記

「姨捨山」
お年寄りを捨てに行った山、と言うイメージで伝わってますが、
この話は、経験豊富で智恵のあるお年寄りを大切にするという伝説ですね。

そこから名付けられた山の名前かと思いますが、
長野県千曲市にあります。

そこは現在、棚田と田毎の月で有名な観光地にもなってます。
この小さな田は、現在の農機具は入りません。
かといって手作業では採算の合わない農業、1度はつぶす計画もあったようですが、
これを残し今はこれを都会のオーナーさんに貸し付けてます。
まさに日本の原風景でもありますね。

6月1日には、オーナーさんがやって来て、地元の農家の方の指導で田植えのイベントが行われる予定です。













ああ野麦峠

2014-05-09 | 日記



小説や映画でしられるた女工哀史「ああ野麦峠」
野麦とは笹のこと。
凶作の年はこの笹の実を麦と思って食べたことから名付けられた。

戦前、製糸産業は日本の輸出産業の花型。
その製糸工業で働く女工さん達。
小説・映画は泣かせるための物でもありすべてではないようですが、
当時のことですから確かに今から見れば過酷な職場であったことかも知れません。
しかし、乙女達にとって働いてお金がもらえる最高の居場所。
まさにあこがれの職業であったとも言えます。
僕の姉もこの製糸工場で働いてました。

少し器用な女工さんですと今のお金で月50万円ほどの給与だったらしい。
支度金を積んでの引き抜きも盛んだったようです。

だがこれが遠く飛騨の国から出稼ぎとなると、
アルプスを歩いて越して信濃路に入る。
年の暮れ、蓄えたお金を持って雪深き峠を越して帰る。
疲れ果てて亡くなった女工さんもあったと記録されてる。

GW、何処も道路は渋滞。この忘れられた野麦街道は空いてました。
峠には資料館などもあり、当時のことが良く理解出来る。

綺麗に着飾った女工さん達、高級なおべべを着れたのは彼女達しかなかった?
またこのような絵も・・・





峠に迎えた来た兄の背で、
「乗鞍が見える、もうじき母ちゃんに会えるね」
と言いながら,疲労と病で息を引き取ったと言われる少女の碑です。




峠から眺めた乗鞍岳