今月は4週にわたって「古今和歌集」に集められた小野小町の和歌を紹介しています。
巻第十五 恋歌五
小 町
『822 秋風にあふたのみこそかなしけれ わが身空しくなりぬと思へば』
秋になれば、田んぼの稲穂は十分に実り黄金色に輝くのに、私は
不作の稲穂のように実が成らず、いずれ捨てられ忘れ去られてしま
うことでしょう
というように小町の気持ちを解釈すればよいのでしょうか。
比叡山遠望(京都府立植物園)
巻第十八 雑歌下
文屋のやすひでが三河の掾になりて、「あがたみに
はえいでたたじゃ」と、いひやれりける返事によめ
る
※注 三河の掾(ぞう―地方の役人)。文屋康秀は三河の国の八橋というところに国衙の三等官として赴任しています。
『938 わびぬれば 身を浮き草の根を絶えて、誘う水あらばいなんとぞ思ふ』
小町にしては、同じ六歌仙の一人として和歌に秀でているであろう文屋康秀の誘いの言葉が、あまりにも無神経ないい加減なものだったので、いくら小町が衰えの兆しが差し掛かってきたこととはいえ、プライドが許さず動じなかったということです。言い換えればかなり痛烈な康秀批判とも思えます。
ノウゼンカズラ(ご近所の「川井様」宅)
文屋康秀
この文屋康秀、小町と同時代の歌人で代表とされる歌として小倉百人一首の第22番にも
『249 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ』
と読まれています(古今和歌集巻第五 秋風下)。
古今和歌集の仮名序に康秀のことを「言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人(あきひと)のよき衣(きぬ)きたらんがごとし」と紹介されています。
小町にもどって
さらに続けます。
先ほどの文屋康秀の誘いに返した歌の次に、「題しらず」として
『939 あはれてふ言こそ うたて 世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ』
とうたっています。小町は心身とも年老いていく悲しみを感じているのでしょうか。
巻第十九 雑躰 誹諧歌
『1030 人にあはんつきのなきには 思ひおきて胸はしり火に心やけおり』
巻第ニ十 墨滅歌
おきのゐ みやこしま をののこまち
『1104 おきのゐて身を焼くよりもかなしきは 宮こ島べの別れなりけり』
以上、小町の歌十八首を紹介しました。
ガートルードジェキル(府立植物園)
そして花のように
花のように美しく、宮廷での華麗な生活、天皇の更衣、数あまたの貴公子達との恋物語、深草少将の(一方的)恋物語の悲劇、そして年老いていく末の様子など、波乱万丈の人生を過ごした小野小町の物語は、後世、忘れえぬものです。
わが国初めての勅撰和歌集で、かな文字和歌集である「古今和歌集」の最後に
思ふてふ言の葉のみや秋をへて下
そとほり姫ひとりゐてみかどを恋ひたてまつりて
『1110 わがせこが来べきよひなり ささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも』
もちろん小町のことではありません。
しかし、古今集の仮名序に小町のことを「いにしへの衣通姫(そとほりひめ)の流れなり」と紹介されています。何か重ねあわされていると見えるのは考えすぎでしょうか。
仁明という帝に出合わなければ小町は、普通の人生を送っていてのかもしれません。帝の逝去という悲しい別れの後、俗世間の男女間のやり取りの渦中にうずもれずに、後に出てくる「竹取物語」のかぐや姫のように月の世界に戻れば、「小野小町はかぐや姫であった」という伝説が生まれたのにと思えてきます。
「花の色は…」と歌った小町の心境を表したく、いろいろな花でブログを飾りました。「…うつりにけりな…」です。
早いもので夏至はすぎ、また徐々に夜の時間が長くなっていきます。六月は夏越の祓え「水無月」です。そして月があければ七月の文月。「七夕様」です。
花しょうぶ2題
(「府立植物園」にて)
(「東福寺」にて 京都市東山区)
巻第十五 恋歌五
小 町
『822 秋風にあふたのみこそかなしけれ わが身空しくなりぬと思へば』
秋になれば、田んぼの稲穂は十分に実り黄金色に輝くのに、私は
不作の稲穂のように実が成らず、いずれ捨てられ忘れ去られてしま
うことでしょう
というように小町の気持ちを解釈すればよいのでしょうか。
比叡山遠望(京都府立植物園)
巻第十八 雑歌下
文屋のやすひでが三河の掾になりて、「あがたみに
はえいでたたじゃ」と、いひやれりける返事によめ
る
※注 三河の掾(ぞう―地方の役人)。文屋康秀は三河の国の八橋というところに国衙の三等官として赴任しています。
『938 わびぬれば 身を浮き草の根を絶えて、誘う水あらばいなんとぞ思ふ』
小町にしては、同じ六歌仙の一人として和歌に秀でているであろう文屋康秀の誘いの言葉が、あまりにも無神経ないい加減なものだったので、いくら小町が衰えの兆しが差し掛かってきたこととはいえ、プライドが許さず動じなかったということです。言い換えればかなり痛烈な康秀批判とも思えます。
ノウゼンカズラ(ご近所の「川井様」宅)
文屋康秀
この文屋康秀、小町と同時代の歌人で代表とされる歌として小倉百人一首の第22番にも
『249 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ』
と読まれています(古今和歌集巻第五 秋風下)。
古今和歌集の仮名序に康秀のことを「言葉はたくみにて、そのさま身におはず。いはば商人(あきひと)のよき衣(きぬ)きたらんがごとし」と紹介されています。
小町にもどって
さらに続けます。
先ほどの文屋康秀の誘いに返した歌の次に、「題しらず」として
『939 あはれてふ言こそ うたて 世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ』
とうたっています。小町は心身とも年老いていく悲しみを感じているのでしょうか。
巻第十九 雑躰 誹諧歌
『1030 人にあはんつきのなきには 思ひおきて胸はしり火に心やけおり』
巻第ニ十 墨滅歌
おきのゐ みやこしま をののこまち
『1104 おきのゐて身を焼くよりもかなしきは 宮こ島べの別れなりけり』
以上、小町の歌十八首を紹介しました。
ガートルードジェキル(府立植物園)
そして花のように
花のように美しく、宮廷での華麗な生活、天皇の更衣、数あまたの貴公子達との恋物語、深草少将の(一方的)恋物語の悲劇、そして年老いていく末の様子など、波乱万丈の人生を過ごした小野小町の物語は、後世、忘れえぬものです。
わが国初めての勅撰和歌集で、かな文字和歌集である「古今和歌集」の最後に
思ふてふ言の葉のみや秋をへて下
そとほり姫ひとりゐてみかどを恋ひたてまつりて
『1110 わがせこが来べきよひなり ささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも』
もちろん小町のことではありません。
しかし、古今集の仮名序に小町のことを「いにしへの衣通姫(そとほりひめ)の流れなり」と紹介されています。何か重ねあわされていると見えるのは考えすぎでしょうか。
仁明という帝に出合わなければ小町は、普通の人生を送っていてのかもしれません。帝の逝去という悲しい別れの後、俗世間の男女間のやり取りの渦中にうずもれずに、後に出てくる「竹取物語」のかぐや姫のように月の世界に戻れば、「小野小町はかぐや姫であった」という伝説が生まれたのにと思えてきます。
「花の色は…」と歌った小町の心境を表したく、いろいろな花でブログを飾りました。「…うつりにけりな…」です。
早いもので夏至はすぎ、また徐々に夜の時間が長くなっていきます。六月は夏越の祓え「水無月」です。そして月があければ七月の文月。「七夕様」です。
花しょうぶ2題
(「府立植物園」にて)
(「東福寺」にて 京都市東山区)