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フジサキヒロカズ@音楽づくり

暮らしと地続きの音楽をつくる

音楽と非音楽のあいだ=日常

2025-05-31 09:26:49 | 音楽

私たちは何を音楽だと感じるのでしょうか。

私たちはどのような音の連なりを、音楽だと認識するのでしょうか。
音の中には、音楽だと認識される音と、そうでない音とがあるのでしょうか。
音楽になる音は楽音。楽器を奏でた時の音のこと。

音楽にならない音とは、どんな音でしょうか。
踏みしめた床の軋み、回したドアノブ、開けた窓から入ってくる町の喧騒、PCの起動、冷蔵庫のモーター、衣擦れ、脳が自動的に制御している普段の呼吸、これらはすべて、音楽にならない音なのでしょうか。

楽音とそうでない音を分けるための線引きは、可能なのでしょうか。
そして私たちは、これらの音を分ける必要があるのでしょうか。

この問いが生まれた地平、つまり「楽音とそうでない音」というレイヤーの、その一段下(または一段上)から捉え直してみたとき、「音楽」と「音楽ではないもの」との境界は、あるのでしょうか。
境界の有無を考えるために、私は、この「音楽ではないもの」を「非音楽」と表しました。
そして、音楽と非音楽を、私の暮らしの両極に、仮置きしてみました。

音楽と非音楽、
その「あいだ」とは、何でしょうか。
その「あいだ」は、どこなのでしょうか。
姿も場所も分からない、その「あいだ」で、
両極に仮置きした音楽と非音楽がせめぎ合っているのだとすれば、
両者がせめぎ合うその接面を「境界」と捉えることもできそうです。
しかし、この「境界=あいだ」は、一本の線でも一つの面でもないように思います。

少し突っ込んで考えてみます。


国境のように、一本の境界線を引き、この線からこちらは音楽、そちらは非音楽、と思慮浅く分けてしまうことはできない。
音楽と非音楽、それぞれの、始点も終点も曖昧。
仮置きしてみたものの、そもそも両者は、それぞれが独立した極なのか。
音楽も非音楽も、はじまりもおわりも、すがたもかたちも、わからないのに。
音楽と非音楽は、白と黒、光と影、上と下、右と左、内と外、天国と地獄、過去と未来、のような対立軸にはない。
音楽と非音楽は、定義も、実態も、定められない。
音楽と非音楽は、分からない、捉えきれない。
だから途轍もなく深く、美しい。
人間は、かくも興味深く魅力的なものたちを、つまり音楽と非音楽を、発明し今日まで育ててきたのだ。
音楽と非音楽が確かにここに在ることに、私は心躍らずにはいられない。


…と、興奮と感慨に浸りきっている脳内の思索世界から
現実へ
日常へ
私が私を連れて、跳躍。


そうだ。
私にとって
音楽することは生きることだ。
非音楽することは生きることだ。
だから私の暮らしは、
音楽と非音楽のあいだ=日常。


4年前、このような思考ののちに、最初のアルバムのタイトルを『音楽と非音楽のあいだ=日常』に決めたのでした。


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これは、2011年にリリースした1stアルバム『音楽と非音楽のあいだ=日常』の再リリースに寄せて、この作品を自ら改めて見つめ直し、記した雑文です。
4年前の自分と丁寧に応答しながら、不定期に、書き継いでいきたいと思っています。
2枚目のアルバムを準備しながら。

 

You Tube Music『音楽と非音楽のあいだ=日常』

https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mBXAE_lVUG1AHsXJGgvheZpni6JZrk7n4&si=cV7Kujc58Deer6Nv

 

Spotify『音楽と非音楽のあいだ=日常』

 


1stアルバム『音楽と非音楽のあいだ=日常』を再リリースしました。

2025-05-05 11:18:51 | 音楽

4年前にリリースした私のファーストアルバム『音楽と非音楽のあいだ=日常』を再リリースしました。
ディストリビューター(配信元)を変更し、曲名と曲順の若干の変更、リマスタリング(再度の音調整)をした11曲です。全曲私が作曲、録音、編集をしました。生ギターと声が中心の作品です。
You Tube MusicとSpotifyで聴けます。
この投稿にはYou Tube Musicの方をリンクしておきます。下にスマートフォンの画面の画像を貼っておきます。

https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mBXAE_lVUG1AHsXJGgvheZpni6JZrk7n4&si=z8WN7iGyOqS2qLxO

もしこの音楽に出会ってくださる方がいたら、嬉しいです。