Museum of Tahiti and Her Islands
タヒチ博物館
ここに、およそ 1世紀にわたり続いた
『ポマレ王朝 』 の歴史を見ることが出来ます。
Pomare I
ポマレ 1世 (1745年頃ー1803年 )
1791年、武力によりタヒチを統一し、ポマレ王朝を築いた初代王 ・・
(10月 6日のブログ参照 )
16世紀から17世紀にかけてスペイン、ポルトガルの来訪に始まり、
18世紀には多くのヨーロッパ諸国が
タヒチを訪れるようになりました。
ポマレ 1世が 『バウンティ号 』 の乗組員を
傭兵としたかどうかの真偽は別にして、
ヨーロッパ諸国の後ろ盾を得てタヒチを統一したことは、
間違いのない事実でしょう。
Pomare II
ポマレ 2世 (1774年ー1821年 )
父ポマレ 1世の跡を継いだポマレ 2世は、
キリスト教を受け入れ、自らも改宗します。
タヒチの島民は、
ヨーロッパの宣教師から異文化の洗礼を受けることになりました。
ヨーロッパ列強の中で、
タヒチに深く干渉していったのがフランスです。
Pomare IV
ポマレ 4世 (1813年ー1877年 )
ポマレ 4世は女王でした。
彼女は、パペーテを首都と制定しました。
パペーテの 『シティ ホール 』 は、
彼女の王宮をモデルにつくられています。
(10月 2日のブログ参照 )
Pomare V
ポマレ 5世 (1839年ー1891年 )
最後の王、ポマレ 5世 ・・
南太平洋の重要な拠点として
タヒチを手中に収めたかったフランスは、
再三再四ポマレ 5世に申し入れを行いました。
1880年、ポマレ 5世は、
ついにフランスの植民地となることを受け入れます。
ポマレ王朝が、
そのおよそ 100年にわたる歴史に幕を降ろしました。
ポマレ 5世の墓 ・・
列強の意向を受け入れ、
自ら王朝終焉の幕を引かなければならなかったポマレ 5世 ・・
その心労は、察するに余りあります。
ポマレ 5世の死因は、アルコール依存症だったそうです。
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