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Museum of Tahiti and Her Islands タヒチ博物館

2011年10月07日 | 南太平洋

Museum of Tahiti and Her Islands
タヒチ博物館

ここに、およそ 1世紀にわたり続いた
『ポマレ王朝 』 の歴史を見ることが出来ます。



Pomare I
ポマレ 1世 (1745年頃ー1803年 )

1791年、武力によりタヒチを統一し、ポマレ王朝を築いた初代王 ・・
(10月 6日のブログ参照 )

16世紀から17世紀にかけてスペイン、ポルトガルの来訪に始まり、
18世紀には多くのヨーロッパ諸国が
タヒチを訪れるようになりました。

ポマレ 1世が 『バウンティ号 』 の乗組員を
傭兵としたかどうかの真偽は別にして、
ヨーロッパ諸国の後ろ盾を得てタヒチを統一したことは、
間違いのない事実でしょう。



Pomare II
ポマレ 2世 (1774年ー1821年 )

父ポマレ 1世の跡を継いだポマレ 2世は、
キリスト教を受け入れ、自らも改宗します。



タヒチの島民は、
ヨーロッパの宣教師から異文化の洗礼を受けることになりました。



ヨーロッパ列強の中で、
タヒチに深く干渉していったのがフランスです。



Pomare IV
ポマレ 4世 (1813年ー1877年 )

ポマレ 4世は女王でした。
彼女は、パペーテを首都と制定しました。





パペーテの 『シティ ホール 』 は、
彼女の王宮をモデルにつくられています。
(10月 2日のブログ参照 )



Pomare V
ポマレ 5世 (1839年ー1891年 )

最後の王、ポマレ 5世 ・・
南太平洋の重要な拠点として
タヒチを手中に収めたかったフランスは、
再三再四ポマレ 5世に申し入れを行いました。

1880年、ポマレ 5世は、
ついにフランスの植民地となることを受け入れます。
ポマレ王朝が、
そのおよそ 100年にわたる歴史に幕を降ろしました。



ポマレ 5世の墓 ・・

列強の意向を受け入れ、
自ら王朝終焉の幕を引かなければならなかったポマレ 5世 ・・
その心労は、察するに余りあります。

ポマレ 5世の死因は、アルコール依存症だったそうです。

jfk-world



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