JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

奴隷制度を経て

2011年11月22日 | カリブ

「ハーゲンセン ハウス 」 に飾られている多くの絵画 ・・
(11月 21日のブログ参照 )



どれも ローカル アーティストの作品です。



つまり、 『地元の人の作品 』 ですが、
セント トーマス島をはじめ、
カリブ海の多くの島々でいう 『地元の人 』 ・・ は、
ほとんどが奴隷として連れてこられた人々の
末裔ということになります。



かつて、南米から船で渡りカリブ海の島々に暮らしていた
アラワク、シボネイ、カリブなどの先住民族 (インディオ ) は、
15世紀頃からはじまったヨーロッパ人との接触により、
ほぼ絶滅してしまいました。
ヨーロッパ列強の
最初の労働力として利用されたのが彼らだったのです。
(11月 13日のブログ参照 )



次に労働力として利用されたのがアフリカからの奴隷です。
16世紀から 18世紀をピークに、
その数はカリブ海全体で 1000万人におよびます。



19世紀に入ると奴隷制度廃止の気運が高まり、
19世紀半ばには、カリブ海の奴隷制度は過去のものとなりました。



ハーゲンセン一家がこの家に暮らしたのは、
1837年から20世紀初頭にかけてです。
まさに、奴隷制度の崩壊とその後の時期です。



カリブ海の奴隷は、そのほとんどがプランテーションでの労働力で、
アメリカ南部のような家庭内奴隷は少なかったといわれています。
つまり、支配者と奴隷の交流はあまりなかった ・・ と ・・ 。



しかし、奴隷制度の崩壊と共に、
支配者と奴隷の関係に
隷属以外の新たな接点が生まれたことは確かでしょう。

そのひとつに絵画があるのではないでしょうか ・・



Camille Pissarro
カミーユ・ピサロ (1830年ー1903年 )

セント トーマス島生まれのフランス人画家 ・・
11才のとき勉学のためフランスへ帰国しますが、
その後何度か セント トーマス島とフランスを行き来します。
19世紀を代表する印象派のひとりです。



1881年頃のピサロの作品 『立ち話 』 ・・



ハーゲンセン ハウスに飾られている
ローカル アーティストの作品 ・・

一瞬を切り取った構図など、
どこか印象派の影響が感じられます。



奴隷制度という壁が取り払われ、
そこに人と人の交流が生まれたはずです。

そして、それを機に、
それまで奴隷であるために封印されていた才能が
一気に開花したのしょう。

カリビアン ミュージックなども同様ではないでしょうか ・・ 。

jfk-world











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