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プログラマーの考え事

32歳のフリー・エンジニアの考え事

「年金照合まず90億円 最終費用、見通し立たず」 現時点で必要なのは真のプログラマだ

2007-06-11 05:11:30 | Weblog
年金照合まず90億円 最終費用、見通し立たず

6月10日9時11分配信 産経新聞

年金記録紛失問題について、基礎年金番号に統合されずに宙に浮いた状態となっている年金記録約5000万件と統合済みの記録との全件照合費用が計70億円になるとの政府試算が9日、判明した。電話相談などの費用を加えると当面の事務的経費だけで90億円となる。ただ、支給漏れ分を回復させるための経費や、5000万件を正確な記録に修正するために手書き台帳と突き合わせる費用は含まれていない。このため、費用がどの程度まで膨らむかはまったく見通しが立っていない。
 不明年金照合などに必要な追加経費は、年金保険料を充当せずに全額税金負担する方針は決まっているが、必要な額は明確ではなかった。

 試算によると、安倍晋三首相の指示を受けて来年5月までに完了させることになった5000万件の全件照合経費は、プログラム開発費10億円▽有力な手がかりが見つかった年金受給者への照合結果と年金加入記録の通知費用50億円▽年金をまだ受給していない若者世代への通知費用10億円-の計70億円。
 これに、年金相談急増に対処するための、土日を含めた24時間対応電話相談や、11日からスタートするフリーダイヤル相談、窓口増設で費用20億円が必要になる。
 プログラム開発費、相談関係費は平成19年度予算で対応し、通知費用は来年度予算に盛り込む考えだ。
 一方、照合結果を確認するための事務経費や、記録認定の第三者委員会の運営経費といった通知後の対策費は、20年度予算に計上するとの方針は示したものの「精査中」としている。さらに、5000万件のうち、入力ミスや入力漏れを修正するために、社保庁のマイクロフィルムや市町村が保管する手書き台帳の記録との突き合わせ費用が必要になる。この突き合わせは専門家による手作業で10年近くはかかるとされており、年金照合費用は最終的には莫大(ばくだい)な額になるものとみられる。


(コメント)
今回の年金問題も、マスメディアの社会保険庁解体論に乗って、単なる堕落とへまだというくらいに思っていたが、このニュースを見て、それは、構造的問題であるということに気づいた。

システムというものは、最初に、基盤を堅牢にしなければ、後々で、

必ず!

必ず!

その付けが回ってくる。

今回、潜伏期間が終了し、その付けが浮き上がってきたのだ。

関係者もいつか問題が表面化するだろうとはっきりと認識していたはずだ。

最初に、しっかりと予算をとって、システムを構築すればこのような問題は起こらなかっただろう。

しかし、当時、まともな見積もりを出したとして、それを、関係者、および、国民が受け入れることができたであろうか?

システム開発の本質がわからなければ、当時、そのような予算の必要性など、理解できなかったに違いない。

人は最悪の結果が起こらない限り、原因を認識することができないのだ。

バカは死んでも直らない。

だから、世の中、バカばかりなのだ。

しかし、これを克服しない限り、真の幸せは決して訪れはしないだろう。

生まれ変わっても、必ず、同じ失敗を繰り返すのだ。

大東亜戦争(太平洋戦争)も、勝利という結果を得ることは、どだい、無理であったと識者は指摘していた。

日本にやってきたGHQは日本を統治するのに十分な規模であったから成功したのだろう。

イラク戦争にしても、開戦当初、軍部が要求した必要な要員数を送ることはできなかった。

本気で、イラクを統治するためには、おそらく、当初、軍部が要求した人員が必要であったのだろう。中途半端な人数では、中途半端なことしかできない。だから、内戦状態に陥り、泥沼にはまっているのである。
(一方で、それは意図的失敗という田中宇氏の説もあるが)


世の中は受け入れられないだろうが、
今、真に必要なのは真のプログラマだ!

システム開発では、上流工程である要件定義や設計のほうが重要であると考えられ、そこで多くの予算が消費されてしまう。

到底、そこで真の仕事がなされたとは思えない経験を幾度もしてきた。

最後にシステムが成功するかどうかは、結局のところ、いつも、プログラマの手にかかっていた。

魂が込められたシステムを作るためには、真の要件を理解し、真の設計を理解し、真のプログラムを「真のプログラマ」が書かなければならないのだ。

現状、上流工程ではそれができないのだ。これは構造的な問題だ。

一方で、真のプログラマなどめったに存在しないし、そのモチベーションも与えられないから、その力も出し惜しみされているだろう。

だから、プログラマは現状の社会的評価なのだろうが。


貨幣価値は数十年もたてばすっかり価値を変えてしまうが、真の正しい意識は時代を超えて普遍的である。

20世紀になって、真の正しい意識をシステムとして保存することができるようになった。


正しい意識をプログラムに反映させることができるのは、真のプログラマを置いて他にはいない。


自由と誇り -カムイ伝-

2007-05-28 01:42:57 | Weblog

人は自由と誇りを無意識に求めている。

いついかなる時代でも。。。

現代の拝金主義も、本質的には、「経済的自由」と「生きる意義」、つまり、「誇り」を求めているのである。

人はなぜ生まれなぜ生きねばならないのか?

本能的には、「自由」と「誇り」を得るために生きていくのだろう。

しかし、自由と誇りを犠牲にして、

表面的な豊かさの中で様々な矛盾を感じながら、

それをうまく言い表せずに、深く考える余裕もなく生きている現実を前に、


馬鹿になって生きていくしかないのである。。。


そうすることにより、秩序が保たれているのである。

無論、相対的には、日本は非常に秩序が保たれていると思う。


「分断して統治せよ」


例えば、徳川封建時代は、(幕府安泰の)秩序を保つために、藩が豊かになりすぎることを防ぐために参勤交代制度を設け、それが、民衆の貧しさに反映された。

藩は、(藩安泰の)秩序を保つために、民衆に「士農工商、」という身分制度を徹底した。

少数の特権階級が大多数の非搾取者を制するための、大多数を団結させないようにするための巧妙な仕組みである。

「真の富」とは何か?

ものづくり、
正しい心、
正しい知恵、
正しい知識

を融合させれば、人間に与えられた本来の力を持ってすれば不可能などないといえよう。

しかし、人類は団結することができない。人類を団結させることは危険すぎるのか?

いずれにしても、生きていく限りは、自由と誇りを求めていくのだが、一方で、誰もが、他人に対して自由と誇りを与えたくないと深い無意識のレベルで思っているのではないだろうか?

それを克服しないといけない。

私は現代における「真の富」とはものづくりであると思う。

例えば、「真のプログラミング技術」であると思う。

そこには、真のプログラムには正しい本質的な意識が埋め込まれるだろうと思われる。

世間常識的には、末端技術と思われがちだが、ここにこそ大きな可能性が潜んでいるのである。


その扉を誰かが必ず開けるだろう。


人類の思考スピードと思考レベルを、

一段階上昇させることのできる可能性があるのは、

プログラミン技術以外にはない。


具体的にはどうすればよいかって?


その答えこそが、その思考過程でさへも

「真の富」だ。


宇宙の真理 【存在】って何だ!【意識】よ!

2006-11-24 05:50:30 | Weblog
35世紀、ついに人類が滅亡し、これから30億年間、新たな人類の誕生を見守る使命を火の鳥より託されたマサトは、「宇宙の真理」を見にいくために、無限小の宇宙、無限大の宇宙がつながっていることを確かめさせられに行くため、肉体を抜け出した。

火の鳥:あなたはもう肉体から離れているのよ。あなたはいま「存在」だけなのよ
マサト:「存在」って何だ!
火の鳥:「意識」よ

この世は、バーチャールであり、映画「マトリクス」のように、仮想現実なのであろうか。
本当にあなたの知覚する世界は存在しているのだろうか?
あなたが知覚するからこそ、世界は存在するのではないだろうか?あなたがいなければ世界は存在しないのではないだろうか?
本当は実験室で脳にチューブを埋め込まれ仮想現実を知覚させられているのではないだろうか?あなたが実物世界を5感で感じとっているように見せる電気信号を送られているだけではないだろうか?
本当は、夢なのではないだろうか?

そういえば、数字の零は、特異な数字であり、ゼロが「存在」するゆえに、分配法則などの数の法則が普遍的に通用しないのである。無限と零は表裏一体であり、人類レベルで知覚できる普遍的真理を拒絶している。
ゼロとは「存在」しないことを意味しているのだろうか?しかし、ゼロは、多くの数の法則の矛盾を一手に引き受けてくれるからこそ、極限の概念などが生まれ、数学が発展したのである。

北極に住むシロクマは、力では敵なしであるゆえに、我こそは王だと思っているだろう。
同様に、ライオンや象もそう思っていることだろう。
人間も生物の頂点に立っていると思っているだろう。
全ての生物がそれぞれの世界観を持っており、また、各固体ごとにも、固有の世界観を持っているのだろう。
昆虫が感じる世界は、人間が感じる世界とはまったく異なる世界だろう。そこには人間の存在などないのだろう。
固体ごとに、それぞれ苦しみ楽しみ、独自の世界観を持っているにもかかわらず、自分の感じる世界が、唯一全てだと思い込んでいる。個別の生命が知覚する仮想現実の主役は「自分」あり、「唯我独尊」なのだ。

例えば、
人間は何度も滅んでは生まれ栄えまた滅ぶことを何度も繰り返しているのだが、その輪廻転生の存在には気づくことはない。

全ての事象の「原因と結果」は全て自分の「思い」の結果であるのだが、その存在を知らない。
集合的無意識の存在も知らない。
「原因と結果」の法則の「存在」を知らなければ、それは、神のみぞしる領域となる。

災害->飢饉->病気->社会不安->戦争->破壊->復興->成長->バブル->崩壊->、、、

それらの「原因と結果」の法則の存在を知らなければ、宇宙の真理を追究することもないのだろう。
天才の胸中は、凡人には知る由もない。
女性が感じる痛みを男性が理解することは難しい。その反対も然り。
凡人がいきなりマラソンを完走するには、想像を絶する苦労をしなければならないが、修練しているランナーであれば、やりがいのある大仕事でもあろう。

それぞれが知覚する世界は、やはり、それぞれなのである。
皆が同じ世界を共有することは、非常に困難なことであり、また、逆に、正しい思いであるならば、かけがえのない事でもある。

社会が唯一「存在」するのではないのである。むしろ、生命の数以上に、あらゆるもの視点が世界として「存在」するのである。

人の痛み、すなわち、世界観を分かちあうことは、生命にとって至福のひと時である。

生命を正しく使うということは、こういうことである。

肉体を持つ限り、世界観を一にすることはできないのかも知れないが、最終的には生命の「意識」が無意識レベルだけでなくひとつにつながることが、いける人も、死せる人も、獣も、山も海も風も大地も空も宇宙も、生きとし生けるもの、魂を持つもの持たないもの、森羅万象、

つながっていること、

「原因と結果」の法則を知覚できること、

「因果応報」を知覚できることが、

宇宙の真理であろう。


原始時代の人類は、現代の文明の繁栄の「存在」を知らない。
逆に、現代人には、原始時代の生活が過酷であったという教科書的な常識しかない。
しかし、私はふと思った。現代人よりも、平均寿命は短かったかもしれないが、生命の本質的な生き方をしていたのではないだろうか。
彼らが現代よりも、「正しく」生きていたのではないだろうか?少なくとも、我々が優越感に浸るのはおこがましいであろう。彼らが生きてくれたからこそ、我々が「存在」するのであるから。

江戸時代も貧しかったというイメージがあるが、果たして、彼らが現代のストレス社会の本質を知ったならば、うらやましく思うであろうか?
実際のところ、現代程の、精神的・肉体的に過酷な労働を強いられていたのだろうか?
自宅でさ仕事のストレスを感じていただろうか?
案外、現代と比べると、のんびりと、平和な毎日であったのではないのだろうか?
少なくとも、多くの人が現代よりもつながりあっていたという点では幸せであったのではとも思う。

天災・飢饉・病気は現代と比べ物にならなかっただろうが、彼らが知覚した世界は、現代の我々が知覚する世界と比べて、圧倒的に幸せであると思うのは、やはり、自分とは異なる相手の世界観の存在を知らないゆえであろう。

人類は、宇宙の真理には程遠いのである

井の中の蛙は大海の存在を知る由もない





真の富とは プログラミング技術

2006-11-24 05:36:56 | Weblog
プログラマは、肉体を酷使するガテン系ではないので、年々、経験を積み重ねて脳力が鍛えていかれる。

60を過ぎても、ますます、熟練技術に磨きがかかり、人間国宝級の「真の富」になるであろう。

プログラマは体力のある若いうちにしかできないという考え方は、
本気で熟練技術を見につける気はないという考え方である。

プログラマを利用する側に回ることが社会的に有利であるという考え方は、
現時点では、社会一般に浸透しているが、いずれ、パラダイムシフトするだろう。


人類が力を求める「力の論理」は、国家レベルではなく個人レベルでは既に終わっている。

いずれ、拝金主義である「資本の論理」も終焉を迎えるだろう。

その次に、登場するのが、「知の論理」である。

宇宙の真理を求める時代がやって来るのである。




宇宙の真理 火の鳥はいつも思うのだ

2006-09-17 05:30:22 | Weblog
火の鳥はいつも思うのだ。

生物が滅びてまた現れて進化して、栄えて滅びた・・・

火の鳥の前で何度繰り返されたことだろう・・・

どんどん文明を進歩させて結局は自分で自分の首をしめてしまうのに。

「でも今度こそ」

と火の鳥は思う。

「今度の人類こそ、きっと、どこかで間違いに気づいて・・・」

「生命を正しく使ってくれるようになるだろうと・・・」

(参考:手塚治「火の鳥 未来編」)


「火の鳥 未来編」によると、人類は25世紀に文明の頂点に達し、その後、徐々に衰退し、やがて超水爆により完全に滅びしまう。

そして、何十億年か後に、また、新しい生命が生まれ、また新しい人類も生まれる。。。

恐ろしい予言であるが、妙に信憑性を感じる。

現在は21世紀でまさに科学が、半導体を与えられたことにより、急速に、加速度的に進歩している。

しかし、人類にとって大事なことは今も昔も未来も、「仏・法・僧を篤く敬うこと」である。

・仏とは宇宙の真理を知ること
・法とは正しい決まりを知り、それを実行すること
・僧とは正しい人を知り、学び敬う事

たとえ、どんなに科学が進歩し、文明が発展しても、宇宙の真理に反しているならば、そこには何の幸せもないことに気づき、やがて、人類はなぜ生き続けているのかが見えなくなってしまうのだろう。

人類はそのエゴゆえに進歩しているが、それを克服することが与えられた使命なのか?

「仏」とは、宇宙の真理であり、無常であり、あるがままであり、自然である。
科学の進歩は宇宙の真理を目指すべきである。
短絡的な利益を求めるために出し惜しみするのではなく、多くの人が、その恩恵を受けるべきであり、お金ではなく感謝という形で科学者に報いるべきである。


「法」とは、正しい決まりであり、宇宙の真理に少しでも近づくために、人類が自然にあるがままに守るべきものある。
残念ながら、正しい決まりと、法律とはかけ離れているだろう。。。


「僧」とは宇宙の真理、正しい決まりを教えてくれる人たちである。
正しい決まりを教えてくれる人は、手塚治のようにほんのわずかしかいないのだろう。
手塚治は、自分の持っている正しい決まりを多くの人に教えてくれるために、亡くなる直前まで、精力的に膨大な量のマンガを残してくれたのだろう。


我々は、偉大な人が残してくれた教えを一部だがデータとして保存することができ、多くの人がそれを享受することができるようになった。

ソフトウェアが果たすべき責務は無限となった。

正しい決まりも保存されることとなった。

正しい人の行いも保存されていることだろう。

悪い行いも記録されることとなった。

表に出てこない悪い行いも必ず、後世には解明されるだろう。

時間はかかるだろうが、宇宙の真理を目指したいと思う。