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年表でたどる日本の果物受容史

果物がどのような歴史をたどり,私たちの生活の中に受容され,定着してきたかを知る一助とするため,作成してみました。

明治時代(4) 明治15~18年

2010-08-06 08:17:22 | weblog
1882年(明治15)

◇4ー10 新聞に,「濠州へ柿苗を輸出」と報じる.「三田育種場にて培養せられたる柿の苗木を多く濠州へ差送らるゝよしなるが,是は彼地にある御国(みこく)人 が,該地に売捌んために注文ありしなりと云う」と報ず.
◇5 農商務省農務局育種場編『舶来果樹目録』(52頁),『舶来果樹.穀菜目録及繁殖 略表』(4頁)〈『舶来果樹目録』付録〉有隣堂.
□6ー25 日本銀行条例を定める.10月10日営業開始.
◇11ー13 桂二郎著『葡萄栽培新書』(110頁) 玉井治賢 刊行.
 *桂二郎(1857.1.17~ ?,安政3.12.23~ ?)は政治家桂太郎(1847~1913)の実弟. 兄の赴任とともにドイツに留学し,当時最高の銘醸地といわれていたラインガウ地方 のガイゼンハイムの葡萄栽培葡萄酒醸造学校に学ぶ.帰国後,1876年(明治9)山梨県 立勧業試験場でブドウ栽培の技師として活躍し,その後,北海道に渡り札幌葡萄酒醸造 所に勤務.現サッポロビールの前身会社の社長などを歴任.没年を調べているが,不明.
◇11ー29 海軍省医務局副長(のちに男爵)高木兼寛(かねひろ,1849.10.30~1920.4.13, 嘉永2.9.15~大正9),脚気と食物の関係を調べ,麦食推進の意見を天皇に上奏.
 *兼寛は翌年海軍兵食を麦飯に変更し,脚気予防を行う.脚気罹患率が1,000人当たり
3~5人に激減.成医会講習所(東京慈恵会医科大学の前身)の設立者.
◇11 福羽逸人著,衣笠豪谷訂『紀州柑橘録』(127頁,図版40枚)有隣堂.
 *衣笠豪谷(きぬがさ・ごうこく,1850~97)は岡山県倉敷出身の勧農局の技師.清国視察の際,天津,上海からモモの穂木を持ち帰り,岡山などの勧業試験場で栽培されたという.
◇12 米価1石7円10銭になる.1879年(明治12)末に比べ45%暴落.


◇播州葡萄園内にガラス室設けられる.
 *岡山県のブドウ作りの先覚者山内善男(やまのうち・よしお,1844.5.28~1920,天保15~大正9),大森 熊太郎(1851.5.16~1902.7.23,嘉永4~明治35)の両氏,度々同園を訪れ,福羽逸人園長の  指導を受ける.
◇農務局育種場,『舶来果樹栽培及び繁殖略表』を出版.
◇外人専用のラムネ,この頃から日本人も飲用しはじめる.
◇赤堀峯吉(1816~1904),東京日本橋に一般家庭の子女に料理を教える日本初の料理学 校「赤堀割烹教場(赤堀料理専門学校の前身)」を開設.
 *当初,生徒は僅か10人だったという.明治43年には400人を数える.
◇fruitの訳語……果子【柴田昌吉・子安峻同著『増補訂正英和字彙』】.


1883年(明治16)
◇3ー3 「郵便報知」に,近年新潟県でナシを作ることが流行し,到る所にナシ園がみ られ,利益も少なからずあるが,1昨年来は虫害を蒙り,価格が従前の4分の1に低落. このため,新潟勧農場ではナシで酒を造ることを試み,好成績が得られたので,あまね く醸造法を伝えると報じる.
◇8 三田育種場で果実品評会,果物模造品アルコール漬の参考品数十種.
◇11ー28 元薩摩藩装束屋敷跡(現千代田区内幸町1丁目の大和生命ビル)に,「鹿 鳴館(ろくめいかん)」オープン.内外の高顕官・淑女約千余名集まり夜会,舞踏会夜 半に及ぶ.成島柳北,「鹿鳴館落成式記」に「外務卿某婦人と與に主人格になり,夜会 を開き,以て之を落す。内外の嘉賓来り会する者一千余名。夫人と共に招かるる者多し」 と記す.
 *鹿鳴館は欧米列強との不平等条約改正の交渉を円滑に進展させるために建築された国  際的社交場.建築,服装,料理など,文化・風俗の近代化に演じた役割は少なくない.◇11 福羽逸人稿「鳴門蜜柑解説農産品評会出品解説〈論説〉」大日本農会報告


◇12 三田育種場,種苗払下げの広告を出す(『明治前期 勸農事蹟輯録』).
 本年新収ノ種苗左ノ代価ヲ以テ拂下候間有志者本場植物部へ照会アルヘシコノ段広告状 候也
       明治16年12月    東京三田四国町  農務局育種場
           
     品   種       種  類    1本ニ付價直
  欧州 米国  苹   果      105      5銭
   同  同  葡   萄       75      3.5
   同  同    梨        124      3.5
  欧米 清   桜   桃       31      3.0
  米  国   洋李(プラム)      1      3.0
  欧州 米国    杏         19      3.0
   同     桃           16      3.0
  清  国  水 蜜 桃        1      4.0
    以下略
      (但シ二百本以上1割引,五百本以上1割半引,千本以上2割引)


◇福羽逸人稿「播州葡萄記事」(農事報告第19号),同園の開設,栽培,醸造などについ て記述,関係者に多大の示唆を与える.
◇青森県中津軽郡の藤田葡萄園,欧,米両種の葡萄を栽培し,醸造葡萄の先駆をなす.

1884年(明治17)
◇1 松方デフレ政策の強行で,諸物価下落.
 *1881年(明治14)1石14円40銭に高騰した米価,4円61銭に急落.この年,農村は深刻 な不況に見舞われ,各地に農民騷擾が多発.
◇2 武内久?稿「温州蜜柑解説第5回農産品評会出品解説〈論説〉」大日本農会報告.◇4 葡萄組第四分社 橡谷(とちや)喜三郎編『葡萄効用論』(和12丁) 名古屋  伊東昌見 発刊 *米穀からの醸造に代えて葡萄酒醸造を提案.
◇4 大阪の藤江卓蔵,『葡萄剪定法』(和2冊〈上26丁,下38丁〉)を著わす.
◇6 農商務省,『内国産穀菜果一覽図解 柿実ノ部』 有隣堂 
◇8 竹中卓郎著『舶来果樹要覧』(144頁)大日本農会三田育種場出版,定価50銭(古 書価格,平成4年12月,3万5千円,定価の7万倍).
 *掲載果樹 購入希望者は申し込むこととなっている.
 ・漿果類 葡萄100種,無花果(いちじく)4種,ラスプベルリー(懸鈎子〈きいちご〉の類)1種,  くろいちご1種,すぐり2種,ふさすぐり2種,おらんだいちご7種.
 ・仁果類 苹果(をほりんご)108種,梨126種,榲?(まるめろ)3種,メドラー1種,甜橙(オレンジ)  1種,黎檬(レモン)1種,シトロン(黎檬の類)2種,石榴(ざくろ)1種.
 ・核果類 櫻桃(みざくら)31種,桃17種,油桃6種,杏(あんず)19種,プラム(李の類),阿利  襪(オリーブ)1種
 ・乾果類 榛(はしばみ)2種,胡桃(くるみ)1種,扁桃(アーモンド)
□10ー31 埼玉県秩父で秩父事件起こる.不景気に悩む農民が旧自由党の指導の下に 借金の年賦償還,村費半減,地租軽減を要求して蜂起.
◇10 千葉県松丸村(現いすみ市,旧夷隅〈いすみ〉町)の斎藤覚次郎,『果実製造要覧』(和13丁)を著わす.
◇12ー26 前田正名,在来諸産業の振興策の大綱『興業意見』(30巻)発表

◇青森県弘前のリンゴ士族グループの菊池楯衛(1846~1918),佐藤弥六(1842~1923) 楠美冬次郎(1863~1934)ら,津軽産果樹会を設立.
◇この頃,リンゴの苗木仕立と販売を始めた青森県弘前の士族,宅地栽培から1町歩以上 の園圃栽培に拡大し,その数,10名以上に及び,その急激な増殖ぶりがうかがわれる (『青森県りんご発達史 第3・4巻』).
◇青森県弘前の化育社改め私立農談会が,穀菜果実私立品評会を開催し,リンゴが初めて 品評会に出品される.
 *この品評会はこの年同じ弘前で開催された官設の青森県米大豆麻生糸共進会がリンゴ  を含まないのを不満として開催されたものである.明治20年地方物産私立品評会と改  められ,県下一円を対象に実施(『青森県りんご発達史 第3巻』).
◇現東京都稲城市のナシ栽培者・川島吉蔵ら13名,共盟社を設立し,苗木・肥料・容器な どの共同購入,販売を行う(『農業風土人物誌 東京』).
 *明治末年には水田の梨園化が進み,東長沼・矢野口を中心に栽培面積が増加し,販路  も横浜・東京市内へと拡大した.


1885年(明治18)
◇1 田中芳男稿「リンキ解説[ベニリンゴ]〈論説〉」大日本農会報告
◇7ー16 日本鉄道株式会社,宇都宮で初めて駅弁を売り出す.梅干入りの握りめし2 個,たくあん付で5銭.
◇11 静岡県の業者,ミカン500箱をサンフランシスコに初輸出.みかん輸出の始まり *カナダ,アメリカに渡った日本人移民向けに輸出されたもの.
◇12ー22 太政官制を廃止して,内閣制を採用し,第一次伊藤博文内閣が成立.初代 の農商務大臣は土佐出身の谷干城(1837~1911,天保8~明治44)
◇12 「女学雑誌」,女子の学科に割烹(料理)の科目を加える必要性を説く.

◇宮内省の内苑頭福羽逸人(1857~1921),ヨーロッパからメロンの種子をとりよせ,栽培 を開始.
◇この頃,早生温州ミカン,現大分県津久見市青江で,普通温州の枝変わりとして発見さ れる.
◇この頃,ミカンの液に酒石酸の酸味を加えた「ミカン水」,新聞広告にみえる.
 *ミカン水は洋酒と同じ扱いをうけ,値段も高価.一般に普及するのは日清戦争後の明  治27~8年頃.
◇青森県藤崎村(現藤崎町)に,大規模なリンゴ栽培を目的とした株式組織の敬業社が設 立される.7町5反歩に及ぶ荒蕪地を年米3斗7升5合で借入れ伐根整理し,翌19年4月東京 三田育種場と弘前から苗木を購入して栽植(『青森県りんご発達史 第3巻』)
 *栽植6年目から結実し始めたリンゴは1861年(明治24)から配当を開始し,その配当  額は毎年増加し,世人の羨望を集める.すなわち,1株10円に対して24年7円,25年8  円,26年10円,27年11円11銭,28年20円にのぼり,29年にはついに30円(30割)とい う破格の配当となった.
◇青森県弘前で,宅地内に競ってリンゴの植栽が始まる.

◇山梨県東山梨郡奥野田村(現塩山市)の雨宮竹輔(たけすけ,1860.5.28~1942.6.18,万延1.4.8 ~昭和17),小沢善平の指導をうけ,デラウェア種(米国種)の栽培に成功し,県内に広まる.デラウェア時代の基礎をつくる.1956年(昭和31)に塩山市の雨宮橋際に彰徳  碑が建てられた.事蹟については,『葡萄の父 雨宮竹輔翁』に詳しい(『山梨百科  事典 増補改訂版』).
◇フランスのボルドー大学・ミラーデ教授,ボルドー液(硫酸銅と石灰乳の混合液)を発明. *日本では1897年(明治30),茨城県牛久の牛久シャトーのブドウ園で初めて使用され,  全国に普及する.
◇山形県,東京の三田育種場から24品種の桜桃の苗木を取り寄せ,広く県内に配布.
◇柴田承桂訳『百科全書 果園篇』 東京 有隣堂
◇凶作のため,各地で野草,木の芽,松葉のだんごを食用,囚人の食糧であった麦の搗殻 を食べる者がふえ,麦の搗殻1升8厘に高騰.


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