こんばんは!
先週、お盆休みをいただいて、お墓参りを兼ねて実家に帰省いたしました。
わたしの地元はかつて、石炭で栄えた歴史があります。
その中でも近年「世界遺産」に登録された炭鉱跡があります。
明治の初期から昭和6年まで三池炭鉱の主力として活躍した「宮原坑」
わたしが、地元で生活していたころは頻繁に近くを通っていたのですが、その頃は全く興味がなく、「古い建物やなあ」くらいにしか思ってなかったのですが、この年になり、地元のことをもっと深く知りたいと思いだしたのは、やはり年のせいなのかなと思ったりもします💦💦💦
そんなこんなで、いった参りました「宮原坑」へ
入場は無料です。しかも、ボランティアガイドさんの丁寧な説明付き☆彡☆彡☆彡
かつては、囚人たちが採炭に従事していたそうです。
過酷な労働条件であったため「修羅坑」とも呼ばれていたそう。
この「やぐら」は稼働していた当時のやぐらだそうです。
すごいな!
当時の施設もしっかり残っています!
当時使われていた石炭を運ぶトロッコ
石炭の街で生まれて、地元にいたころは全く興味がなかったのですが、こうやってちゃんと学ぶと故郷のルーツが少しわかったような気がしています。
この経験で「石炭」にとっても興味をもったわたしは、同じ世界遺産の「軍艦島」に急に行ってみたくなり、思い立ったら即行動ということで、、、、、
行ってきました「軍艦島」
正式名称は「端島」というそうです
軍艦島の歴史は
1810年ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。
石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年には5,267人が住んでいました。
当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほどだったらしい。
島内には、病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していたとのこと
しかし島の半分以上は鉱場。
その残りの土地に病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並んでいたため、建物と建物の間はとても狭く、島全体が家族のように仲良く暮らしていました。
繁栄を極めた軍艦島でしたが、、主要エネルギーであった石炭がその座を石油へと移ることにより衰退の一途をたどります。
1974年1月15日に閉山、この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となりました。
今でも当時の繁栄を物語る佇まい
そして、上陸!!!
奥に見える建物は当時の学校だそうです。
1階から4階が小学校、5階、7階が中学校
明治から昭和にかけて日本のエネルギーを支えた「石炭」
「石油」等のエネルギーに変わるまで日本の経済成長を底から支えた歴史を学び、たいへん勉強になりました。
この経験を、WINの生徒たちにもしっかりと伝えていきたいと思います。
羽ばたけ! 未来へ!!
夏期講習も後半戦!
頑張るぞ!!!