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daily round

時には書くために考える。

世界を見つめて踊る 11年目

2013-01-01 02:29:20 | 日記
2013年を迎えました。

2012年は、自分の限界が見えた年でした。
悪い意味ではなく、どこまで自分の手を伸ばす事が出来るのか、どこまで遠くのものに手が届くのか、って、
自分の今の能力を正確に把握することができたという、いい意味です。

この意味に気付くために、遠回りや無駄な事、すべきではなかった事、思い出して辛くなる事などたくさんの出来事を重ねました。
具体的な話は挙げればキリがないけれど、それを挙げた所で自分にしか伝わらない事なので止めておきます。
もちろん、誰か具体的な読み手を想像しているわけでもないし、そもそも誰かに読んでもらうためにここに書いているわけではないのですが。

僕は、今年という一年を自分に正直に生きようと思います。
欲望のままに、ということではなくて、自分の正直な気持ちに嘘をつかない、本当の自分を裏切らない様にする、ということです。

誰かと過ごす時、誰かを何かをする時。色んな『自分以外の誰か』と接する日常のあらゆる場面で、
「こうするのが効率がいい」「これが正しい解だ」という、論理や仕組みにばかり気を取られていました。
気を取られていたというよりは、半ば強迫観念に囚われてました。
自分の気持ちや自分自身の存在を無視した、計算式に代入された人間Aとして振る舞っていました。
自分で考えて選んだ振る舞いが、少しずつ自分の首を絞めていく様を自覚していくのは何とも言えない気持ちでした。
最後まで人間Aとして求められる振る舞いを演じ切れなかったせいで、自分と人間Aの性格と振るまいが混ざってしまい、
人からの信頼とかを失ってしまったように感じます。

だから、自分の本当の素直な気持ちで生きて、本当に自分で無様に壁にぶつかって、それを乗り越えて行きたいと思います。
必要以上に自分をよく見せようとせず、卑下もせず、自信のあることには胸を張り、分からない事や辛いことを我慢して強がらずに、
他人に対しても誠実に、策を弄じて巧くコントロールしようと思ったりせずにいたいです。

なので、今年の目標となる一文字は『実』です。
誠実であり真実であり、実のある一年を過ごして、人として成長出来る様に、というそんな願いです。

今年はいい年なるといいな、いい年にしていこう。

*1:2012年の一文字は『虚』でした。虚無感であり、心にぽっかりと空いた「うろ」でした。
虚飾を纏い、虚言をつむぎ、その場を凌いだものの振り返ると何も残らなかった、空隙のような一年でした。

*2:何か妙にPV数が増えてて恐いです。
多分この前の日記で書いた検定云々で引っかかったのだと思います。
恐いね、個人情報を伏せつつ今後も日記していこう。
ちなみに余裕で受かってました。変なもんです。自分自身の実感とは高得点でした。





見えてくる自分

2012-10-12 01:24:10 | 日記
誕生日、でした。

半年ほど前に何かの記事で「10月10日が晴れの特異日というのは勘違い」という記事を読んだ。
今調べてみてもそれは正しくて、10月の晴れの特異日は14日であった。
で、今年の10日は夕方から小雨で、いつものように傘を用意していない自分は濡れて帰った。

25歳になって、何か大きな変化があったかと言われればそうでもない。
でも、18歳の頃から漠然と「24歳までで死ぬ気がする」という感覚を抱いて生きてきたので、
一つ自分の中の呪縛を打ち破った感がある。

この前の日記に関係するけれど、自分をキラキラする方に変えよう、そういう風に生き始めてる。
つい先日、人生数度目の眉毛いじりを敢行し、初勝利を収めた。
うまく整えるやり方に気付いてしまえば、それはあっけないもので、
そうして自分なりに満足のいく感じになった眉毛のおかげで日々がちょっと楽しい。
今日は休みだったので服を買いにいったのだけども、姿見に映る自分を直視することができた。これは素晴らしいことだ。

服と言えば、ついさっき第二次いらん服ゴミ袋詰めを行い、さらに洋服ダンスの中が綺麗になった。
今回のポイントとしては、名残惜しい服を捨てた事。前回が「買ったはいいけどあんま着なかった」服を捨てたのに比べると、
踏ん切りを付けづらかったのだけど、一着ゴミ袋に入れてしまえば、その後は案外あっさりと次々捨てられるようになった。
次は本、雑誌かな。

服と言えば、何か最近カットソーが増えてきた。面白い傾向。
もう少しだけ胸筋を鍛えたらもう少しシルエットがしっくりする気がするので、頑張る。
筋トレは、なんていうか、うまいこと日々のルーチンに追加できないので、もう少し工夫する必要がある。


内面を変えるにはまず外側からというのは真実だと思う。
とりあえず、自分の部屋を変質させて、自分自身も変身させたら、きっと行動パターンも変わる。
そう信じて、これからも頑張るのだ。

change all the time

2012-10-07 03:11:01 | 日記
自分の趣味はオタク趣味だ。それは間違いない。
それを否定する気もないし、後ろ暗さも感じていない。
でも、オタク趣味に囲まれて過ごしていればそれでいいというわけではなく、
アクティブなこともしたいし、何かカッコいいこともしたい。
お洒落もしたいし楽しい場所にもいきたい。
キラキラしていたいし叫ぶほど笑いながら遊びたい。

社会人である以上、僕は自分の時間のかなりの時間を仕事に拘束される。
で、どうにかして自分のための時間を捻出して、その時間を自由に使う。
ほとんどをオタク趣味や読書に費やす。

本当は、オタク趣味を仕事で消化できたら最高なんだけど、今の所それは出来ていない。
自分の描く理想っていうのは、いい歳をして恥ずかしいけれど、そういう仕事をしつつ、
オフの時はアクティブで見栄えのいい行動をして過ごしたい、そういう感じ。

どちらにせよ、現状のままだと、そのアクティブで見栄えのいいことをする時間がない。
というか、そういうことをする方向にすら向かえていない。


だから、なんていうか、無理矢理にでも変えようと思います。
自分は意思が弱いから、とりあえずオタク趣味の割合を減らそうと思う。
オタク趣味の物を捨て、意識して普段自分がチョイスしないことをして、変えていく。

もうすぐ25歳だし、いいタイミングだ。
頑張ってみよう。

十年一昔

2012-08-27 03:09:15 | 日記
毎年この時期になると気分が落ち込んでしまう。
体調も優れないし、何より気持ちが内側にこもる。

6月から7月にかけて、いつも指先に軽い痛みと痒みが起こって、それが収まる頃、あたりはすっかり夏になる。
その夏が終わる頃、日の長さが短くなり始めるのと呼応するみたいに、一日の内で気落ちする期間がどんどん長くなり始める。
理由はよくわからない。バイオリズム的な理由かも知れない。とにかく、事実として気分が落ち込む。



朝起きるといつも頭が痛くて意識も中々覚醒してくれなくて、そもそもどれだけ目覚ましかけても睡眠時間を取っても就業時間にギリギリの時間まで目が覚めなくて、だから職場に10分くらい遅刻して到着して、席に座った瞬間お腹が痛くなって、でも仕事が始まってしまった以上気持ちは既に「如何に早く仕事から抜け出すか」に切り替わり、表面上は他の職場の人たちと軽快に会話を交わしながら、取引先に電話したりメールしたりしつつ、そんな風にして12時間近くの時間を過ごす。
電話をかけるのは嫌いじゃない。国内であっても海外であっても、必要があるならば掛ける。もちろん言葉の壁はある。向こうの言っている事が聞き取れない事はたくさんある。自分の知っている単語でも、そこから想像する発音と実際の発音が違い過ぎて理解するまで時間がかかることもしょっちゅうだ。
アジア系の”r”を強く巻いて発音する英語は聞き取りづらい。そもそも国際電話はどこか受話器越しの声が聴こえにくい。
それでも本当は電話をかけることは嫌いではない。だけど仕事中に電話をかけるのは嫌いだ。
多分それは、会話の内容、ここでは仕事で扱う諸々の内容を自分がしっかり理解できていないからだ。
一口に電話と言っても、まず一つに言語の問題、他にも会話の内容への理解度があり、さらには”それをどう伝えるか”という、異なるポイントがある。
僕は個人的に、内容への理解度が低いのだ。そしてそれを理解するつもりもないのだ。
理解が無いから、伝え方を工夫できない。相手が何を思いどう判断するのか予測もできない。それ故に会話が成立しない。会話が成立しない状態での非母国語コミュニケーションなんて上手くいくはずが無い。
それでも受話器の向こう側のお客様に迷惑や不快感をかけるのは嫌だし、満足感を与えられなかったというのは自分のプライドが許さない。
だから上司同士の会話を盗み聞きして知識や応答方法を盗むし、常に一番伝わりやすい会話の仕方を模索するし、必要であれば英語の勉強もしている。

だけども。
おかげさまでそれなりにプライドは守れていて、「あいつはそこそこ仕事出来るからきっと大丈夫だろう」という、信頼なのか丸投げなのかわからない評価を頂きつつ、でもやっぱり気持ちが追いつかない。
プライドだけで興味の無い仕事は出来ない。
”出来ない”自分を露呈することはないけれど、別にこの仕事で”出来る”自分を見せつけたいわけじゃない、”出来る”自分になりたいわけじゃない。
こうありたいという明確な目標もロールモデルも持ち合わせていない。
いつも思うのは、出来ない奴だと思われないようにする、出来るだけ手抜きをして楽にする、でもやるべき事は最低限こなす、それくらい。

仕事を終えて家に帰ると、疲労がものすごい。風呂に入り損ねる頻度も最近増えてきた。一度家に帰ると、もう動けない。
頑張って風呂に入って、寝て、起きたら仕事ギリギリで、また仕事して、帰って、寝る。

唯一胸を張って趣味だと言える読書をする気力も無い。アニメも録画が貯まる一方だ。ゲームも気晴らしに買ってみたはいいものの、最初のステージの序盤で飽きる。すぐ投げる。
何となくネットの記事を数件見て、タバコ吸って、水飲んで、たまにご飯食べて寝るだけ。
今の所救いがあるのは、週末のオタク系イベントがあればそれに参加出来ているってことだけか。

ブログを始めてからずっと、何か生産的な事をしたい、と言い続けて、でも何もしないまま高校一年生からずっと過ごしてきて、今指折り数えてみたらもう10年目にさしかかろうとしていた。
自分の事を語る上で、10年というスパンが登場したことに今驚きを隠せないのだけど、とにかくもう10年目らしい。
10年あれば大抵のことは叶えられているはずなのに、それが出来ないってことは、結局努力が足りない、あるいはそもそも目的や目標がしっかり定まっていないからそこから逆算して何か行動を起こす事が出来ていない、ってことなんだろう。

いやだね、本当同じ事しか書いていない。

一体感×疎外感

2012-06-27 02:07:48 | 日記
日々生活していて色々な事を考えて、ああこの事を日記に書いてしっかりと記憶しておきたい、って思う事は多々あるのですが、
実際家に帰ると疲れてそのまま寝てしまったり惰性で本読んだりテレビ見てしまったりと、中々書けずに日々は過ぎてしまうのです。
これは世界の損失だ。そう、これは(自分の)世界の(個人的な)損失だ。

どうでもいい前置きはこのくらいにしよう。話がまとまらないよ。

(1)アイマスのライブに行ってきたよ!
先週の土曜日、アイドルマスター 7th Anniversaryのライブに行ってきました。横浜アリーナのやつ。
アイマス歴は驚くほど日が浅く、アニマスが始まってから(しかも放映時の7話から)という完全なるにわかなのですが、
驚くほどどっぷりとハマってしまい、ブルーレイは全巻揃えるわ(明後日最終巻発売!)、アイマス2(PS3)も買っちゃうわと、
あれよあれよとアイマスワールドに引きずり込まれたのでした。

で、ブルーレイの5巻とかそこらへんに、ライブの優先抽選購入券(日本語変だな)があり、何となく勢いで申し込んでみたのです。
アイマスファンの知り合いに何人かこころあたりがあったので、もし当たったとしてライブまでに熱が冷めてたらその人に譲ろうかな、なんて感じで。
そしたら思いのほかすんなりと抽選に当たってしまい、おおまじかーどうしようかな、なんてちょっと困ってしまった。

しかしながら、そうしてるうちにアニメも最終回を迎え、気付いたらもう最後観てて涙目、みたいなくらいはまってまして、
あのとき申し込んだ自分偉い、アイマスライブ行ってこそ人生だろ、みたいに思う様になってたわけです。

そんなこんなでライブ数日前。一緒に行ってくれることになった友人から「ライブの準備」サイトなるものをいただき、そこで驚愕。
「サイリウムは各キャラ(13人)のイメージカラー×数本ずつ」「曲のコールは云々・・・」「物販は始発から並んで数時間待機」などなど、
中途半端なノリと準備で向かったら痛い目を見るなと確信しました。
そっからはひたすら過去の曲やらなんやらを予習復習しまくり、物販のために前日夜に現地入りし、ネカフェでスタンバイ、朝5時には会場に向かうなど、
今思うとよくやったな自分と思うくらい気合い入れて本番に向けて歩みを進めていた訳です。
ちなみに物販は5時半に列に並び始め、9時に物販が始まり、買い終えたのが10時半という端から見たら異常な感じでした。
自分でも異常だと思います。ちなみに列の先頭は多分前日夜から並んでいたのだと思います。恐いです。

で、ついに開場ですよ!(ちなみに開場は17時)
事前調査で割と良い席を取れた事はわかっていたのですが、ステージセットがどうなってるかわからなかったので、ドキドキしながら入場。
んで席に辿り着くと、

すげー!めっちゃ良い席!ステージと、中央に設置された別ステージを繋ぐ花道の前から数列目!近い!

という感じでして、もうこの時点で鼻血出そう。
とりあえず並んで買ったTシャツとタオルを装着し、サイリウムの準備もして、ドキドキしつつ待つ。
隣の席の男性はアイマス猛者らしく、何だかものすごいオリジナルの法被を着ていた。
そしてライブを観に来たファンのサイリウム平均所持本数が半端無い。多分平均20本とかだと思う。
持ってくる本数が足りなさ過ぎた、と後悔。(自分は10本しか持っていかなかった)

時間通りにライブスタート!!
上手く言語化出来ないのが悔しいんですけど、
ゲームやアニメで聴いた曲が生で歌われているのを聴いてそれだけで興奮するし、
みんなが揃って同じ色のサイリウムを振って、綺麗に揃ったコールで盛り上げ、
中の声優さんもファンを盛り上げてくれる。
お互いがお互いの事を大事に思って、どんどんいい循環が出来ている感じ!なのかな、と思いました。

ライブは4時間にも及び、終わる事にはサイリウムの振り過ぎと飛び跳ね過ぎで体中が痛いし、叫び過ぎで喉も痛い。
でも幸せ過ぎてほわほわした気分でした。

ライブのセットリストに関して言うと、これも大満足で、
ないだろうなと思っていた竜宮小町のSmoky ThrillとかいおりんのDIAMONDとか聴けてびっくりしたし、ぬーぬーのNext Lifeはめっちゃダンスが色っぽくてかっこよかったし、メドレーは色んなメンバーが入れ替わり立ち替わりで息つく暇もないくらいだったし、
ラストの「いっしょ」ではもうウルウルでした。

今度のライブも絶対行きたい!と思いました。
ちなみに、チケットは結構取りづらかったみたいです。横浜アリーナ自体は15000人とかそこらへんのキャパがあるはずですが、
それでも取れなかった人がいて、しかも取れても遠いスタンド席の場合もあるらしいので、アリーナ席の良席だった自分はすごく運が良かったんだと思います。
本当によかった!

ちなみに翌日は朝6時から仕事だったのですが、ライブの余韻で放心状態だし、そもそも3時間弱しか寝られなくて眠いしでもうずっと白目向いていました。


<今回の反省点>
1、全曲fullサイズで覚えておくべき。知らない曲でも楽しめるけど、知っているといないとでは雲泥の差。
2、サイリウムは全色数本ずつ用意(振ってるのが一本だと寂しい)。更に言えば時間が経つと発光が弱まるので更に倍あると便利。
ベストは電池式のものを二本ずつ用意することか。
3、声優さんの愛称をしっかり覚えておこう。叫べるから。とりあえずはらみー!と叫んだとき相当幸せだったから。


で、ここ数日ライブの事を思い出しては考えているんですけど、何であんなに幸せだったんだろうか。
きっと一体感だよね。そりゃサイリウムとかコールとか、制限やルールがきついように思うけれど、確かにそれに従うと相当盛り上がる。
ライブの楽しみ方はそれぞれだけど、みんなが揃うと「自分一人が楽しんでいる」から「みんな一緒に楽しんでいる」って感覚になって、
ものすごい一体感が味わえる。
物販待機列もみんな紳士的だった。トイレに行きたい人は周囲の人に言えばみんなスペース確保しておいてくれるし、そうした優しさを悪用して横入りする人もいない。ルールをみんなが守ればみんなが一番気分良く楽しめるって知ってるんだろうな、って思った。


(2)話は変わってフェイスブック
FBを見ていると自分が友達少なくて色んな所に出掛けたりすることもなくて、ただ無為に時間を過ごしているような気になって胸が苦しくなる。
時々同世代の一般と言うものを確認しないとずれてしまうから、こころの落ち着いている時に見るのだけれど、それでも相当心が揺さぶられる。
会社の同期と旅行?パーティ?イベント?色んな写真がアップされてて、俺は一体なんなんだと思えてくる。
確かに趣味は充実しているけれど、けれどなんだ、足りない。自分が主体となって他の主体と同時に場を作り上げるようなそういう楽しみが不足しているのだ。
消費者的な楽しみ方しかしていないんだ。それだ。そうだ。
なんかつらい。そう思ってフェイスブックからログアウトしてまた日々は過ぎていく。

プロデューサーさん、現実ですよ!現実!

視界に入る/手に取れる

2012-05-30 02:57:00 | 日記
今年は何だか雷雨が多いですね。今日も夕方から深夜にかけて窓の外が雷鳴で賑やかでした。
ちなみにですが、今年の梅雨入りは6月7日あたりらしいですよ(うろ覚え)。


(1)本棚
去年の秋口に本棚を買いました。テレビとベッドがある部屋の端っこに設置してあります。
本の背表紙がいつでも眺められて、読み返したくなった時に手軽に手に取れるってとてもいい環境だなーって最近しみじみ思います。
確かこの本のワンフレーズがとても印象的だったなー、でもどんなのだっけ?って時にすぐに確認出来るし、
文体の雰囲気がなんとなく好きな本を、気の向くままにパラパラとページをめくりながら目を通すこともできる。
今までは、実家の本棚が小さかったので、読み終えた本は段ボールに入れて押し入れに押し込んでました。
でもそうすると昔になんの本を読んだのか、とか、中々見つからないから、ふと読み返したくなった時にすぐに行動に移せないとか、
不具合がたくさん発生してしまうのです。
うーん、やっぱり本棚買ってよかったなー。生活が潤うよー!幸せ!

ちなみに、購入した本棚はスライド式で、文庫本が370冊入るという代物なのですが、すでに満杯です。
本棚に入り切らない本も段ボール数箱分・・・。そろそろ仕分けシーズンかな、と思ってます。

(2)自炊とデジタル家電
雑誌の類いは自炊してPDFとかにしちゃいたいです。ニュートンのバックナンバーとか。それをiPadとかで閲覧したい。
そもそもiPad持ってないんですけどね、買いたいなー。デジタルガジェットはいつの時代も心をくすぐりますね。
買ったとしてもその能力を十全に使いこなせる自信は全くないのですが。
そもそも今使ってるケータイすらこのご時世に未だにガラケーなわけで、スマホ?なにそれ?な感じです。
iPhone5が出たら買おうかなーと思っているのですが。
仮にiPadを買うとしたら、せっかくなので出先で活用したいですね。でも外で使う時の回線契約と料金ってどうなってるのかな?
世事に疎いので3G回線とwifiの使い分けとかも「?」なのですが、
ポケットwifi一括にして自宅に引いてるネット回線を解約したらお財布に優しい?とかそんな感じにあやふやな知識しかないです。


(3)お部屋のお掃除
今自分が住んでいる部屋は、学生時代と比べると床平米で2倍以上の広さなのですが(そして家賃は1万円以上安い)、それ故に問題もあります。
まず、収納が多いせいでどこに何を仕舞ったのかわからなくなる。あと、収納の多さ故に片付けを怠ってしまうということです。
とりあえずここにしまっておけばいいや、一旦ここにおいておこう。そんな感じでポイポイ放置しっぱなしになっているのです。
この前は本を大人買いしたはいいけれど仕舞う場所が無いので一時的に押し入れの中においておいたら、その事を忘れてしまい同じ本をもう一度買ってしまうと言う大失態をしてしまいました(しかもハードカバー)。
なので、個人的に部屋の荷物の整理は結構急を要する案件だったりします。
特にどうにかしなきゃいけないと思っているのは衣服と書籍。書籍については上で書いた通りですが、衣服もまた酷い。
自分の手持ちの服を把握出来なくなってるせいで、気付いたら同系のシャツを何種類も買ってしまっていたりします。
なんとかしなきゃなー!とりあえず押入れに設置できるハンガーラックを買いたいと思います。その上で不要な服は捨てちゃおう。

服と言えば、最近になって昔着ていた服が着られなくなってきました。太ったと言うわけではなく、何か骨格的な意味で体格が変わってしまったと言うか。
昔はH&MでXSのTシャツを普通に着られる感じだったんですが、今は肩回りがきつい・・・なんでこんなに小さいTシャツを着られたんだろうと我ながら疑問に思ったりしています。
とりあえず、今後はショップの店員さんと相談しつつ、基本的にMサイズを着ていこうと思います。
昔からジャストフィットかちょっとタイトめなサイズが好きだったんだけど、上記のように自分にフィットするサイズが変わってきてしまってて、そのサイジングを自分で把握できていないので。


(4)カメラのレンズ
僕が今所持しているカメラはデジタル一眼が一台なのですが(コンパクトデジカメは液晶壊して以来買っていない)、なぜかレンズが望遠気味なもの一つしかありません。デフォルトのレンズが欲しいです。
接写用レンズ、とまではいかないのですが、今のレンズだと近距離の被写体を上手く写せないのです。
新しいレンズを買ったら雨の日のアジサイの写真を撮ってみたいなー。


(5)腕時計
就職活動時に買った腕時計が去年末に壊れて以来、腕時計無しで仕事をしています。内勤なので時計要らずといえばそうなのですが、社会人としてスーツから覗く手首に時計がないのはどうなんだ、というわけです。
個人的にバンド部分が皮のものが好きです。金属バンドはなんだか重々しい感じがするので苦手だし、皮バンドなら休日の私服にも合わせやすいので。
安めの時計でいいので、近いうちに買いたいなーと思ってます。美容院で読んでたファッション誌の腕時計特集で一目惚れした腕時計があったんですが、メーカーの名前忘れちゃいました。代官山か渋谷かどっかのセレクトショップで売ってるやつだったのですが。


(6)テレビ
40型のテレビが、最近小さく感じる様になってきました。慣れって恐い・・・。





大体そんな感じ

2012-05-06 03:47:48 | 日記
(1)帰省してました

世間ではGWとか盛り上がってましたが僕は不幸にもシルバーウィークでもありませんでした。
当初の勤務表では単発でしか休みが無く、「え、これゴールデンデイ?単数系?」とか思いました。
その後変更があり、なんとか二日だけ休みが貰えたので、急遽地元に戻りました。
一泊二日のとんぼ返りなので、出来れば交通費は低く抑えたかったのですが、休みが確定したのが四月の末も末だったので高速バスの空席は壊滅、
仕方なく往復とも新幹線で帰りました。(でも自由席なのがポイント。旅行計画立てない性格とちょっとした貧乏性ゆえに指定席あんま座らない)。

終えてみれば26時間くらいしか地元にいなかった訳ですが、これで交通費2万以上とかね、1時間滞在するだけで1000円ですよ!地元って恐い!
とか思うのかなーと思いきや、凄く満足だった。
この帰省を決めた大きな理由は高校の部活の同窓会のような飲み会だったのですが、その前にクラスメイトと会えたのもよかった。
何だかんだネット上でも良くしゃべる相手だけど、実際に会うとなんだかいいね。ほっとする。

で、本命の飲み会。
やっぱ居心地よかったー。自分が一番ワガママに馬鹿になれるコミュニティだなーと思う。
みんながみんな、協調性あるけどどこかで「他人は他人、自分は自分」って捉えている節があるように感じる、そんな集団。
だから気にせずに好き勝手話せる。んで、みんな頭の回転が速くて聡明だから、俺のわかりにくいボケとか冗談も拾ってくれる、
1ヶ月分くらいしゃべった!って感じ。また予定が合えば集まりに顔を出したいです。


(2)そういえば
ばあちゃんの仏壇に手合わせて来るの忘れてた。もーすぐ一年かぁ、早いね。
それ以上に、ばーちゃんが死んじゃったのが何月なのか思い出せない自分が恐い。自分を維持するので精一杯で、他人や周囲に気を配ってこなかった証拠だな。
いやだね、そういうの。自分も周囲もどっちも得しない。


(3)別の飲み会があったんだけど
死ぬほどめんどくさい子が一人いて、生理的に無理!とか思ってたので最後まで参加するかどうか迷ってて、
なんかもう引きこもりネガティブが発動したのでドタキャンした。何か寄せ書きとかするイベントあったんだけど、寄せ書きも死ぬほど苦手なので黙殺した。
褒められたもんじゃないね、この我が侭さと気の使えなさ。
たぶん、寄せ書きページが真っ白な自分の分のアルバムをいつか手渡されるだろう。笑える。
幹事の友人には悪い事をした。でも嫌なものは嫌。


(4)よんばんめ、ということでヨルムンガンド。
最近アニメ放映始まりましたよね、ヨルムンガンド。アニメを見るまで原作読んだ事なかったんだけど、一瞬でハマってしまった。
あれは素晴らしい。ウエポンディーラーと元少年兵の旅の話なんだけど、武器考証や政治・経済の設定がしっかりしている漫画は実に面白い。
ムーンライト・マイルやロケットマンに通じる面白さ。そして男性キャラがカッコいい。見た目ではなくて、それぞれのメンバーがしっかりバックグラウンドを持っていて、今この場にいる理由、というのがしっくりくるから、理由や意思があってそこにいる、そういう人間はカッコいい。

でさ、ヨルムンガンドはこの四月に単行本最終巻が出て名実ともに完結したわけだけど、最終話を読んで悲しくなった。
大体どんな物語も読み終えると悲しくなるんだけど、本よりは漫画が、漫画の中なら設定がしっかりしているものが特に悲しくなる。
最終話ってさ、ようするにそこでもうお終いな訳で、それ以降はもう自分の前には現れないわけで、
物語が消えるってことは、小説でいうなら言葉が消え去るってことなんだ。
漫画だと言葉も視界も消え去ってしまう。リアルな設定の漫画なら現実感も一緒に消え去る。
だからヨルムンガンドに関しては何か自分の中の現実感をごっそり持っていかれてしまったわけ。最終話のあとで。

だから今日は仕事しててずっと落ち込んでた。熱出てて頭痛いのもあったんだけど、なんか辛かった。


(5)するどいぶんせきがたいけんでひろがるように
という言葉を卒業の際にゼミの先生に寄せ書きでいただいて、これはもう人生において心の糧になるレベルの嬉しい頂き物の言葉なんです。
だけどさ、この言葉をもらってもう一年以上たつけれど、未だに自分の中にしみ込まない。
とても重要なサジェスチョンを多分に含んでいるのは直感で理解できるのに、そういうことか!っていう完全な把握が出来ない。
1足す1が2っていうのがわかるのに、目の前にリンゴとミカンがあって、全部でいくつでしょうって聞かれて、「?」ってなる感じ。
そう、落とし込めてない、他の事象に適用できない。

言葉の表面だけなぞるなら、僕には鋭い分析力があって、その力が色々な体験をすることでもっと広がるといいね!って言われてることになるんだけど。
そもそも分析力って何を差しているんだろう、というところで最早行き詰まる。
分析ってさ、分析する対象が定まってて、じゃあこれを何かしら評価してくれって言われてするものっていうイメージがある。
要するに最初の一歩が受身なのね。受身の行為を体験でもっと広げるって何なんだよ、って感じで。
だからこの「分析」って言葉は厳密にはもうちょっと違うニュアンスを含んでいるはずなんだ。

象牙の塔から這い出して、臨床の場で生きてみろや!みたいなそういうことなんじゃないか、って最近ちょっとずつ思い始めてる。

受身なのはやめて、もっと主体的になって、ただ分解して評価するだけじゃなくて、それを何か形にしてみろよ、何か自分で生み出してみろよ、って言われている気がしてきている。
そういう意味で、体験、っていう言葉を使ってるのかなー、なんて思ったりもする。
んで、分析と言う言葉を別の言葉で置き換えるなら、うーんなんだろ、もっと各々小さい単位の事象にも気を配れ、意識しろ!ってことなのかな。
例えば僕自身自認していることだけど、結構文章をざっくりとしかよまないし、何となく総体として理解して細かい所をおざなりにする悪い癖がある。
細かい所まで意識するのがめんどくさいし、それを言葉にするのもめんどくさいし、ってことで省く。しかもざっくりとしか見てないのに割と総体を正しい形で捉えられるからその癖が治らないまま悪化してるし。
だから僕は文章を書くのがへたくそだし、書いていてクソみたいな文章になってしまって萎える。
大体僕の書く文章ってさ、起承転結でいうと起・結の二つしかないような感じなんだよ。もっと酷いと結・結・結みたいな集合になる。
頭の中ではちゃんと起承転まであるのに出力がおっつかないのとめんどくさいので結だけ書いてしまうと言う。

だからさ、結論を言うと、先生の言葉をありがたいと思ったのは、頂いたその言葉から、
とにかくアウトプットをしなさい、その練度を高めなさい。練度を高めるために、分析をもっと詳細に、丁寧に行いなさい。そうすればなにかしらが良くなる。
っていう、そういうサジェスチョンを貰えたように感じたからなんじゃないかなーと思っている。

これを実践に移さなきゃと思いつつ未だに出来てないんだけど。実践に移せてないのはまだ行動計画が曖昧だからだ。
もっと仔細に、厳密に物事のフローを分析して整頓しなくちゃいけないてことだね。



なんかすっきりした!!!!!!今日はこれでおしまい!!

夢と雨の中で

2012-04-28 00:46:12 | 日記
(1)夢の話
この前夢を見た。亡くなった友人の夢だ。
舞台は高校3年生の時の教室で、その時彼は窓際にいた。
彼と仲の良かった別の友人が隣にいたけれど、亡くなった友人に全く気がついていない。
僕が声を上げて「そこにいるのに何で誰も気付かないんだ!」と言っても、友人は愚かクラスの誰にも声が届かない。
そのうち悲しさと悔しさが押さえ切れなくなって、叫びながら泣いた。
クラスメイトの女の子の一人が僕の方を冷たい目で眺めていた。

目が覚めて、妙に心がすっきりしていた。
気付けばこのところのストレスやいらつきが全部消えていた。
なんていうか、ありがとう、って思った。
休みを見つけて会いに行かないと。そんな風に思った。


(2)同じ友人の話
僕は彼を尊敬していた、今もそうだ。
もういなくなった人間は歩みを止めると思っていたが、止まるのは彼自身ではなく、彼と僕の関係性や位置関係なのだ。
僕がどれほど成長しても、彼がいる時に感じた僕自身と彼との格の違い、力量さは永遠に縮まらない。
それでよい。そうである限り僕は永遠に成長していける。


(3)気持ちの問題
最近、自分の中でやっと職場のルーキーとして戦力の頭数に自分を数えられる様になった。
実際どうであるかは知らないが、今まではそう思えるだけの自信がなかった。
あれも出来ないこれも出来ない、上司が出来る事で自分にできないことが余りにも多すぎる。そう思っていた。
しかしながら、少しずつ出たとこ勝負でやけくそかつ開き直り気味にタスクをこなしていって、
なんだやればできるじゃんと感じた。ルールを理解して、段取りに沿って行動する。それだけの仕事だった。
それで自信がついた。
自分が嫌いな仕事を、自分がなんとかこなせる。そうする事で、仕事をより一層嫌いになれる。
自信を持ってけなすことができる。
今までは、けなす相手に出来て自分に出来ない事がある。そんな立場で相手をけなすなんて恥ずかしい、と思っていた。
その呪縛が解けた。
幸せ。


(4)僕の仕事は、
ただのライン工だ。そう言って何ら問題無い。ライン工なのだ。
目の前にやってきたタスクを、時間内に完成させて次に送る。ただ時間と品質と戦うだけだ。
手順さえ覚えてしまえば、何も考えないで済む。
ポイントさえ覚えればさっさと終える事が出来る。よりよいモノにしようだなんて変な色気さえ出さなければ、そんなものだ。
そういう仕事だ。


(5)気が狂う
社会学者の伊藤守曰く「自分を何も変えないで、ただ事態だけが変わればいいと思っているさまを狂気という」。
今まさにそう言う状態だ。




ハレーション

2012-04-09 03:03:52 | 日記
友人のありがたい助言に従って、脈絡無く備忘録的に日記を書いておこうと思う。
ざっくり箇条書きで。思いついた分だけ書き散らかす。

(1)計画を練る
諸々の計画を練る必要がある。そうするのが好ましい、というレベルではなく、そうしなければならない、というレベルで。
端的に言えば、金銭面での計画と、自分のスキル面での計画。
お金を貯め、スキルを身につける。来たるべきチャンスの時のために。

何が必要となるかをしっかりを吟味して、ふるいにかけて、スタートさせる所までこぎ着けよう。

(2)まどかマギカ再放送のOPで
再放送をTORNEで録画していて、さっきOPを見た。
エンディングまで一通り見たあとで、時間を置いて改めて1話とそのOPを見ると、
複雑な思いで泣きそうになる。初見の時に気付かなかった伏線や、後々のストーリー展開も含めたOPの演出がされていることに気付く。
計算ずくの演出に感心した。構造レベルまでもう少し考えれば、今後何らかの形で有用な思考方法の癖として身に付くかも知れない。
これも意識の片隅に置いておこう。

(3)最近、女の子と
仲良くさせてもらってます。久しぶりにそこそこの頻度と充実度で。
そんな近況で、外界に向かって自意識が噛み付いていくような広がり方を感じる。
いい意味でぎらついているような。うん、よいことだ。
相手がとても可愛い子なのでなおさら良い。

(4)気になる読書量ですが
戻ってきました。やっぱり読まなきゃ駄目だよ。人は書を手に取らねばならない。
(2)で言及しているが、どうせ読むなら読み方を意識しようと思う。
起承転結とかレトリックとか、構成に関係する視点を持って読む。
あと、フィクション以外のジャンルも手に取りたいので、最近どこかで聞いた松岡正剛の「多読術」なる本を読んでみようと思う。
時と場合と対象に応じた読み方をしてもいい頃だ。

(5)仕事は相変わらず
興味なくてつまんない。けど捌けるだけ捌く。好き嫌いと能力は別モノだから。
憎しみと無関心を抱きつつ有能な人間となることを当座の目標とする。

(6)自転車を買いたい
今度はちゃんとしたロード。ビンディングとかレーパンとかも揃えて、がっつりチャリオタしたい。
自分大好き!って気持ちに包まれながら走って気分転換したい。


ざっくりこんなもんでしょうか。




narrow passage

2012-02-21 03:16:21 | 日記
何かを知る事が好きだ。
今まで自分の人生の中に存在しなかった概念を新たに受け入れることは心地よい。
異物として眼前に差し出されたそれを、矯めつ眇めつその全貌を明らかにしていく作業に興奮を覚える。

ところで、何かを知る事が好き、というのと、何かを学ぶ事が好き、というのはイコールでくくっていい共通のニュアンスを持っているだろうか。
個人的にはいまいちしっくりこなくて、ここ最近ずっと考えてはいるものの、未だに自分が納得出来るだけの解釈を思いついていない。

学ぶの語源は”真似ぶ”から来ているそうだ。
真似をする事で自分のものにする。それ故に真似することは学ぶことである、と。
知る事と学ぶ事を同一視出来ない原因には、真似に対する反発感があるような気がしている。
真似というのは、誰かが決めた順序や形式をそっくりそのままなぞることだ。
そこに自分の意思やら解釈が入り込む余地がない。
だから僕は学ぶことを好きだと言い切れないのだろう、きっと。

かといって、勉強や学習といった言葉に嫌悪感や拒否反応はない。
というのも、今日これらの言葉が刺すところは、学校や試験における暗記であるからだ。
ただ覚えて、必要とされる場所で必要な形でアウトプットすればよいだけだ。
地球の地軸の傾きが23.4度だという暗記項目を出力することと、地軸は23.4度だと信じて受け入れるということは全く違う。
地球は本当は平らなのだ、と思いながら球体の地球が回転する様を人様に語ってもよいのだ。
自分に都合のいい様に情報を扱え、また向き合える。そういう意味での学校における勉強や学習は嫌いではない。好きという気持ちの方が近い。

恐らく、真似ぶという意味での学ぶことにイエスといえないのは、恣意性を持ち込めず、屈服の要素を強く感じてしまうからだろう。
自分に快く無いものを受け入れがたい。自らの狭量さの裏返しなのだ。


どこかの誰かが歌っていたが、その気になればどうにか何とかなる時代や社会の中に生きている自分がどうにもならないと嘆くのは、
どうにかなるために必要な、対価として狭量さから卒業することを拒んでいるからなのだ。
プライドや恐怖や羞恥心を捨てれば、この一年近くずっと夢見ていた仕事にありつくチャンスはいくらでもある。
それを実行出来ていないのは、プライドや恐怖や羞恥心を捨て切れない我が身かわいさや甘やかしで、
自分に快く無いものは受け入れたく無いと言う狭量さなのだ。