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フランク永井あれこれ

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フランク永井関係映画で観たいが観れない映画

2024-04-16 10:38:40 | 日記

 フランク永井関係の映画、つまり、出演したり主題歌あるいは挿入歌を歌ったりした映画ですが、十数本判明しています。洋画も幾本かありますが、それは今回は触れません。
 VHS、DVDで発売されている(❶)ものはわずかです。古い映画を特集で上映する(❷)映画館もあります。Netflix、つまりウエブで上映するケース(❸)もあります。さらには、以前にこのブログで書きましたが、フランク永井のファン仲間で日本映画のデータベースに挑戦するために、映画会社系のCS放送の番組をすべて録画(数十年と思える)した方が所有する保持する私的データ(❹)があります。そして、存在は分かっているが内容についての情報が不足していて不明(❺)というのがあります。
 フランク永井がデビューしてからおよそ十年の間の作品がほとんどです。この時期はまだテレビが全盛でもなく、ましてレコーダーが普及していません。良く言われることですが、テレビ草創期は録画テープが高価(?)で十分でなかったために、放送局自身がテープを上書で利用していたこともあり、曲自身が番組を保持していなかったのが多いです。NHKの紅白歌合戦映像などはその典型です。
 さて、以下に私が掌握しているデータを記します。
 有楽町で逢いましょう  1958 大映 カラー 97分 ❶
 夜霧の第二国道     1958 日活 モノ  48 ❹
 羽田発7時50分      1958 日活 モノ  61 ❹
 場末のペット吹き    1958 日活 モノ  53 ❹
 夜の波紋        1958 松竹 カラー 102 ❹
 西銀座駅前       1958 日活 モノ  52 ❹
 ロマンス祭       1958 宝塚 カラー 104 ❷
 有楽町0番地      1958 松竹 モノ  96 ❹
 夜霧の南京街      1958 東映 モノ  60 ❺
 東京午前三時      1958 日活 モノ  93 ❹
 秘めたる一夜      1959 大映 モノ  57 ❺
 らぶれたあ       1959 日活 モノ  39 ❷❹
 青い国道        1959 日活 モノ  52 ❸
 黄昏の東京タワー    1959 大映 モノ  63 ❷❹
 夜霧に消えたチャコ   1959 日活 モノ  49 ❷❹
 俺は淋しいんだ     1959 日活 モノ  49 ❹
 好き好き好き      1960 大映 カラー 84 ❸
 俺は流れ星       1960 日活 モノ  51 ❹
 東京ナイト・クラブ   1960 松竹 カラー 30 ❺
 続々番頭はんと丁稚どん 1961 松竹 カラー 82 ❺
 続々々番頭はんと丁稚どん1961 松竹 カラー 84 ❺
 大阪野郎        1961 松竹 モノ  92 ❸
 大当り三代記      1961 松竹 カラー 79 ❶
 喜劇団地親分      1962 松竹 カラー 82 ❶
 君恋し         1962 日活 モノ  68 ❸
 真昼の罠        1962 大映 モノ  90 ❶
 霧子のタンゴ      1963 日活 モノ  86 ❶
 遊侠一匹        1960 東映 カラー 90 ❶
 糸あやつり明治はるあき 1968 博物館明治村 カラー 73 ❺

 ❺は当然ですが、観ていません。「東京ナイト・クラブ」についてはこの曲を仮称しているデュエット歌唱だけ観ています。
 残念と言うか、見逃しているのは❷のなか「ロマンス祭」と「続々々番頭はんと丁稚どん」です。
 写真にあるように「ロマンス祭」は2019〜2023年にかけてラピュタ阿佐ヶ谷映画館で上映したようです。本年にも上映があるのかは不明です。事前に分かっていれば、何としてでも駆けつけたのですが、残念です。
 「続々々番頭はんと丁稚どん」は、2019年に上映されたようです。記録を追ってみると、この映画フィルムは残されているようですが、どうもこのまえの「番頭はんと丁稚どん」「続番頭はんと丁稚どん」は上映できる形で残存していないのかもしれません。
 「ロマンス祭」「続々々番頭はんと丁稚どん」いずれもDVD化の予定はないようです。せめてNetflixでもいいので放送して欲しいと思っています。
 最後に東映「夜霧の南京街」もぜひとも観たいです。

祝 第12回フランク永井歌コンクール、優勝は原田佳眞さん「ラブ・レター」

2024-04-12 09:29:53 | 日記

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 5年ぶりにフランク永井歌コン決勝大会が、3月17日㈰に宮城県大崎市松山で開催されました。以下の方が入賞されました。

  優 勝 原田佳眞  「ラブ・レター」    栃木県足利市
  2 位 地紙早彩  「東京カチート」    宮城県大崎市
  3 位 鈴木貴等・地紙早彩「好き好き好き」 宮城県大崎市
  特別賞 佐々木良二 「新東京小唄」     宮城県仙台市
  特別賞 田中頼人  「君恋し」       東京都渋谷区
  特別賞 今野中道  「冬子という女」    宮城県仙台市

 前日16日㈯には86組による予選が行われて、30組が決勝に進みました。地元の宮城県の方が76名もおりましたが、他に9県から参加されました。曲数は徐々に多くなってきています。今回は28曲です。
 コロナ禍による開催のブランクの影響でさまざまな難問がおありだったようですが、ファンの皆さんの声に応えようと現地の実行委員会(松山まちづくり協議会)では周到な準備で当日を迎えました。会場は満員で、交通誘導のボランティアの方々の熱意を含めて、大成功をおさめました。
 決勝大会に駆けつけて、私的な感覚ですが、若い方の参加、曲への工夫など斬新さが見受けられて、結果的にも若い優秀な方の入賞で素晴らしい大会だったと思います。
 優勝された原田さんは低音の歌唱が素晴らしく、ほぼ完ぺきな歌唱を披露されました。実際にプロ歌手を目指して奮闘中だと言われてました。地紙さんの女性版「東京カチート」も実にフレッシュで見事なものでした。上記リストでお解りのように地紙さんは、さらい鈴木さんとデュエットで「好き好き好き」を歌っています。フランク永井のこの曲は、映画の主題歌でもありますが、軽快でリズミカルな歌唱はびっくりするほどです。
 軽快な歌唱は地紙さんが地元の学生のときに、その場で演奏を披露された方でもあります。デュエットの鈴木さんは「公園の手品師」で地紙さん同様ダブル出演です。
 特別賞の田中さんの「君恋し」も会場では大きな称賛でした。フランク永井の君恋しは誰もがご存じ編曲の名人寺岡真三の大傑作ですが、田中さんはそれをさらにジャズ風にしたオリジナル編曲の演奏を背景に歌われました。音楽の関係者と紹介されておりましたが、さすがと会場をうならせる歌唱でした。
 歌コンではカラオケの演奏が欠かせません。かつてアカペラでの歌唱で参加された方もおられましたが、聴衆をまきこむ演奏、演者の気持ちをいっきにその世界に没入させる演奏が必須です。残念なことにフランク永井の歌った曲は400曲にも及ぶのに、カラオケ演奏曲数がまことに少なく、それが歌コンでの曲数の狭さになっています。
 近年はカラオケ店でのリクエスト数を反映させてわずかずつではありますが、増加していますが、まだまだ足りません。そこを埋めるため、オリジナルでカラオケ演奏を用意するのですが、そう簡単ではありません。ビクターさんに演奏曲を増やして欲しいと思います。
 当日の会場で耳にしたことで多かったのは「歌コンの開催継続希望」です。フランク永井の活躍時代のファンの方は高齢化を迎えていますが、Z世代とか言われる若い意欲的で、実力のある歌手が、昭和歌謡黄金時代の歌曲を歌い継ぐことの意義を受け止め、テレビで素晴らしい歌唱を披露する場ができています。このブログでも積極的に紹介していますが、とうぜんここでフランク永井の曲も歌っています。今回の大会でもそうですが、この流れをみれば、名歌手フランク永井の曲の継承にも大きな希望を見出せます。
 会場は松山体育館ですが隣接されている松山歴史館と併設の「フランク永井展示室」、そして松山酒ミュージアムでは「フランク永井写真展」が、当日は無償で解放されました。当日会場に来られた方がゆったりといずれも楽しめるよう尽力されておりました。
 立派な大会を成功させた関係者の皆さんに、こころからお礼を申しはげます。
 中央写真は優勝者の歌唱ですが、右下は「好き好き好き」、左下はアトラクションで披露された「金津流松山獅子踊り」です。


「東京ナイト・クラブ」映像のすべて ほぼ63本

2024-04-12 09:23:02 | 日記

 フランク永井と松尾和子がデュエットした「東京ナイト・クラブ」はやはり安定的な人気を持っています。発売されたのは何と65年前の1959(S34)年で、松尾和子のデビュー曲です。作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正、モノラル版の編曲は小沢直与志。
 大人の男女の夜のムードを二人の息のあった絶妙なかけあいがファンをひきつけました。松尾和子のあまりにも入れ込んだ吐息と、歌詞「もっと抱いて…」は、教育上良くないとして、一時は放送禁止になりました。
 だがラジオ時代は急激にテレビ時代に変わり、ビジュアルにいかに訴えるという映像づくりの中で「東京ナイト・クラブ」レベルを次つぎと超えるものが出てきて、いつの間にか解禁となりました。
 「東京ナイト・クラブ」の人気から同名の松竹映画がつくられました。だが、このカラー映画は松竹から公開されたのか、されなかったのか、情報がまったくと言っていいほどありません。ネットでは映画専門のデータベースに、30分の長さであることが分かりました。また、唯一の単色ポスターというのが知れていて、ここに出演者が出ていますが、ビクターの人気歌手です。要は、30分のカラー歌謡番組のような感じです。
 近年、この映画からフランク永井と松尾和子の歌うシーンが登場しています。これは1960年、つまりレコード発売からわずか経過した時点の公式なカラーのデュエット映像で貴重品です。
 フランク永井と松尾和子の公式な映像は、1978年に「魅惑のゴールデン・デュエット」としてDVDで映像、そして初めてステレオ化された編曲(寺岡真三)でLPが発売されました。
 二人のデュエットは、フランク永井、松尾和子、吉田正のNHKでのビッグショーで撮影されました。前後してテレビ東京をはじめ、他の局からの番組でも映像が残されました。
 それをざっと調べてみると、20本弱です。今後、私の調査にない映像が出てくるかもしれませんが、ほぼ、出尽くしたのではないかと思います。
 フランク永井が他の歌手とともに歌ったというのは、島倉千代子、八代亜紀、岩崎宏美、生田悦子、青江三奈、河合奈保子です。松尾和子は西城秀樹と歌っています。
 「東京ナイト・クラブ」はムーディな曲としは元祖的な存在で、このジャンルの番組やコーナーでは、現在でも欠かせない曲になっています。ゆえに、時の人気歌手がカバーします。現在進行形であるが、これからも追加されていくと思いますが、現時点のリストは下記のようになります。
 63曲に上ります。フランク永井、松尾和子はもとより、石原裕次郎、谷村新司、天地茂、八代亜紀とか藤田まこと、三條正人、森誠二、青江三奈、島倉千代子は亡くなっております。それだけに、貴重な映像です。

●フランク永井・松尾和子によるもの
フランク永井・岩崎宏美と-19850000ミュージック・フェア
フランク永井・生田悦子と-19830000一本勝負
フランク永井・青江三奈と-19840000第6回昭和歌謡大全集
フランク永井・島倉千代子と-1982テレ東
フランク永井・八代亜紀と-19770505
フランク永井・河合奈保子/松尾和子・西城秀樹他-2018
フランク永井・松尾和子と-19600520松竹映画
フランク永井・松尾和子と-19780000魅惑のゴールデン・デュエット
フランク永井・松尾和子と-19781031吉田正ビッグ・ショー
フランク永井・松尾和子と-19810102懐かしのグレート・ヒット・ソング
フランク永井・松尾和子と-19840714夏祭りにっぽんの歌
フランク永井・松尾和子と-19841004この人フランク永井ショー
フランク永井・松尾和子と-20010109TBS
フランク永井・松尾和子と-モノ・カラー
松尾和子・田中収(ニック・ニューサ)
●他歌手のカバー
チェリッシュ-20151007
ヒデと美咲
フォレスタ-日本名曲アルバム
宮路オサム・瀬川瑛子
桑田佳祐・原由子
五木ひろし・伍代夏子
五木ひろし・市川由紀乃
五木ひろし・森進一・五輪真弓・河合奈保子-1981RW
五木ひろし・木の実ナナ
五木ひろし・石川さゆり
高橋英樹・菅野美伽・八代亜紀-20211209
三山ひろし・松前ひろ子
三山ひろし・水森かおり
三山ひろし・長山洋子
三山ひろし・藤あや子-20220819
三善英史-new
三條正人・田代美代子-1996
山川豊・藤あや子
山川豊・八代亜紀
山内惠介・川中美幸
山本譲二・大月みやこ-20211201
山本譲二・中山美幸
純烈・秋元順子-20210730
純烈・市川由紀乃-20230706
青江三奈歌唱
青山新・藤井香愛
石原裕次郎・八代亜紀
千昌夫・伍代夏子
増位山大志郎・徳光和夫・城南海-20131016
竹島宏・瀬川瑛子
中澤卓也・八代亜紀
湯原昌幸・キム・ヨンジャ
藤原浩・門倉有希
藤田まこと・八代亜紀
武田鉄矢・谷村新司-九州ニューミュージックフェスティバル
北山たけし・田川寿美
北島三郎・水前寺清子-S58NHK
里見浩太郎・都はるみ
はやぶさ・真田ナオキ・おかゆ
ベイビーブー
天地茂・池波志保1983
徳光和夫・おかゆ
氷川きよし・石原詢子
美川憲一・丘みどり
野口五郎・藤あや子
高橋英樹・長山洋子
加川明・松前ひろ子
ロス・プリモス・長山洋子
黒沢年男・叶和貴子
山川豊・大石まどか
新沼謙治・瀬川瑛子


BSテレ東「ムーディーな元祖デュエット」の「東京ナイト・クラブ」

2024-04-12 09:17:03 | 日記

 歌謡番組の録画を合間に見るのですが、ごく最近ではBSテレ東で日本歌手協会の合田道人理事長が紹介する「ムーディーな元祖デュエット」がありました。
 久しぶりにフランク永井と松尾和子の「東京ナイト・クラブ」が放送されました。映像は1984(S59)年7月14日第15回夏祭りにっぽんの歌からのものです。1番だけの短い時間ですが、何度見ても松尾和子との掛け合いはいいですね。
 この日の番組では続いて「銀座の恋の物語」が登場したのですが、これは石原裕次郎ではなく当時ハワイアンでムードある歌唱で有名だった三島敏夫と、裕次郎とデュエットを歌った牧村旬子のデュエットでした。最初にレコーディングされたときは、裕次郎は映画撮影で大変多忙の中で突然に譜面を渡されて短時間で録音したものでした。このときに同じように急に相方として指名されたのが牧村。彼女のことは良く分かりませんが、プロの歌手として裕次郎とうまくあわせた歌唱でした。
 ビクターからフランク永井と松尾和子のデュエットで「東京ナイト・クラブ」がでて、大変なヒットを飾ったのをみて裕次郎に似たのを歌わせてみようと、企画されたのが「銀座の恋の物語」。裕次郎はいつものように、いわれるまま歌って、直ぐにレコーディングを忘れてしまうのですが、このレコードは出るや否や大ヒットします。同名で映画化されます。
 裕次郎は基本的に映画俳優なので、テレビでこの歌を歌うとういうのはほとんどなく、映像も極少です。牧村とデュエットという映像も見てません。それに対して、フランク永井と松尾和子の出番はやや多いと言えますが、10数本だけです。フランク永井も忙しく、松尾と同時に番組に出るというのも、大方の予想をはるかに下回っています。
 裕次郎は後日にテレビにでて歌いますが、そもそもテレビの歌番組に出ること自身、相当少なく、ましてデュエットとなると他の歌手とのコンビになって、牧村と出ることはなかったはずです。ファンからの要望が多く、八代亜紀と正式に歌ってアルバムを出しています。だが、これもテレビ映像としてはでていません。
 さて「東京ナイト・クラブ」ですが、1959(S34)年にレコード発売されました。作詞佐伯孝夫、作曲吉田正、編曲は小沢直与志でモノラル版です。1978(S53)年に「魅惑のゴールデン・デュエット」(SJX-20046)のアルバム作成時に寺岡真三編曲でステレオ化されます。同年にはビクターが本格的な舞台セットで映像化したビデオが同名で発売されます。
 フランク永井の多数発売されたCDでは「東京ナイト・クラブ」は基本的にモノラル版が使われています。業界では歌手ご本人が活躍した時代のオリジナルが基本とされるためです。だから「有楽町で逢いましょう」でも、恩師吉田正が編曲したステレオ版があるのですが、多くはオリジナルのモノラル版が多用されています。
 ちなみに「銀座の恋の物語」の例と同じように、「東京ナイト・クラブ」の大ヒットで同名で映画が松竹からカラーで上映されています。しかし、これは基本的にドラマというよりも、30分の歌謡番組といったもののようです。


第12回フランク永井歌コンクール開催が近づく

2024-04-12 09:10:52 | 日記

 3月16㈯日(予選)、17㈰日(決戦)、約4年半ぶりに開催されます。
 今回の参加予定者は90組(98人)です。
 新型コロナウイルスのために、順延されてきた第12回フランク永井歌コンクールが、四年ぶりに開催されます。フランク永井の誕生日の月に今年は開かれます。場所は生誕地である宮城県大崎市松山体育館です。
 フランク永井は2008年に永眠しましたが、魅惑の低音の人気が絶えることはありません。
 再開を祝福するかのように、2月には「フランク永井プレミアム・セレクション」CD-BOXが発売されました。ここ連続して紹介していますが、フランク永井ファンにとっては素晴らしい商品になっています。フランク永井が残したすべての曲は多数ありますが、代表曲が3枚のCDに、カバー曲が1枚、そしてライブが2枚の、計6枚のセットです。多数の初CD化された曲があります。そのために、全体を通じて新鮮さを味わえます。特に、レア中のレアというか、ベラミでのライブは当時LP盤では収容できなかった曲がフル公開されています。
 歌コンの再開への大きなエールです。
 フランク永井をリアルタイムで聴いていたファン層は、確かに高齢を迎えてきています。歌コンの主催者である現地実行委員会も当然そうなのですが、そうした困難を乗り越える若い世代のファンも一方で増加しています。全国のカラオケファンでも、昭和時代の当時の流行歌の魅力に目覚めた人が増加しています。中でも、フランク永井が切り開いたムード歌謡は、独特の分野で、流行歌の中でもきらりと光るものに惹かれるようです。こうしたファン層がフランク永井の商品の発売を望んでいます。
 歌コンクールは確かに、出生地である大崎市松山という地域が中心で行われているものですが、毎回参加申込が全国規模であり、時には国外からの参加者までありました。主催者が、地域が生んだフランク永井の偉大な功績をたたえ、歌を引き継いでいこうと意欲を出し、営々とこれからも続けていくことが、次世代に必ず伝わっていくと思います。
 私も当日は現地に駆けつけ声援を送るつもりです。