1496年6月25日、ミケランジェロはローマに到着。
ある家で5年間過ごす。
場所はPalazzo della CancelleriaとPiazza Navonaの間のブロック。
建物のファサードは1881年corso Vittorio Emanueleが出来た時に破壊され、建物は何度も改築された。
彼がそこに住んでいたという記念プレートも何も残っていない。
ミケランジェロ21歳、ローマではまだほぼ無名だったが、既に現在の”画廊経営者”のような人とマネジメント契約していた。
Jacopo Galli(ヤコポ・ガッリ)だ。
ミケランジェロは彼の屋敷に住んでいた。(屋敷の近くという説も有る。)
彫刻を制作するからには、当然それなりのスペースがあったと考えられる。
古文書によると、ガッリはvia di San Pantaleoとvia dei Leutariが交わるpiazza del Pasquinoに屋敷を購入。
この辺りは当時巡礼者や観光客が多く行きかう通りで、ガッリはここで銀行家、特に両替商をしていた。
ガッリの役目は、単なる注文主と作家の仲介人ではなかった。
もし作家の作品が注文主の要求するレベルに到達していなかった場合、つまり気に入られなかったら返品をも彼が請け負う。抗争が起きた場合の対処も彼がしていた。
所謂ミケランジェロのマネージャーだったのだ。
教皇庁の公証人、監査人、土地税関の徴税人や今のローマ市長にも匹敵する位置にあった人なのに、1冊も伝記がないのが不思議なくらいだ。
「眠れるキューピッド」事件のラファエッレ・リアーリオ枢機卿(cardinale Raffaele Riario)は1497年はPalazzo Altempsに住んでいた(ここは現在ローマ国立博物館 アルテンプス宮になっている)のだが、1485年からPalazzo della Cancelleriaの建築を進めていた。
まさにガッリの隣人と言える。
枢機卿はこの新しい宮殿の為に「バッカス」をガッリを通してミケランジェロに注文した。
この宮殿を建築するにあたり、実に180000スクーディという大金が掛ったのだが、そのうち60000は教皇インノケンティウス8世(papa Innocenzo VIII Cybo)の甥との賭けに勝った金で賄ったと言われる。
ちなみにインノケンティウス8世は)、回勅によって魔女狩りと異端審問を活発化させたり、聖職売買、親族登用、派手な女性関係で多数の子どもをつくるなど、聖職者にあるまじき、典型的な堕落した中世的な教皇として、サボナローラにも激しく糾弾されていた。
リアーリオ枢機卿(cardinale Raffaele Riario)が受け取らなかった「キューピッド」は、その後チェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia)からイザベラ・デステ(Isabella d’Este)に贈られ1627年まではマンドヴァ (Mantova) に有ったが、その後売却されイギリスへ。
1627年のWhitehall Palaceの火事で焼失してしまった。
また枢機卿はその後に注文した「バッカス」も受け取り拒否。
ガッリの庭を描いたマルティン・ファン・ヘームスケルク(Maarten van Heemskerck)の絵にはそのバッカスが描かれている。
写真:Wikipedia
しかし、返品が続いていたのにもかかわらず、ガッリは1498年8月27日Cappella della Madonna della Febbre用の「Pietà(ピエタ)」の契約を取ってきた。(現在はヴァチカンにある)
ガッリは素晴らしいマネージャーであったことは間違いない。
実はガッリ、枢機卿がバッカスの価値を理解せず受け取り拒否したことを、密かに喜んでいたのかもしれない。
なぜなら、ミケランジェロの作品が自分の手に入ったのだから。
彼は自分が住んでいた場所の近くSan Lorenzo in Damasoに埋葬された。
墓はAndrea Bregnoが作った。
その墓はリアーリオ枢機卿が1488年ブラマンテ(Bramante)に再建させた教会の中にある。
「バッカス」は託されたのは、ガッリの”金庫番”でもあった、バルダッサーレ・バルドゥッチ(Baldassarre Balducci)だ。
彼も銀行家だった。
父が始めた銀行業を引き継ぎ、1505年からカンポ・デイ・フィオーリ(Campo dei Fiori)に小さな銀行を持っていた。
ガッリは他にも、Sant’Agostino教会の為に描いた現在ロンドンナショナルギャラリー所蔵の「キリスト降架 (Deposizione)」のマネジメントもしている。
写真:Wikipedia
1501年5月中旬、ピエタの製作を終えたミケランジェロは、この作品(現在はミケランジェロに帰属)の製作途中でローマを去り、フィレンツェへ。
作品は未完のまま、すぐにファルネーゼ家(Farnese)のコレクションに入り、1868年までローマに有ったがその後イギリスへ。
ミケランジェロはガッリのことを「親切なローマ人でまさに天才だ (gentiluomo romano e di bello ingegno)」と言ったとか、言わないとか…ヴァザーリ談
ミケランジェロって一匹狼で、気に入らない依頼主の仕事は意地でもやらない、偏屈なイメージが強かったけど、こんな時期もあったんだなぁと、ちょっとイメージが変わったのでありました。
参考:https://www.ilmessaggero.it/cultura/
ところで、話は変わりますが、最近コメントに「内容をご確認ください」というメッセージが出ることがある。
「入力内容に不正なURLが含まれているため、コメントできません」と出れば分かりやすいのに、検索しちゃったよ。
なんでもドメインが「jp」、「.org」、「.com」、「.net」などならOK。
「.it」、「.uk」、「.de」、「.us」などはNGとのこと。
う~ん、セキュリティー強化のためというのは分かるんだけど、これ結構面倒なんだよねぇ。
ということで、昨日貼り付けられなかったURLをここに貼りつけます。
・Bollettino d'ArteのValerio Mariani
https://docplayer.it/52322410-Rivedere-e-ristudiare-la-madonna-di-bruges.html
・ミケランジェロの手紙
https://www.memofonte.it/ricerche/michelangelo-buonarroti/
ミケランジェロが出したものも受けたものは見られます。
・Marble Made Flesh: Michelangelo's Bruges Madonna in the Service of Devotion論文
https://openscholarship.wustl.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1706&context=art_sci_etds
改善して欲しいです、はい。
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