イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

マリアのベルト(腰帯)ーSacra Cintola di Prato

2017年12月18日 23時57分57秒 | イタリア・美術

寒い。
今朝はマイナス4度だったらしいです…
帰国まで残すところ10日となり、やることが山のようにたまっている。
更に今週金曜日辺りからクリスマス休暇に突入して、この国は機能しなくなるから余計時間がないのよね。
図書館に資料を探しに行く時間がない!
でも今日は朝大学の図書館に行き、11時にミセリコルディア美術館に飛び込み、お昼を食べてから電車に飛び乗ってPrato(プラート)まで行ってきました。
本当は行かなくてもいいかなぁ、とも思ったのですが、やっぱり行って良かった。
そして、忘れたくないことを色々教えてもらったので、忘れないうちにどこかに記録せねば、ということで、わき目も降らずここに残しています。

展覧会のタイトルはLegati da una Cintola、「1本のベルトでつながった」という感じ。
タイトルからは意味不明。
でも見どころが結構好きなBernardo Daddi(ベルナルド・ダッディ)だっていうので行ってみた。
やはりまずこの「ベルト、腰帯(Cintola)」とは何かをお話ししなければ始まりませんね私たちキリスト教徒ではない人は。
Tommaso(トマス)はキリスト復活を信じなかったりとちょっと疑い深い人だった。
彼はキリスト復活をキリストにわき腹に出来た傷に自分の指を入れたことで信じたが、今度は聖母マリアが復活したことも信じなかった。
するとトマスのところに被昇天したマリアから腰帯が降りてきて、ようやく聖母の被昇天を信じたのだった。

非常に細かいことですが、キリストは神の意志ですが、自分から天に昇っていったので、Ascesione(昇天)を使うけど、
聖母マリアはキリストによって天に引き上げられたのでAssunzione(被昇天)を使うのが正しいのだそうだ。

このトマスの話は絵画のテーマによく使われていて、今回の展覧会はそれを集めたものなんだけど、一番の目玉はこちら…ですよね?

Bernardo Daddiの作品でこれは祭壇画の頭の部分
この他にも2連のプレデッラ(祭壇画下部の小壁板絵)



が来ていて、こんな風に復元される。

写真ボケボケ…すみませぬ。
とこんな風になっている。
しかし、中央はどうなってんだろ???
とこれがメインというのもどうなんだ?という気もしないでもないですが…
Bernardo Daddiとは?
Giotto(ジョット)の弟子です。

会場の主な見どころはあとこれくらいかな?

Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)と弟子たちが描いたもの。
これ数年前の別の展覧会で見たけど、いいですねぇ~

あと個人的に面白かったのは実際の腰帯

装飾がすごく細かいんです。

他にも

スマホ映り込んでいますが…

とにかく驚くほどに芸が細かい。
しかし、これくらいの展覧会ならわざわざ来る必要なかったかなぁ、と思ったのですが、実はこの展覧会にはもう1つおまけがついてきます。
それが

大聖堂の中にある、Cappella della sacra ciotola(聖腰帯の礼拝堂)のガイド付き見学です。

礼拝堂はメインの入り口入ってすぐ左側にあります。
この教会は撮影禁止なので、これはWikipediaから拝借した写真ですが、この柵もルネサンスのものなんです。
柵も腰帯のようになっているのですが、こちらにはバックルのような形の飾りがついています。
Maso di Bartolomeo(マソ・ディ・バルトロメオ)の作品で、実は展覧会の会場にもこの人の作品が有りました。

あれ?これが腰帯の入った箱だ。
この人Donatello(ドナテッロ)やMichelozzo(ミケロッツォ)の弟子だったそうです。
まるでDonatelloのCantoria(聖歌隊席)みたいではないですか?

この正面の祭壇の下に、なんと「聖なる腰帯」が小さな箱に入って保管されています。
その箱のカギは3重になっていて、1本は司教が、残りの2本は市長が持っています。
教会なのになんで市長が?と単純に思いますが、実はこれ、市民の力が強い証。
市長は市民を代表して、街の聖遺物を守っているということだそうです。
この聖なる腰帯は年に5回だけ公開されます。(イタリア語ではOstensioneというそうです)
復活祭の日、5月1日(マリア崇拝が決めた月の初日)、マリア被昇天の日の8月15日、マリアの誕生日9月8日、そしてクリスマスです。
Pratoの守護聖人は聖ステファノ(Santo Stefano)で聖ステファノの日は間もなく、12月26日です。
しかし、Pratoではマリア信仰が強く、どちらかというと聖ステファノの日よりもマリア関係の日の方を盛大にお祝いしているそうです。
なお、ガイド付きツアーでこの礼拝堂に入った時、祭壇の脇、裏からは撮影許可が下りました。
ただ、絶対正面から撮影しないで欲しいと、きついお達しがありました。
そうなんです、この教会は最近にしては珍しく写真不可。
その理由をガイドさんは「プラートの人は非常に信仰心が熱いから」と言っていたので、くれぐれも守りましょう。


真ん中の後ろ姿の聖母子像はGiovanni Pisano(ジョバンニ・ピサーノ)の作品です。
壁は全面フレスコ画。
マリアの物語とPratoに腰帯がもたらされた経緯を描いています。
スタートはこのかまぼこ型の部分。
マリアの父ヨアキム(Gioacchino)が神殿から追い出されたところから始まます。
この時代は子供ができないことは罪だったのです。
家にも帰れず仕方がなく羊飼いに身を寄せることになります。

スペースの都合か、次のシーンはエルサレムに戻って来たヨアキムが金門でアンナと出会いキスをするシーンが隣の壁の一番上に描かれています。
そして隣に移って、マリアが生まれました。
そこから今度は2段目です。
左の壁では神殿に預けられるマリア、そして

こちらの壁の真ん中にジュゼッペ(Giuseppe)との結婚のシーンが描かれています。
このシーンでは音楽隊の衣装などが、描かれた当時のもので、特に音楽隊が羊毛で胸の部分を膨らませた衣装を着ているのが特徴的なんだそうです。
また足で木の枝を踏み折っているいるのは、木の枝に花が咲いた人がマリアと結婚できるということで、花が咲かなかったことを怒って枝を折っているんだそうです。

左に戻ると受胎告知のシーンがあり、ここではキリストが誕生しています。
そして

天井に上ったマリアが上、下は聖母被昇天で、マリアの手を見てください。腰帯が下がっているでしょう。(この写真じゃ無理かな?)
ということで、向かって左側にいるのは聖トマスってことですね。
この聖トマスこそ、聖母と人間を繋ぐ重要な役割を負っているそうです。
だからこそこうして絵画のテーマとして頻繁に登場しているんだそうです。
一番下に横たわるマリアがいるのですが、辛うじて残っているのは上半身だけ。
この真ん中の扉、かなり邪魔なんですけど、17世紀にも1つの聖遺物を収めるために作った棚。
こちらには守護聖人聖ステファノ(Santo Stefano)の遺物で、石が収められています。
聖ステファノは投石によって殉教しています。
こちらは12月26日の聖ステファノに日に公開されます。
ここでマリアの話は終わり。

主祭壇に向かって左側の壁こそ、聖なる腰ひもがどうやってPratoに来たか、というお話。

主人公はPrato出身のミケーレ(Michele Dagomari)
ミケーレは1141年にエルサレムに仕事で赴きました。
そこでマリアという名の女性と結婚しますが、彼女の母は彼女に持たせる持参金がなく、腰帯を箱に入れて持たせます。
この腰帯こそ聖トマスがインドに立つ前に、信用できる祭司に託していたもので、マリアはこの子孫でした。
同年、ミケーレは妻と聖遺物を持って帰路に着きます。


左の半円(?)の壁に船が描かれていますが、ミケーレは船でPratoへ。
よく出来ているのは、物語がつながっていることを見ている人に理解させるために、左の壁の真ん中の左端に船のお尻を描きこんでいます。
陸に降りたミケーレの前に広がるのはPratoの景色。
この景色の中には、現在も変わらず存在している、大聖堂にくっついた鐘楼や川、橋や門などが描かれていて、「最も美しいPratoの景観」の1つと言われています。

Pratoに入った後、ミケーレは聖遺物が盗まれることを恐れて、Cassapancaという収納箱を兼ねた長椅子の中に入れ、自分はその上に寝ました。
ただ不思議なことに、朝になるとミケーレは床に転がっていました。
しかし聖遺物は無事でした。
不思議に思ったミケーレは、窓から見張りの人に見張らせた。
すると天使がやって来て、ミケーレを運んでいた。
なぜならミケーレは大事な聖遺物の上に寝ていたわけで、そんなことが許されるはずもなかった、というわけ。

そしていよいよ最後になるわけですが、最後のシーンは、1173年瀕死のミケーレが司教に腰帯を託し、その聖遺物が教会に運ばれていくところ。
ただし、ここにもオルガンが置かれていて、教会の姿を見ることはできません。
なんでも既に1400年代にはこの様子だったとか。
オルガンの管は後世のものとしても、ここにオルガンを作ってフレスコ画を痛めてしまったので、同時期この教会で働いていたFipippo Lippi(フィリッポ・リッピ)に痛んでしまったフレスコ画の修復を頼んだということです。こうしてミケーレのお陰で、今Pratoに聖なる腰帯が保管されているということでした。

ちなみにこのフレスコ画を描いたのはAgnolo Gaddi(アニョロ・ガッディ)で、彼の父は同じく画家のTaddeo Gaddi(タデオ・ガッディ)で父はフィレンツェのSanta Croce(サンタ・クローチェ)に同じテーマの絵を描いているが、それがまたよく似てる。
S.Croceには別の用事もあるので、帰国前に絶対行ってやろうと思っています。
また、Taddeo Gaddiの師匠はGiottoということで、当然Giottoのスクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)の作品ともよく似ています。

とガイドさんが話していた、忘れてはいけないことってこんなところだったかな?
外に出たら既に真っ暗。


でもとても面白かったので、やはり無理しても行って良かった良かった。



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