高齢者の生活

Plalaから移行。
これからの生活を書こう。

メルボルンへの旅 1)

2014-06-23 12:01:31 | 日記
5月20日。メルボルンに出発の日だ。
朝、4時40分に、携帯のアラームを鳴らすようにしていた。
一度目が覚めて、携帯を見たら、3時半頃だった。
もう少し寝た。
ふと目が覚めたので、携帯を見たら、5時だ。
アラームは何と5時40分に設定されていたのだ。

5時40分のフェリーに乗るつもりだった。
隣の部屋で寝ている夫を、「父さん、大変!5時になっている。」と慌てふためいて起こした。
「なんて!」と夫も急いで起きた。
兎に角、すぐ出発できるようになっている荷物を運ぼうとしたが、
夫もまだ寝ぼけて、「車の鍵がないでないか」などと言っている。
丁度仕事で帰っていた、息子も、起きてきていた。

「父さん、手に鍵持っているじゃないの」と私。
まだお化粧もしていないし、髪も乱れている。
そんな会話を聞いていた息子は咄嗟に判断し、
「さっさと、乗用車に荷物を積んで、乗りよ、送ってあげる」と言う。
そんなことをしていたら、起きてから、20分が経過していた。

5時40分まで、徳島フェリー乗り場まで行けるかどうか。
あと20分ほどしかない。

さすが若者だ。
小松島から、末広橋を渡り、直ぐ右折し、
フェリー乗り場に着けてくれた。
5時39分、1分前だ。
「先に行っとき!」と息子
化粧もせず髪は振り乱したまま、2階の乗り場まで、
そのまま走った。
まだ桟橋は上げられていなかった。
「今に荷物来ますから、待っててくださいますか」と私。
「切符は」と聞かれた。
「あっ、今買ってきます」と私は、大慌てで引き返そうとした。

が、息子は切符を買って、20kg余りあるスーツケースと、もう一つの携行用のバック
を持って、桟橋の前に来てくれた。
「さあ、気を付けて行ってらっしゃい」
何と頼もしい若者か。
有難いとしか言いようがなかった。
兎に角、桟橋は上がり、間に合って、乗れた。

海外に行くのに、フェリーを使う人も少ないであろう。
しかし、私は、ゆったりとした船内で、足を延ばし、
2時間余り眠ることの出来る、フェリーが好きなのだ。
少しの不便さは、そのことに比べたらなんでもない。

今回は、「髪ふり乱した、化粧もしていないたいへんなお婆さんが、
乗船して来た」と思ったのか、船員が
「こちらへどうぞ」とグリーン室に、案内してくれた。
私が願った訳でもないので、親切に、無料で案内してくれたのかと思ったら、
後で、「500円頂きます」と集金に来た。
「何も私は、こんな部屋必要でないのに、と思ったが、
この部屋を使ったことがなかったので、誰もいない部屋で、乗船中のんびり過ごさせてもらった。




やっと関空へ着いた。
おおよそ二時間半前だった。
まだ、キャセイパシフィック航空は、チェックインを開始していない。
少し待ったらいたら、開いた。
「さあ荷物を預けて楽になろう」とチェックインしようと、パスポートを預けた。
「オーストラリアの滞在ビザを取っていますか」と聞かれた。
「あっ!忘れていた!」