ふらわってぃの徒然日記

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プログラマーが必要とされるという話について

2021-03-01 10:08:46 | 日記
近年、
「将来はAIが発展するからプログラムスキルは必須だよ」
「プログラムを学んでおけば食いっぱぐれることはないよ」と
いうような話がだいぶ出回るようになったような印象をうけています。

そこで私はこれについて思う事があるのでここに書いておこうと思います。

もくじ 
1.そもそも本当に「プログラマーは食いっぱぐれない」のか?

2.ネットビジネスの世界にありがちな事から学ぶひとつの憶測について 

3.本当の意味で最も重要な事

4.自分で考える,選ぶ事の重要性 


こんな感じで短めに書いていきます。

−−−
1.そもそも本当に「プログラマーは食いっぱぐれない」のか? 


ニュアンスの部分ではあるんですがこのような事が言われているんじゃないかなと思います。

たしかにこれからの時代AIが発展するのは事実ですね。
というかもうしてますね。 

ベターな選択としてそれを学んでおくことは確かにブラック企業にただ務めているような人からしたら大事だとは思います。 

ただ、そもそも論なんですが
本当に長い目で見ると私はおそらく
「プログラムは誰でも8割出来るようになる」と思います。

ここでは例としてゲーム業界や音楽業界をあげたいと思うんですが、
例えば「ゲームを作る」
昔と比べ今は素人でもかなりのクオリティで作れるようになっていると思います。

それは既にテンプレートがあるからです
相当高性能なゲームであってもある程度勉強していれば手が届かない訳ではないし素人でもある程度なら作れます。

音楽であっても、今はレコーディングは家でできる上にミックスやマスタリングはAIでさらっとできます。

これらはあくまでも「兆候」だと思うんですが、今後100%長い目で見れば
「プロフェッショナルを10とした時の8」くらいは誰でも作れるようになると感じています。

「プロを10」じゃなくて「プロフェッショナルを10」です。
(その業界で唯一無二と言われるようなレベルの人をプロフェッショナルと定義してます)

自転車が誰でも乗れるのと同じように、
ホームページが誰でも作れるのと同じように。
あらゆる事のプロとアマ、素人の境目が薄くなっています。

故に思うのです。
「確かに"プログラム自体がテンプレートやAIに取って代わるまで"は安泰だろうなぁ」と。

しばらくは確かにプログラムはできたら仕事きます。勿論。
作りたいAIがあった時に依頼もされるでしょうね。その間はいい。

でも、例えば動画編集。
例えばアニメ制作。
それだけじゃないです。
素人に「できない」ですか?

現状で既に「やろうと思えば高クオリティで作れる」ようになっているんです。
依頼されるのはそれが「誰でもできる訳ではない」間だけなのです。

繰り返すようですが「しばらくは大丈夫」ですよ。

でも絶対動画編集なんか誰でもプロレベルにできるようになると思いませんか?

ましてやAIの動画編集、もう出てますし
となると、その先「8割までのレベルの人の技術」は必要なくなる可能性があります。

必要とされるのは「それ以上の技術」
もしくは「AIやテンプレートというような"ツール"を使って何を創り出すかというアイデア」
であると思うんです。 

じゃあ、「プログラミングだけは機械に代替させられないのか?」
答えはNOだと思うんですよね。 
プログラミングの8割は誰でもできるようになると思うんです。
AIに指示するだけで出来るかも。

そんな時代になったとき、プログラミングスキルを「ある程度」持っているだけの人は食いっぱぐれないですかね。
って思いました。

−−−
2.ネットビジネスの世界にありがちな事から学ぶひとつの憶測について 


私は昔ネットビジネスを勉強してた事があります。
色んな新情報を仕入れられるのが楽しかったからです。

でもそこで学んだこともあるのでシェアしておきますと、

1.ビジネスマンは基本的にメリットのないことはしない
2.界隈から一般の人に降りてくる情報は半分以上既に使い古された状態でやってくる
3.情報を発信することそのものがビジネスになっている

ということです。

今日のプログラミングについてのことも同じです。ただ情報自体は最近は嘘とかそういうのは減ってきていますが。

ビジネスマンはメリットのないことはしません。明るい見方をすれば「プログラミングスクールを開いて入ってくれれば自分たちが儲かる」とか
「情報発信することで自分も学べてお金も入る」とかそういうのです。

それだけならいいんですが、
ここで言いたいのは「彼らは100%ボランティアで"これがいい"と言っているわけではない」ってことです。

つまりどういうことかというと
「本当にいい情報なら自分達がやってる」からです。
彼らは常に1番お金が入る位置にいます。

これはホワイトなビジネスマンもブラックなビジネスマンも共通してます。
(ホワイトなビジネスマンは他人の為や自分の使命に沿っていてブラックなビジネスマンは自分の欲だけを大事にしてます)

要するにプログラミングがある程度大事になるのは事実なんですが
自分達はその情報を発信する事でもお金が入るし、プログラミングを学んでくれることでもお金が入るし、プログラマーが増えることでもお金が入るような
そういう位置があると思います。

まぁそれは別にいいし、役に立った人がお金を得るのは普通のことですが
要するに「最善の情報」というよりは一段階下の情報だよ、ということです。

だってプログラマーって労働収入じゃないですか。

本当に稼ぐ人ってまず自分でプログラム書きませんし。人にお願いして良いAIを作ってAIに稼がせたりAIを人に売ったほうが効率的じゃないでしょうか。
権利収入型にお金持ちはします。

もくじの1と2があるから,「確かにプログラマーが大事なのは事実だけどそこにはこういう面があるよね」と思うわけです。 

−−−
3.本当の意味で最も重要な事


ここからは大事なことに移ります。


「これからの時代に大事なもの」は
別に食いっぱぐれない事ではありません。
つか飯くらい(考える力があれば)誰でも得られるようになります。

コミュニティかAIか、EQ方面にしろIQ方面にしろそういうのはどうにかなります。(時代に逆行していなければ)

プログラミングをやってくださいと
私がおすすめできるのは
「プログラミングが大好きな人」だけです。

好きじゃないのにお金のために仕事を選ぶのはやめたほうがいいです。

権利収入だろうが労働収入だろうが
好きなこと(誰にも何も言われなくてもやること)で生きていく方が大事です。
スピリチュアル的に言えば「ワクワクに沿って生きる」であり科学的に言えば「内発的動機で生きる」事。

それが何よりも大事です。第一段階。

その上でやりたいことに沿った情報やツールを手に入れたり、情報を見極める力を持つか、助け合える家族のようなコミュニティを作ったり仲間を作ることです。

−−−
4.自分で考える,選ぶ事の重要性 


AIとコミュニティがあればほぼすべてのことは可能になります。
そこで大事なのは「自由な中で何を選ぶか、生み出すか」になってきます。

先程も申し上げたとおり、
好きな事で生きていくから楽しいし
我慢してたら食えたって楽しくありません。

何が食えるかじゃなく何が好きか。
外側ではなく内的な面に耳を傾けることが何よりも大事だと言えます。

何かを誰かが保証してくれる時代ではありません。

自分で考える力があれば情報にも時代の流れにもついていけます。
自分の声を聞ければ行きたい場所に行けるし生きたい自分に向かっていけます。
自分で選べれば後悔しません。

自分のハートに従って、嘘をつかず
選択する時は頭じゃなくて心で。

何が儲かるじゃなくて何が自分らしいか
そうやって生きていきましょう。

それでは。




2021/02/14

2021-02-14 14:08:35 | 日記
物事には常に陰陽があり科学の反対はいわば感覚。

目に見えるものに相対するものが精神的なものであるのと同じことだ。

そちら(精神的なもの)は最近においては軽視されがちだが,
それに対して言えることを書くならば
科学はあくまでも"裏付け"である。

故にそれ単体において「開拓者」となり得る事はないと私は考えている。

あらゆる歴史上の出来事を見れば分かると思うが、常に革新は人のアイディアから生まれている。
科学とはそれを本人や周りが解釈した際に生まれたものだ。

今日では「科学的に証明された〇〇の方法!」なんてものが沢山あって支持も受けているように感じる。

勿論それ自体は悪いことではなく、その「裏付け」を「情報」として仕入れる事が出来れば他よりも効率よく成長ができるであろうと思う。一定のラインまでは。

たださっきも言ったとおり科学というのはあくまでも"実際に事が起こってからある程度の時間が経って検証される"という手順を踏んで行われるものである。

コロンブスの卵ではないが、
それはあくまでも「再現」の領域であり
その情報を知ることで1を9にはできても10にするには足りないのである。

いつだって新たな革新をもたらすのは突飛なアイディアとそれを信じ抜く力であり、それが先駆者に共通したものだと私は思う。

また往々にして論理的な人というのは最も重要な事を見落としがちである。

私が懸念する部分はそこにある。

そういった「科学的に証明された」事を扱う人が最前線に立ち、それを大衆が最も素晴らしい事のように扱う。

一見するとおかしい事ではないように感じるかもしれない。

ただこれを推し進める事によって人々は"新しいことに対しても根拠があるかどうかを求めるようになる"のではないだろうか。

新しいことに根拠などない。
夢やヴィジョンがあり、それを信じ抜いた人こそ新しいことを生み出してきたという事実を人は忘れがちだと思うのだ。

ゆえに本来はそういった感覚やヴィジョンこそが最前線に立っていく方が良いのだと私は思っている。
科学や裏付けというのはそれをサポートする役割であったほうがよいのではないだろうか。

科学とは形あるものであるが故に信頼しやすいという一面は確かにあるが、最も大事なことは目に見える事ではない。

最初に書いたとおり物事には陰陽があり、形あるものがあればないものもある。

形ある合理性や論理性というのは「優秀なツール」であって、その根本にある「精神性や愛、感覚」といったものを見過ごせば人々は長い目で見れば方向性を間違えていく可能性も高い。

形無きものあっての形あるものであり、
アイディアあっての裏付けなのである。
という事を私はここに明言しておく。

これからの時代に中心に据え置かれるべきは科学や目に見えるものではない。
それを忘れずにいくことができれば、
科学や目に見えるものも最大限の役割を果たしていくことができるだろう。

ではまた。

はじめまして!flowertty5571です

2021-02-14 13:43:28 | 日記
はじめまして!
flowertty5571と申します。

このブログは日記をメインに書きたいと思い始めました。

よろしくお願いします!