こんにちは。
昨日、8月6日は広島に原子爆弾が投下された日でした。
平和を望む想いは常日頃からありますが、この日は広島で起こったことを受け止め、後世に紡いでいくことが必要なんだと再確認する日だと思います。
自分の子どもたちに戦争のこと、平和のことを語るとき、どうしても思い出すのは祖母が言っていた「語っておかなければ、なかったことになる」という言葉。
子どもたちの夏休み期間に、私なりの平和への想いを語っていきたいと思います。
話は変わって、タイトルにある介護士備忘録。
市議会議員として当選する前、19年間介護士として働いてきました。同時進行で12年間、実母の介護も行ってきました。
今月で、介護士の仕事から離れて2年が経ちます。
議員としての経験年数が増えるたびに、介護士として働いていた自分から離れていくということは少し怖いことでもあるのかな…と思い至りました。
介護士&母の介護をしていた当時の自分の想いを、このブログに残していこうと思います。
あくまでも私の主観的な備忘録となりますので、ご了承ください。
日々の活動報告と並行しての投稿になるかもしれませんが、よろしくお願いします!
備忘録 その1
私が介護士として就職した20年前、当時の利用者(入所)の方々は本当にほとんどが女性でした。(男性の利用者は10%程度)
今思うと、介護保険制度は始まっていましたが、まだまだ介護の社会化の意識は乏しく、家族(主に妻など)が介護を担っていたのだなと思います。
それからおよそ20年、介護サービスの幅は広がり、認知症に対する認識も高まりました。
面会に来るご家族が持つ、介護に対する要望や疑問も多くなり、たくさんの人が本人を取り巻く環境の一部として介護に関わってくれるようになったと思います。
その分だけ、運営する施設に求められるもの=サービスも増え続けます。求められるサービスと必要なケアのバランスに対して、カンファレンスを行ったことを昨日のことのように覚えています。
介護は本人や家族だけのものではなく、地域や社会で担うものと介護保険制度でもうたっています。
それでも、制度あってサービスなし、という現状があること、この仕組みの部分に声を上げていかなくてはいけない…。このことに、介護士として働きながら気づくことは難しいことで、さらにそこから本当に声を上げることはもっと難しい…と行動できていなかった自分を思い出します。