「カレンダー・ガール」や「恋の片道切符」などで日本も席巻したニール・セダカ
ブリル・ビルディング系ライターの中で、誰が一番(ソフトロック的な)変幻自在感や高揚感を駆使していたかと言われたら、僕はニール・セダカが一押しです
68年以降の作風、70年代の復活劇は、ソフトロックとして扱われることも多いので、当り前と言えば当たり前かも知れませんが、僕的にはブリビル華やかなりし60年代前半の曲からすでにセダカ作品には、良い意味での“違和感”を起こさせるパートが多いと思うんですよね
特に、売れなくなった64年前後の曲は要注意
まだソフトロック扱いもされない時期ですが、チラホラ素晴らしいレコーディングを披露しています
あまり聴く機会もないと思いますがお勧めは
「Sunny」
「Let The People Talk」
「The World Through A Tear」Sedaka作曲ではない(日本語ヴァージョンあり)
「Nobody But You」
とかですかね
60年代前半から活躍しているシンガー・ソングライターの中で、彼ほど息の長かった人はいないと思いますが、その作品が常にみずみずしく生き生きとしていた点は、本当に素晴らしいと思います
「カレンダー・ガール」とか「恋の片道切符」、「すてきな16才」など、いい曲が多いですよね。
16才とっくに過ぎているのに、自分の誕生日にUPしてみたり(笑)
「涙の小道」って、ニールさん本人の作曲ではないのですね。「なみだがホロホロこぼれるー♪」とかなんだか歌っていたような・・・。^^;
そう、その曲です!ブリッジが素晴らしいですよね。
「恋の片道切符」もセダカ作品じゃないですもんね。シンガーとしても自信十分という感じでしょうか。
ニール・セダカですか!
私などはどうしても”ビートルズ以前”に活躍していた人達を無視してしまいがちです。
でも、彼なんかは無視するのには勿体ない存在ですよね!
ただ、彼の60年代中頃以降の曲はあまり聴いたことがありません(汗)
ちゃんと聴かなければいけませんね!
それと私事で申し訳ございませんが、私のブログを移転させました。
これからも宜しくお願い致します!
60年代中頃以降は、モンキーズに提供した曲なんか本当にすばらしいと思います。
ビートルズ以前で、オールディーズ然としていない要素を持っていたアーティストとしては、やっぱニール・セダカは外せないと思いますね~。キャロル・キングよりもそう思います。
いよいよ移転ですねまたお邪魔させていただきまーす。ご盛栄を。
英語版はサビが厚いコーラスになるので、ブリッジからの高揚感がより味わえる感じです
モンキーズ、「When Love Comes Knockin’ (At Your Door)」なんか良いですねー。
あのアルバムの中で良い空気を醸し出してると思います
そういえば、JERSEY BOYSの中で、「君の瞳に恋してる」をリリースすることを渋るレーベルの社長が、ボブ・ゴーディオに"Frankie Valli is OK. But no Neil Sedaka!"と言い放つしシーンがあります。ここはけっこう笑いが起きる場面ですが、私は「何が」「どう」おかしいのかよくわかりませんでした(汗!)でも、先日再びシカゴで観たとき、近くにいたお爺さんたちが口々に"No!"と叫んでいました。(こういう風に「参加」する人が多いのもシカゴの特徴)「はぁ?当たり前だろ!」みたいな感じかな?この時点での社長の視点はかなりずれていたということでしょうか?でもそれが、大方の見方だったのでしょうか?(Valliにビッグ・バラードは無理…とか?)
お返事遅れましてすみません。
こういう“現地の笑い”って私たちには難しいですよね~~~。
悔しいけど、さっぱりですね。
この場合、その社長が笑われているということでよろしいのでしょうか??
「ヴァリは良いけど、彼はニール・セダカじゃないからな」
ということですよね??
それは「君の瞳に恋してる」を歌うということに関してなんでしょうか??
・・・なんだか質問まみれのレスになってしまいました
私も、最初のころは、このシーンでは単純に「ハハハ~確かにフランキーヴァリが『チュ~チュ~トゥレ~ン…』とか歌ってたら可笑しいよね~」ぐらいに呑気に笑っていましたが、何度も見ているうちに(二桁間近~)いや、これは重要な部分かも?と思えてならなくなりました。
ちょっと説明させていただくと…
ゴーディオが「カモン・マリアンヌ」「君の瞳に恋してる」の2曲をプロデュースするわけですが、レーベルの社長は「カモン~」の方は大絶賛するも「君の瞳~」については
...It's too hard to be pop, too soft to be rock. ...You come here with kind of f***ing art song, you're never gonna get airplay...などと言いたい放題!
そして、前述のセリフに繋がります。
ここはかなりコミカルに描かれていて、レーベル社長は完全に「悪玉扱い」ですね(笑)ゴーディオがどんなに下手に出ても首を縦に振らないのです。
そこで、ゴーディオはボブ・クリューと相談して、フランキーにデトロイトのライブでいきなり歌わせるという「奇策」に出ます。リスナーの耳に直接届ければ、絶対に口コミでこの曲の素晴らしさが広がるはず…と。当時は、レーベルとの契約を考えれば、これはかなり「危ない」やり方だったようですが、ゴーディオは「この曲はレーベルの曲ではなく、俺の曲だ!」と決断するのです。
この社長が「ニール・セダカを引き合いに出した」のは(会場の雰囲気を考えれば)今考えると、かなりズレている発想だったのでしょうか?でも、当時としてはそれが限界だった、というか、この曲がそれだけ時代を先んじていたということなのでしょうか…?
この後の「君の瞳に~」のパフォーマンスでは万雷の拍手がなかなか止みません。一番のハイライトです。この「ニール・セダカ」への言及をさらに突き詰めて、また粘着記事を書きたいと思っています。ベンジャミン様の解釈を参考にさせていただければ幸いです。
このJERSEY BOYSは本当に素晴らしく良くできた舞台ですよ。決して、MAMMA MIA!などと同列に語られるような作品ではありません。台本も演出も素晴らしく、演劇評論家の評価もすこぶる高いのです。一日も早い来日を望んでいます。
長文になってしまってスイマセン!
なるほど、つまり、「君の瞳に~」がニール・セダカ向きな曲だと判断している点がズレているんですね。
ボブ・ゴーディオのその戦略はすごいですね。
だから、ほぼ同時にまったく同じような曲「I make a fool of Myself」が存在しているんでしょうかね。サブというか。