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FIELD MUSEUM REVIEW

FM156ex 入れ歯の本居宣長◇横浜 神奈川県歯科医師会 歯の博物館 2023年05月17日

あの宣長先生が入れ歯をしていたというのだが、そんなこと誰が言いつけたんだろう。とゲスの勘ぐり、あてずっぽうだからといって、ゲスは guess ではないよ、下種、下衆、下司でげす。

ネタ元の(近時「情報源」というらしい)「歯の博物館」に行ってみようではないか。横浜は馬車道にちかい神奈川県歯科医師会館の7階にある歯の博物館*に、あらかじめ予約をとってもらっておもむいたのが、2023年5月17日のこと。

約束の刻限に、ていねいに迎えられ、参観時間1時間をあたえられた。へやの鍵をあけてくれる付きそいのかたがいらっしゃるが(又の名を見張りともいう)、説明をしてくださるわけではない。ワタシよくわかりませんと、いたって正直である。

室内にところせましと器具やら書物やら資料やら密集している点は、さきごろお訪ねした日本大学松戸歯学部の歯学史資料室と似ている。(*1)

文字の展示のひとつに、つまり張り紙のような掲示にさりげなく、宣長先生入れ歯説の根拠がしめされていた。なんと御本人がムスコあてのてがみに入れ歯の装着を告白していたのである。しかもかなり気にいっているふうに。

『本居宣長全集』によれば、寛政八年四月十五日付、「中衞」発「本居春庭」宛の書簡にこうある。句読点をうち、漢字をかなにひらき、改行をほどこす。
  昨日、津の入れ齒師まゐり、入れ齒いたし申し候。
  ことのほかよろしき細工成物にて、存じのほか口中心持わろくもなきものに
  御座候。
  この歌よみ申し候。
てがみの末尾にある狂歌二首のうち、関連するものはつぎの通り。
    四月のころ入れ齒といふものをして、また物よくかまるる事をよろこびて
  思ひきや 老のくち木に春過ぎて かかるわか葉の 又おひんとは
春が過ぎ夏をむかえるこのごろ、老いて朽ちようとする木に、かようなわか葉が生えるとは、思いもよらなかったなあ、と。「老い」と「生い」、「朽ち」と「口」、「わか葉」と「我が歯」、これらがかけてある、なんて言わずもがなでありますね。

『全集』第十七卷「書簡集」(p.317)から全文を引いておきます。(*2)

四二一 寛政八年四月十五日 本居春庭宛
                            本居宣長記念館藏
   久助もたつしやニ而勤候由承り、悦申候、以上
一筆令啓達候、次第ニ夏めき申候、愈御無事ニ御入候哉、承度存候、此方皆々無事ニ候、
先日は眞風ぬし御立寄ニ而、ゆるゆる掛御目、御地樣子共委細承悦申候、
先日は長壽之人之作ノ火打贈賜り悦申候、めつらしき事ニ御座候、
火打之御歌も見申候、おもしろく候、我等も狂歌よみ申候、末ニ相認御目ニ掛申候
○湊町嘉左衞門も先日登り申し候
○此間山田藤本五郞右衞門ノ御袋、同内儀兩人見え申候而、一兩日逗留、昨日歸り被申候
○大祓後尺、よろしく出來申候而悦申候、京地へうばんいかゞ御座候哉、承度存候
○昨日津ノ入レ齒師參り、入レ齒致シ申候、殊外宜キ細工成物ニ而、存し之外口中心持わろくもなき物ニ御座候、此歌よみ申候
○大記江戸下向、名古屋ニ一日逗留ニ而、千秋へもゆるゆる逢被申候由、千秋殊外之悦ニ而、周防殿事大感心、感淚を流し被悦候よしニ御座候
先は早々申入候、猶期後音、恐々謹言
                  中  衞
    四月十五日
   健 亭 殿
    火打師ノ狂歌
 百の外へおのがよはひを打出して石よりかたき火打うりかな
    四月のころ入齒といふ物をして又物よくかまるゝ事をよろこひて
 思ひきや老のくち木に春過てかゝるわか葉の又おひんとは

狂歌の詞書き「四月のころ入齒といふ物をして・・・・・・」に『全集』「書簡集」編者が注して、「この題詞と「思ひきや」の歌は、『自撰歌』四「寛政八年丙辰」の詠に載る」と記している(同書 p.665 補注)。

寛政八年は西暦1796年。「中衞」は本居宣長(1730-1801)の名のりで、寛政七年二月以降のてがみに用いられている。正月より以前は「春庵」であった。『全集』には宣長先生の書簡が927通おさめられている。

入れ歯をあつらえた寛政八年には先生よわい六十代であるから、有名な「自画自讃像」にちかいころでしょう。鈴屋(すずのや)さんの書斎は伊勢国松阪(まつさか)にあり、そこで津のまちから入れ歯師をよんだものとみえます。
本居宣長六十一歳自画自讃像(本居宣長記念館蔵) 寛政二年(1790年)八月制作

さて、歯の博物館でした。せっかく見せていただいたのですから、列品解説をしたいところですが、写真撮影に許可申請がいりますし、公開利用が有料となります。

館のウェブサイトに参考図書が紹介されているので、それにゆずります。現館長の編著にかかる書籍3点。そのうち館内にも展観してある『目で見る 日本と西洋の歯に関する歴史』の表紙を、本項の見出し画像に借りました。さすがにこれは無料でしょう。(*3)

当日購入した絵はがき、日本版と西洋版、それぞれ5枚、各500円があります。おのおの1点づつ紹介したいとおもい、浮世絵「風俗三十二相」芳年画(1888年)と、石版画、歯を抜いている風景(作者・年代不詳)とをえらびましたが、著作権「©神奈川県歯科医師会「歯の博物館」」が設定されていて画像を公開できません。絵はがきは館のウェブサイトに遠目にうつっています。(*4)

公益社団法人 歯の博物館は、「神奈川県歯科保健総合センター(神奈川県歯科医師会館)の竣工と同時に」1987年(昭和六十二年)開館した。
「日本における近代的歯科医学は、開国後に来日した西洋人歯科医(米国人 W.C. イーストレーキ等)が横浜の外国人居留地で歯科を開業したのが始まりとされて」いる。「このことを強く意識した神奈川県歯科医師会の加藤増夫会長(当時)の発案により」歯の博物館が設置されたという。(*5)

館蔵資料と、大野粛英(おおの としひで)、羽坂勇司(はさか ゆうじ)両氏の所蔵品とを中心に約150点を展示した企画展があった。
横浜開港資料館*「痛っ 歯が痛い -歯科医学の誕生と横浜-」(2011年)である。
「西洋人歯科医の来日から約150年」、「入れ歯や房楊枝、歯科治療器具といった様々な資料を通じて、西洋人歯科医来日以前の歯科事情から昭和期の学校歯科治療まで、横浜におけるむし歯治療と予防の歴史をたど」る企画であった。(*6)

神奈川県歯科医師会館のまえに石碑がたつ。「我国西洋歯科学発祥の地」碑と「西洋歯科医学勉学の地」碑である。どちらも原位置から移設されたもの。
博物館ウェブサイトにも「近代西洋歯科医学は横浜からスタート」とある。そのとき日本近代歯科医学の祖イーストレーキの名がかならずともなう。

1865年(慶應元年)に来日したイーストレーキ William Clark Eastlake (1834-1887)が横浜で歯科治療を開業したのが、近代歯科学のはじまりというのである。しかし、それ以前に長崎で開業したという説もある。いづれにせよ何でもナガサキかヨコハマが発祥地とされ、元祖だか本家だかになるのだ。
イーストレーキ像(日本大学松戸歯学部歯学史資料室旧蔵)

その後、1877年(明治十年)までに横浜に居留した西洋人歯科医は11人をかぞえる。その多くは居留地で開業し、おもに居留外国人の治療にあたった。日本人の治療をすることは稀であった。(*7)

制限時間内の緊張と集中につかれた三人は、汗をふきふき馬車道「十番館」の喫茶室ににげこんだのでした。
(大井 剛)

(*1) 日本大学松戸歯学部の改築にともない、歯学史資料室は2023年6月9日に閉鎖された。貴重な資料の散逸をふせぐため、同大学のかたが力をつくしている。内部に、そうでないひともいるらしいが。
(歯学史資料室 ⇒ FM156「入れ歯はツゲの木で◇松戸 日本大学松戸歯学部」2023年03月01日 へ)

(*2) 『本居宣長全集』第十七卷、大久保正編、筑摩書房、1987年。第二刷、1990年による。引用は同書 p.317 から。
『全集』書簡集のてがみ本文は追いこみで改行がないが、ナカミのくぎりのはじめに「○」をつけて分別している。これが元のてがみにあったものか、書簡集編者がおぎなったものか、「凡例」にも「解題」(大野晋)にも記述がない。
読点すなわちテン「、」は編者の補足。また編者のほどこした返り点、送りがながあったが、引用のさい省いた。

(*3) 『目で見る 日本と西洋の歯に関する歴史-江戸と明治期,16-20世紀の資料を中心に-』第2版、大野粛英、羽坂勇司著、わかば出版、シエン社、2011年。A4判、397p. (全414p.)、本体14,000円、税込15,400円となっております。

買えないけれど、せめて目次を書肆の広告からうつしておきます。
Ⅰ 日本の歯に関する風俗と歯の治療 ―江戸と明治期の資料を中心に―
 第1章 お歯黒
 第2章 江戸・明治時代の房楊枝(歯ブラシ)・歯みがき粉
 第3章 日本の入れ歯
 第4章 日本の抜歯
 第5章 歯痛・歯草の治療
 第6章 幕末に横浜居留地で開業したアメリカ人歯科医と近代歯科技術の伝来
 第7章 歯の衛生週間ポスター・看板・双六
 第8章 歯科診療器具・技工器具
Ⅱ 西洋の歯に関する風俗と歯の治療 ―西欧の16-20世紀を中心に―
 第9章 西洋における歯科の歴史
 第10章 西洋の歯ブラシ・歯みがき粉・小楊枝
  付 中国の口腔衛生
 第11章 西洋の入れ歯
 第12章 西洋の抜歯器具・治療器具
 第13章 歯科に関係する絵画・人形・写真

(*4) ちなみに絵はがき日本版にも入っている「歯磨き」の図、浮世絵「俳優日時計」辰ノ刻、国貞画(1816年)は、見出し画像(本の表紙)に同じ。

作者・年代不詳」の抜歯をえがく石版画は、絵はがき西洋版にふくまれているが、トルコ風である。文字をきちんと読んだら、なにかわかるかもしれない。具眼の士の鑑定に俟つ。


(*5) 歯の博物館ウェブサイト「資料」による。「主な展示」欄をうつす。
「お歯黒、日本と外国の口腔清掃道具(楊枝、歯ブラシ、歯みがき)、日本の民間療法、歯の塚、日本と外国の入れ歯(木、金属、陶磁、象牙、ゴムなど)、江戸時代の歯科、日本と外国の治療器具、近代西洋歯科医学の伝来、明治・大正・昭和の診療ユニット、歯の衛生週間ポスター、歯みがきの看板、広告、頭蓋骨など」

『歯の博物館ガイドブック』公益社団法人 神奈川県歯科医師会、2015年。2020年再版。

(*6) 横浜開港資料館館報『開港のひろば』第111号、2011年2月。p.1. 執筆:石崎康子。
企画展に所蔵品を提供したひとり大野粛英さんは、歯の博物館現館長である。

大野粛英著『歯』法政大学出版局、2016年、ものと人間の文化史。247p.

(*7)(*6)前掲、横浜開港資料館館報。

(更新記録: 2023年5月17日起稿、6月23日公開、6月25日、6月29日、7月28日、2024年6月14日修訂)

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