goo blog サービス終了のお知らせ 
見出し画像

FIELD MUSEUM REVIEW

FM117ex_06 マニ教聖像の発見◇日川溪谷 天目山栖雲寺〈続〉2021/12/11 2021年12月11日


大菩薩峠にみなもとを発する日川のほとりに天目山栖雲寺がある。ほとりとはいえ標高1050メートルに達する溪谷である。寺は富嶽に対面し、川の水はくだって富士山の西を南流する富士川に合して太平洋にそそぐ。
(写真1枚目は、20世紀前半の栖雲寺。見出し写真も同じ)

元のくにに渡って修行した業海本浄が、帰国して甲斐の木賊山(
とくさやま)にひらいた護国禅寺が、のちの栖雲寺である。開山は1348年(貞和四年/正平三年)、本朝南北に朝廷が分裂した時代であるから、南北朝の年号を併記する。

この寺に伝わる仏画に、その箱書きにより「虚空蔵菩薩像」とよばれた絹絵がある。世も21世紀となって、それがにわかに景教の聖画ではないかと指摘された。景教とは、むかしシナに流行した東方シリア教会のキリスト教である。すこし前まで(やはり今でも)ネストリウス派キリスト教でとおっていた。ところが景教の画像ではなく、摩尼教(マニ教)のイエス像であるという説があらわれて、ますますにぎやかになってきた。
(栖雲寺の仏画 ⇒ FM117ex_05「禅と十字架◇日川溪谷 天目山栖雲寺 2021/12/11」
2021年12月11日 へ)

研究はつねに現在進行形にちがいないが、これまでのいきさつを簡潔におさえておこう。ここでは森安孝夫さんの近著『シルクロード世界史』(講談社選書メチエ、2020年9月刊)をたよりに、かいつまんでまとめてゆく。森安さんは1948年生れで、いま大阪大学名誉教授、公益財団法人東洋文庫監事・研究員である。森安博士を「さん」付けでよぶことを読者諸賢おゆるしください。(*補記)

さて、くだんの絹本着色「虚空蔵菩薩像」である。栖雲寺のニューズペーパー「栖雲寺たより」に写真がのっている。カラーだが、なにしろ小さい。(*1)

この絹絵の存在をいまの世に知らしめた泉武夫氏の論文は、もう一点、14世紀の江南仏画「六道絵」とみなされてきた大和文華館(奈良県)蔵の絹絵を紹介した。これがすべてのはじまり。(*2)

中国福建省泉州に史上最後のマニ教寺院と目される「草庵」がある。そこに安置されている「摩尼光仏」の石像と、大和文華館蔵の絹絵の主尊とが、造形のうえで酷似している。泉論文のこの指摘をうけて、中央アジアのむかしの言語を専攻する吉田豊氏(当時、京都大学教授)と森安孝夫さん(当時、大阪大学教授)とが大和文華館の絹絵をしらべ、台座にすわった主たる人物像をマニの肖像であると判断した。(*3) 画像ぜんたいはマニ教「個人終末論図」とよぶべきだという。

そもそもマニ教とはなにか。ササン朝ペルシアに生まれたイラン人マニ(216-276/277)が、神の啓示をうけて創始した「二元論的折衷宗教」である。森安さんの記述をかりると、マニは「イラン民族固有のゾロアスター教、メソポタミア発祥のユダヤ=キリスト教、ヘレニズム的なグノーシス主義、そしてインドの仏教・ジャイナ教などから学んだ思想を取り入れ」た。その結果「天国と地獄の観念、輪廻の概念、最後の審判、救済者(メシア)思想、三際という時代区分、出家と在家の区分、極端な不殺生主義などが混然一体となっている」。(*4)

古代ローマ帝国で4世紀はじめにキリスト教が公認されるが、マニ教は4世紀から5世紀にかけて最盛期をむかえた。青年時代のアウグスティヌス(354-430)がマニ教徒であったことは有名である。のちにキリスト教に改宗し、マニ教に論駁する過程でキリスト教の教義をきたえていった。

マニ教は唐代のチャイナにソグド人やウイグル人によって伝えられた。「八世紀後半から九世紀前半に中央ユーラシア東部の覇者となった東ウイグル帝国で国教となり、その後継国家として東部天山地方を支配した西ウイグル王国でもその状況が十世紀後半~十一世紀初頭までは続いた」。(*5)

「もともと夷狄(漢民族以外の異民族)の宗教であった仏教は、唐代にはすでに中国仏教となって根付いていたが、新たにシルクロードを通って唐代の三夷教と呼ばれる摩尼教・景教・祆教[けんきょう]、すなわちマニ教、東方シリア教会のキリスト教(旧称はネストリウス派キリスト教)、およびゾロアスター教が入ってきた。ただし、イスラム教=回教はまだこの数に入っていない。」(*6)

いきさつを簡潔に、といいながら、無限の広野をさまよっているようである。これでも森安さんの本から骨ぐみだけ抜きだしている。本のナカミがみっしり詰まっているから、啓蒙を目的とした概説なのに難しいと評されるわけだ。ともかく唐代後半に弾圧されるも、宗教に寛容なモンゴル・元代に息をふきかえす諸宗教であった。

そうして宋元江南仏画といわれるもののなかに、じつは仏教以外の宗教の絵がまぎれていることが明らかになった。そこで栖雲寺(山梨県)蔵の伝「虚空蔵菩薩像」にもどると、森安さんとアメリカの学者さんが「ほぼ同時に」おのおの「独立して」これを「マニ教のイエス像」であると断定した(森安前掲書、p.203)。(*7)

いっぽう山梨県は栖雲寺の「虚空蔵菩薩画像」を文化財に指定した(2011年7月11日)。その「絹本著色十字架捧持マニ像」一幅は、掛幅装、縦153.3cm、横58.7cmである。(文化遺産オンライン*による)
これが2020年に山梨県立博物館の特別展「甲斐の国のたからもの」(会期:2020年11月18日-12月7日)に「十字架捧持マニ像」として展示された。十字架をささげもつマニの肖像であると。

イエス像とマニ像、イエスとマニとの関係に、いまは立ち入らないことにする。

日本で仏画とされてきたもののうちから発見されたマニ教絵画は、はじめの2点とあわせて、2020年現在すくなくとも9点に達している。なかでも学者を驚倒させたのは、天地創造にはじまる教義を図解した「宇宙図」(個人蔵)である。(*8)

2019年には藤田美術館(大阪府)の収蔵庫にねむっていた「地蔵菩薩像」がマニの肖像であると判明した。(*9)
これは朝日新聞社などが主催した奈良国立博物館の特別展で公開された。こちらの絵のカラー・イメジがあるが、写真の掲載許可を求めていないので、ここでは遠慮しておく。(*10)

森安先生の前掲書には、本稿に言及したすべての絵画の写真が掲載されている。14世紀に(元から明にかけて)中国江南で制作されたと考えられる栖雲寺蔵 伝「虚空蔵菩薩画像」ことマニ教のイエス像または十字架をささげもつマニ像も、おなじく14世紀江南制作とみられる藤田美術館蔵「地蔵菩薩像(マニ像)」も、ふくまれる。しかしあいにく色はない。
(大井 剛)

【見出し写真】「天目山栖雲寺」『甲斐勝景写真帳』甲斐保勝協会編、1932年(昭和七年)。写真1枚目も同じ。

(*1) 天目山栖雲寺*ウェブサイトにも公開。いま栖雲寺は臨済宗建長寺派に属し、青柳真元住職が2009年から栖雲寺たより『天目』をおおむね年3回発行している。この画像のカラー「画像」が小さいながら掲載されているのは、7号(2011年5月)と13号(2013年7月)である。

栖雲寺たより『天目』によって寺宝「虚空蔵菩薩画像」の来しかたをたどる。
2010年秋、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された特別展に「景教の聖像画」として出展された。現地では「その他の宗教」エリアの最初に展示してあったとのこと。
2012年、大和文華館(奈良県)、および龍谷ミュージアム(京都府)に展示された。
2013年、それまで甲州市指定文化財であったが、山梨県の文化財に指定されることが決まった。
2020年、山梨県立博物館の特別展「甲斐の国のたからもの」に「十字架捧持マニ像」として展示された。

メトロポリタン美術館*によれば、画像が展示されたはずの特別展とは「クビライ・カーンの世界:元代のシナ美術」(会期:2010年9月28日ー2011年1月2日)であった。
The Metropolitan Museum of Art (The Met), New York, USA.
The World of Khubilai Khan: Chinese Art in the Yuan Dynasty.
https://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2010/khubilai-khan

宗教の項目に Buddhism (仏教)および Daoism (道教)についで Other Religions の項がある。サイトの解説をひく。

第三段落に Manichaeism とあるのがマニ教である。そのほかの用語をひろう。Yuan China 元、Quanzhou 泉州、Nestorian Christianity ネストリウス派キリスト教、syncretism 宗教混淆、宗教融合。

In addition to Buddhism and Daoism, a number of other religions were practiced in Yuan China. They were introduced by peoples of various faiths who came to China as traders or in the service of the Mongols. With the exception of Islam, these religions did not spread among the native population.

In the trading port of Quanzhou, on the South China coast, Indian traders built Hindu temples, fragments of which survive to this day. Followers of Islam produced steles and tombstones inscribed in Arabic.

Nestorian Christianity (spreading from Syria beginning in the fifth century) and Manichaeism (originating in Sasanid Persia) were known in China by the seventh century but retreated following a period of religious persecution in the mid-ninth century; they were later reintroduced by peoples of these faiths under the Mongols. While Nestorian objects can be found in Inner Mongolia and Quanzhou, there are few extant artifacts associated with Manichaeism, which is, however, known to have been practiced in Quanzhou and other port cities. In this exhibition are two rare paintings that appear to be Buddhist but have, through recent scholarship, been identified as Manichaean, demonstrating the syncretism common to Chinese religious belief.

(*2) 泉武夫「景教聖像の可能性-栖雲寺蔵伝虚空蔵菩薩画像について」『国華』1330号、2006年。pp.7-17. 図版1, 2.

(*3) 吉田豊「寧波のマニ教画 いわゆる「六道図」の解釈をめぐって」『大和文華』119号、2009年。pp.3-15.

(*4) 森安孝夫『シルクロード世界史』講談社、2020年9月、講談社選書メチエ、pp.124-125.

(*5) 前掲 註(*4) 森安著書、p.127. 漢数字の表記に手をいれた。

(*6) 前掲 註(*4) 森安著書、p.196. 「回教すなわちイスラム教はウイグル=回鶻から伝播したという俗説は真っ赤なウソである。この頃のウイグルはマニ教を国教としており、唐でマニ教がいささかなりとも流行したのはウイグルの圧力による。」

森安さんのもっとも大きな著作のひとつは、『ウイグル=マニ教史の研究』(『大阪大学文学部紀要』31・32 [合併号] 全冊、1991年)である。
全文が大阪大学学術情報庫 OUKA (阪大リポジトリ)に公開されている。
https://hdl.handle.net/11094/6385 

森安孝夫著『ウイグル=マニ教史の研究』のドイツ語訳書はつぎの通り。
Die Geschichte des uigurischen Manichäismus an der Seidenstraße : Forschungen zu einigen manichäschen Quellen und ihrem geschichtlichen Hintergrund Üersetzt von Christian Steineck, Wiesbaden : Otto Harrassowitz, 2004, <Studies in Oriental Religions 50>. [ISBN 3-447-05068-3]

(*7) 森安孝夫「日本に現存するマニ教絵画の発見とその歴史的背景」『内陸アジア史研究』25号。pp.1-29.

(*8) 吉田豊「新出マニ教絵画の形而上」『大和文華』121号。pp.3-34.
また、吉田豊、古川攝一編『中国江南マニ教絵画研究』臨川書店、2015年。

マニ教の教義を図解した絵画は「マニ教信仰が残っていた時期には容易に見る事ができていて、その細密画のずば抜けたすばらしさはイスラム圏では有名であったが、十一世紀始めに現在のアフガニスタンで目撃されたのを最後に、後世にはまったく伝わらなかった。」(漢数字の表記を改変)

吉田氏が見いだし命名した「宇宙図」(個人蔵)は、縦137.1cm、横56.6cmと大きく、精緻なものである。「アウグスティヌスの著作のなかの記事と一致するシーンがいくつか見つか」り、その「記事の精巧なイラストとも見なす事ができるほどである。」-闇の世界と光による救済。-「中国江南から仏教画として日本に伝わった絵画に、わずかとは言え、アウグスティヌスの本文の理解を助けるものがあることは、痛快な事実ではないだろうか。」

「ユダヤ教やグノーシスの研究者たちは確実に本画から学ぶ所があるらしい。」と実例をあげるのは、つぎの文章である。

吉田豊「マニ教の「宇宙図」-東西交流のしるし」『古典について、冷静に考えてみました』(逸見喜一郎、田邊玲子、島﨑壽編、岩波書店、2016年)。pp.121-134.
註(*8)に引いた文は、いづれもこれによる。本書は(*4) 森安前掲書の「参考文献」にはあがっていない。

(*9) 古川攝一、吉田豊「地蔵菩薩像(マニ像)」『国華』1495号、2020年。pp.33-35. 図版5.

(*10) というかたわら、註にかかげるわたくしです。百聞は一見に如かざるなり。

奈良国立博物館、特別展「国宝の殿堂 藤田美術館展 曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき」(会期:2019年4月13日-6月9日)
『朝日新聞』紙版。ディジタル版、2019年5月1日(関西版)。
藤田美術館(大阪府)蔵「地蔵菩薩像(マニ像)」

のちに奈良国立博物館で特別展「名画の殿堂 藤田美術館展 -傳三郎のまなざし-」(会期:2021年12月10日-2022年1月23日)が開催された。

【*補記】 森安孝夫大阪大学名誉教授は2024年8月26日逝去された。享年七十六。
癌の病床にあって「森安通信」メールを発信しつづけた。一般財團法人東方學會の研究機関誌『東方學』第147輯(2024年1月刊)に座談会記事「学問の思い出-森安孝夫先生を囲んで」がある。
むかしむかし東洋文庫(東京都文京区本駒込)の旧館中庭で昼休みバレーボールに興ずるすがたが目にうかぶ。二階の窓から榎一雄先生が腰に手をあてて見おろしていた。

(更新記録: 2021年12月11日起稿、2022年6月6日公開、6月9日、11月18日修訂、2024年10月31日補記)

最近の「日記」カテゴリーもっと見る