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本と音楽とねこと

マチズモを削り取れ

武田砂鉄,2021,マチズモを削り取れ,集英社.(8.31.24)

路上、電車、学校、オフィス、トイレなど、日本の公共空間にはびこる〈マチズモ=男性優位主義〉の実態をライターが徹底調査!

ジェンダーギャップ指数、先進国でぶっちぎりの最下位――「関係ない」はもうありえない。

夜道を歩くことの恐怖、通学・通勤中の痴漢被害、発言権を奪われる不条理……最も身近な日常の場面から、変わらないこの国の「体質」をあぶり出す。

 わたしは、隠れXジェンダー、クエスチョニングであり、つねに、周囲が期待する「男役割」を裏切ることで、なんとか精神の均衡を保ってきた。

 そんなわけなので、威張る、恫喝する、威圧する、大声を出す、暴力をふるう、といった男男した振る舞いには、徹底して抗ってきた。

 本書では、不快きわまりない男男した振る舞いの数々が俎上に乗せられている。

 あおり運転は、自分の突発的な怒りや蓄積した苛立ちを特定の車をあおることで解消しようとする極めて幼稚な行為だが、ここにも、本書のテーマでもある、「なぜ、男性は、公的な場で、あたかも私有地にいるかのように、気ままに振る舞うのか」という問題が浮上する。四〇代の男性が最も多いという結果は、三〇代後半の自分としては情けなく感じるだけでは済まされない、恐怖に似た感情が湧く。なぜ彼らはこんなにもだらしなく怒りを晒しているのだろうか。なぜ、思いっきりあおり、力任せに詰め寄ることしかできないのだろう。ワイドショーで繰り返し、ドライブレコーダーに映ったあおり運転の加害者の映像を見る。大きな声で何かを叫びながら車に近づいてきて、ドアをドンドン叩く。最近の車には、あなたの姿を記録する装置が付けられていることくらいわかっているはずだが、それでも勢いよく突っかかってくる。いかにも、オレはオマエに勝てる、という勢いだが、そもそも勝ち負けを決める場面ではない。こういう謎めいた勝負に挑むのが九六%男性という事実。脳科学などではなく、ただ、人間を人間として尊重する意識、つまり、人権意識が欠けているのではないかと思う。
(pp.260-261)

 あおり運転をする男も、「人事命」の男も、その心性は同じである。

 権力パワー権力パワーパワーパワーカネカネカネ、サル山のリーダー争い、ラットレース、俺が上だ、俺は三〇商事だ部長だタワマンだBMWだロレックスだ飲み屋のあたま弱い女を囲ってるぞフェミニズムだ(爆笑)息子は慶〇のテニサだこのSDGsバッジが目に入らぬか、俺が上だ俺が上だ。

 会社には、ある時期になると、取引先の人事異動一覧がFAXで送られてきていた。数枚に分けられて届いたFAXを確認、会社で何番目かに偉い人が「人事、発表になったよ!」と声に出すと、次に偉い人やその次に偉い人やそのうち偉くなりたい人たちが、偉い人の机に寄ってたかった。新橋駅前で号外が配られた時のような人混みが一瞬にして完成されるが、その人混みに入れ替わり立ち替わり人がやってくるわけではなく、四人か五人程度が机を囲んだまま、「あの人は結局、部長にはなれなかったか」だとか、「北陸支店のあの人がサプライズ人事だ」だとか、「あーよかった、心配してたんだよ、この人」だとか、誰かの浮き沈みに論評を加え続ける。その様子を見て、あっ、この空間に長くいると、自分もたちまち巻き込まれるぞと警戒心を持った。二〇人もいないフロアだったが、FAXに群がったのは中高年の男性だけで、派遣社員の女性たちや、自分を含めた正社員の若手たちは、目の前の仕事を続けながらも、群がる男たちに醒めた目線を送っていた。自分はちょうどその群がる机の前で仕事をしていたので、その目線を受け止めることができた。
 あれから一〇年以上が経ち、かつての勤め先の人たちともそれなりに交友関係を維持しているが、あの時、醒めた目線を送っていた派遣社員の女性たちはあっという間に契約満了で入れ替わり、若手たちはそれなりに中堅になった。こちらが知らないだけで、なかには、すっかりFAXに群がるタイプになった人だっているのかもしれない。あの時、FAXに群がっていた人たちは、定年で辞めていなくなる以外は、役職を一つか二つランクアップさせていた。女性の管理職も増えてきているものの、基本的には「あの時、FAXに群がっていた男たち」で組織が動かされている事実が突き刺さる。自分は、部長になるために何十年もあくせく働こうと思わない人間なので会社員を続けることはできなかったし、「部長になったからって何がどうなるのだろう?」なんて乱暴な考えを静かに撒き散らすような存在だったので、その場がちっとも似合わないとの感覚もあった。勤続年数の長い男性たち限定のドラマを背中で傍観していたが、実際のところ、この平凡なドラマが、日本社会の構造を維持・継続させているのである。
 みんな、ホント、人事が好きだ。そして、人事によって自分が揺さぶられることを許している。重要なポストに就いていた人間が「辞める」と切り出すと、途端に、次は誰なのか、が始まる。そのポストを退く人間が何をしてきたのかではなく、次を探し始めるのだ。安倍晋三という存在に対する政治家・メディア・国民の反応がまさしくそれだった。あれだけ、いくつもの問題を宙ぶらりんにしたまま辞めるのに、素直に次の人事に移行した。結果的に自民党総裁選に立候補したのは年配の男性三名。タイプはそれぞれ異なるが、FAXに群がってきた人たちだった。
(pp.278-280)

 あまりにマチズモが濃縮されているので、ついつい繰り返し引き合いに出してしまうが、大ヒットドラマ『半沢直樹』は、簡単に言えば、人事のドラマだ。誰かが左遷されたり、誰かが満を持して戻ってきたり、誰かが就くはずだったポストを奪ったりしている。あのドラマに登場するのは、(あたかも日本社会をそっくりそのまま反映したかのように)おおよそ男性である。新しい人事が記されたFAXに寄ってたかる光景と構図は同じだ。男が男を上回ろうとする。男が男を潰そうとする。男が、男と男の仲裁に入って、落ち着かせようとするが、実はその男は他の男と策謀している。そんな「男たちの悪巧み」(安倍昭恵が、夫・安倍晋三が加計学園理事長らと談笑する写真をFacebookに投稿する際に添えた言葉)を日本じゅうが興奮しながら見ている。倍返しすべき時に涙を飲んできた人たちが、実際に倍返しをする光景を見て興奮するらしい。現実社会も架空の世界も、男だらけの中で男だらけの人事が決まっていく。男が男に、次に上がるのはお前だと言っている。どうして僕じゃないんですか、と男が苦虫を噛み潰している。倍返しはない。
(pp.282-283)

 反吐が出る。

 出版社の編集者であるKさんは、武田さんに次のように問いかける。

 会社組織において、入社から出世をへて退社に至るまでの人の動きをコントロールしているのは、人事権を持つ立場にいる人たちで、その多くは男性です。あらゆる局面で、私たちは彼らに評価されるために、尽くしつづけなければならない現実があります。その人たちによって私たちの進退が決まり、私たちの働きやすさ、生きやすさが決まるのだから。その権限の持ち主が男性に極端に偏っているこの状態はやっぱりおかしいし不健全だし、こんな構造の社会で一生を終えるのは嫌だと、しみじみ憤りが湧きます。
 この連載では、さまざまな公共空間におけるマチズモの温床を見出してきました。そしてその間、#MeToo、#KuToo、伊藤詩織さんの勝訴、『80年生まれ、キム・ジヨン』の大ヒットなど、さまざまに社会は揺さぶられたはずです。それなのに、いまだに歩くのは怖いし、痴漢は誰かの日常だし、スポーツで子どもが亡くなり、寿司は男たちの食べ物のまま、今夜もバーでマンスプレイニングが行われることでしょう。
一体いつになったら、私たちは楽になるのでしょうか?社会が根っこから変わるためには、資本主義経済を回し、労働環境や人事に直接影響を及ぼす立場にいる人たちが変わらなければならないと、強く強く思います。なのに、あいつら、びくともしない。
(p.286)

 カネと権力をめぐるパワーゲームにいそしむバカ男と、バカ男にかしずくバカ女・・・この地獄のような構図はいつまで続くのだろうか。

目次
一章 自由に歩かせない男
二章 電車に乗るのが怖い
三章 「男/女」という区分
四章 それでも立って尿をするのか
五章 密室に他人が入り込む
六章 なぜ結婚を披露するのか
七章 会話に参加させろ
八章 甲子園に連れて行って
九章 体育会という抑圧
一〇章 寿司は男のもの?
一一章 カウンターと本音
一二章 人事を握られる
おわりに


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