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本と音楽とねこと

歯車にならないためのレッスン

森達也,2023,歯車にならないためのレッスン,青土社.(4.20.24)

 本書は、映像作家である森達也さんが手がけた、2017年から2022年までの時局論集である。

 森さんは、ジャーナリストを名乗らない。
 空気を読めない、読まないという点で「鈍感」であり、あくまで自らの主観を大事にする、という。

 しかし、その鈍感さなり、主観にこだわる姿勢なりが、人々が自明とみなす状況の欺瞞、異常、非人間性を鋭くあぶり出す。

 人々は、凶悪な殺人事件が起こった際、被害者遺族に過剰に感情移入し、容疑者に憤怒する。
 そして、そうした社会の憤怒を背景にして、死刑判決が下され、死刑が執行される。
 死刑存置国が一貫して減少してもなお、日本では死刑制度が当たり前のこととして存続している。

森達也,2013,『死刑』角川書店.

 地下鉄サリン事件の主犯と目される麻原彰晃こと松本智津夫は、意思疎通が不可能なばかりか、拘置所と法廷でおむつに大小便を垂れ流し、常同行動を繰り返す、明らかに心神喪失の状態にありながら、死刑が執行された。(松本が保身のために詐病を装っていたとの説は、本書で反駁されている。)

 松本の死刑執行により、地下鉄サリン事件をはじめとする、旧オウム真理教による犯罪の究明の道は閉ざされた。

 サリン散布の実行犯たちは、麻原の命令どおりに動いた。
 そして、実行犯たちにも、死刑が執行された。

 内集団化した組織のなかで、リーダーの「命令に従って」行ったまでのことが、多くの人々を殺傷することにつながる──このことは、歴史上、何度も繰り返されてきたことだ。

 「凡庸な悪」──これは、ハンナ・アーレントが、ユダヤ人の強制収容所への移送を行った、アドルフ・アイヒマンを形容したものだが、アイヒマンも、法廷で、自分はヒットラーの「命令に従って」行ったまでだと証言している。
 そして、アイヒマンは、家庭では、こころ優しい良き夫、良き父親であった。

 ナチスのホロコーストだけではない。
 旧日本軍の中国大陸における虐殺、米軍による日本の都市を標的にした絨毯爆撃、原爆投下、スターリンによる大粛清、中国の文化大革命、カンボジアやルワンダでの大虐殺等々、善良な人々が「組織の歯車」として大量殺人を実行した。

 人間は、脆弱である。
 足は遅いし、訓練しなければ泳げない。身を守る毛皮もない。牙もなければ爪も退化している。
 その代わり、人間は言葉と想念を獲得した。
 自己保全をはかるため、過剰に恐怖と不安をいだくようになり、恐怖と不安の源泉──良からぬ言葉を発する内部の敵を見出し、言葉と権力を行使して威嚇、攻撃、排除する。

 旧オウム真理教信者──犯罪に加担していない一般信者たちは、公安、警察に違法に逮捕され、自治体からは住民票の受け入れを拒否された。
 この一連の問題を映像記録としてとりまとめたものが、「A」、「A2」である。

オウム ドキュメンタリー 「A」予告編

映画『A2完全版』

 社会、メディア、政治は一種の合わせ鏡であり、日本では、そのいずれもが、劣化の一途をたどってきた。

 社会は恐怖と不安に駆られ、野放図に権力を行使する強者を支持し、メディアは強者に忖度し「炎上」を怖れて萎縮する、そして国民の幸福など斟酌しない政治が暴走を繰り返す。

 これでも、日本は、「先進国」なのか?
 経済までもが凋落したいま、この疑念は強まるばかりである。

 ここで思いつくのはアメリカの大統領選。民主党か共和党か。メディアは支持する政党を隠さない。メディアだけではない。ハリウッドスターやミュージシャンなど多くの著名人が、支持する政党や個人名をはっきり口にする。
 二〇一六年の大統領選の際には、俳優のジョン・ヴォイトや、バスケットボール選手のアニス・ロッドマンがトランプ支持を表明し、ビヨンセやレブロン・ジェームズがヒラリー支持を公言した。ニール・ヤングやブルース・スプリングスティーンなどレジェンド的なミュージシャンも、当たり前のように自分の支持政党や応援する大統領候補を表明する。
 ならば日本はどうか。ユーミンや矢沢永吉、キムタクや大谷翔平が、支持政党や応援する首相候補の名前を、ライブやインタビューで発言する状況を想像してほしい。
 選択肢は二つ。ひとつは多くの人が互いに意見を言い合う。それを聞きながら自分の意見を決める。もうひとつは全員が沈黙する。意見は言わない。
 さてここで問題です。真の民主主義を実現するのはどちらでしょう。
(p.108)

 ワクチンも含めてすべての薬は、量を間違えれば身体に害をなす。つまり毒なのだ。だから薬効がある。表現も同様だ。微量の毒を持つからこそ人の心を抉る。深く突き通す。強い共感を引き起こす。でもあいちトリエンナーレで騒動になった「表現の不自由展」が端的に示すように、この毒に自分たちは耐えられないと思い込む人が多くなった。こうして自主規制と自粛が加速する。ならば「ゲルニカ」は国連本部に飾られるべきではなかった。丸木位里と俊が描いた「水俣の図」や「原爆の図」は封印されなければならない。石牟礼道子の『苦海浄土』やストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』も、読みながら苦しくなるから発禁だ。
 毒が中和された表現など、まさしく「毒にも薬にもならない」存在だ。
(p.308)

 信仰、思想、良心、表現、集会、結社の自由を手放しているのは、権力に自発的に隷従しているわたしたち自身であること、このことはどんなに強調しても強調しすぎることはないだろう。

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ,山上浩嗣訳,2013,『自発的隷従論』筑摩書房.

 勤務先で、森さんの講演を聞いたことがある。
 朴訥としたしゃべり方であったが、こころに刺さる言葉の数々が印象的であった。

 森さん、最近の映像作品としては、関東大震災直後、流言蜚語により、朝鮮人や社会主義者が民間人に殺戮される事件が頻発するなか、千葉県福田村(当時)で起こった虐殺を題材にした『福田村事件』がある。
 この事件では、香川県の被差別部落から福田村に行商で訪れていた人々9名が、自警団──村人を守ろうとした善良な人々により殺害されている。

森達也監督×井浦新×田中麗奈『福田村事件』特報

 ほかにも、すぐれた映像作品が何本もある。
 わたしもまだ見られていない作品が多いが、いずれ、見てみたい。

2021年12月3日『TatsuyaMoriTVWorks~森達也テレビドキュメンタリー集~』鬼才森監督による伝説のTVドキュメンタリー4本が奇跡のDVD化!

 『放送禁止歌』のひとつ、岡林信康の「手紙」は、YouTube等で聴くことができる。
 部落差別の理不尽を人々に突きつけるという点では、部落解放同盟のアジテーションより効果的だと思うのだが、放送が自粛されているのは残念である。

【OBK】岡林信康-手紙(歌詞)

映画『FAKE』予告編

森達也監督の社会派ドキュメンタリー『i-新聞記者ドキュメント-』予告

 書籍もおすすめだ。

森達也,2014,『いのちの食べかた』KADOKAWA.

森達也,2020,U──相模原に現れた世界の憂鬱な断面,講談社.

森達也,2022,千代田区一番一号のラビリンス,小学館.

人間は群れたがる生きものである。でも、だからこそ、僕たちには違和感を忘れないための訓練が必要だ。
過剰に安心・安全が求められるセキュリティ社会。不安や恐怖を煽られたひとびとは、群れ、馴れ、そして個を失う。その先に待ち受けていたのが、政権の暴走であり、死刑の追認であり、「自粛警察」の跋扈だった。
集団化に走る社会の「歯車」になることを拒み、負の歴史がつくってきた轍を二度と踏まないために。反骨のドキュメンタリストが倦むことなく違和感を表明してきた、この6年間の思考の記録。

政権の暴走、死刑の黙認、匿名の誹謗中傷―根源にあったのは「集団化」だった。一人称単数を徹底して貫き、倦むことなく違和感を表明してきた、ゆるぎない思考の記録。

目次
2017 煽られる危機
2018 「馴れ」の果て
2019 個を欠いた社会
2020 自ら従う人びと
2021 上滑りすることば
2022 ゆらぐ正義


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