ロバート・D・パットナム、シェイリン・ロムニー・ギャレット(柴内康文訳),2023,上昇(アップスウィング)──アメリカは再び<団結>できるのか,創元社.(5.11.24)
ロバート・パットナムは、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)という用語を人口に膾炙させた人物であると同時に、次から次へと大部の著作を世に問うてきたことでもよく知られている。
パットナムの名を世界に知らしめた『孤独なボウリング──米国コミュニティの崩壊と再生』以外にも、以下のような著作群がある。
ロバート・D・パットナム、デヴィッド・E.キャンベル(柴内康文訳),2019,アメリカの恩寵──宗教は社会をいかに分かち、結びつけるのか,柏書房.
ロバート・D・パットナム(柴内康文訳),2017,われらの子ども──米国における機会格差の拡大,創元社.
ロバート・D・パットナム(猪口孝訳),2013,流動化する民主主義──先進8カ国におけるソーシャル・キャピタル,ミネルヴァ書房.
ロバート・D・パットナム(河田潤一訳),2001,哲学する民主主義──伝統と改革の市民的構造,NTT出版.
(p.303)
パットナムは、上図のように、1960年代を境にして、アメリカ社会は「上昇」から「下降」に転じたとする。
「疎外」「アノミー」「仲違い」「不安」、全てがNgramで長い六〇年代に急増したバズワードである。このムードは、一九七九年のジミー・カーター大統領による全国テレビ演説──本節に記述してきたほとんど全ての出来事と傾向をまとめていた――に封じ込められたものだった。この演説を彼は「自信に対する危機」と題したが、すぐに、またふさわしく「不安演説」という呼び名がついた。六〇年代後半の危機は一体として、前半の国家的自信をむしばみ、集合的で平等主義的な熱意を巧妙に低めたのである。
一九七〇年代はトム・ウルフの一九七六年の示唆に富むエッセイで「わたし時代」と名付けられたことで有名である。自助運動とニューエイジの精神性の爆発的人気を詳述することで、ウルフが明らかにしたのは、それまでの年月のくらくらするようなめまいに続いて起こった内向きへの全国的転回だった。アメリカ人は、大きな問題に対する大衆抗議に背を向け、個人としての彼らにとって悪いものは何かに焦点をあてるという心理セラピストや宗教指導者を支持するようになった。すなわち、七〇年代とは人々が社会を直すことへの願いを止め、自分自身を直すことのみを考え始めた時代だった。
(pp.330-331)
下降、それは、所得・資産格差の拡大、人種間平等の停滞、政治的分極化、コミュニティ、労組、家族等の脆弱化、解体、そしてミーイズムとナルシシズムの昂進といった現象となって現れているとする。
20世紀半ばまでの「上昇」を推進してきた「進歩主義」のスピリットを米国人は取り戻すことができるのか、パットナムは慎重に議論を重ねる。
もちろん、アメリカに現代の上昇を生み出すのに十分なほどの改革案に求められる大きな方向転換は、人によっては急進的に見えるかもしれない一世紀前とちょうど同じように。第三章で指摘したように、進歩主義時代を通じて国家的課題へといたった問題は、今日議論されているものと極めて類似している。国民皆保険、高齢者、失業者そして障害者のセーフティネット、累進的な所得・遺産課税、環境規制、労働改革、行きすぎた大企業独占の削減、ジェンダー平等、そして選挙資金改革のように。進歩主義者は現実的ではあったが、にもかかわらず妥協することなく、深くまた根本的にアメリカを作り直し、上昇のためのお膳立てをするプログラムと政策を追求したのである。共通の目的を見つけ、共通の基盤を確立し、共通利益のための共有ビジョンを発展させるために結集するのは極めて不可欠なものであるが、単なる「グンバヤ的われわれ性」は巨大な経済的不平等を改善し、絶望死を抑制し、人種差別、性差別を終わらせることはないだろう。
われわれは、進歩主義時代の戦略的教訓の統合を、気候変動についての積極行動のなかにもっとも顕著に見始めている――これは究極の「われわれ」問題である。活動家たちは、何もしないことのコストに対し道徳的に覚醒するようにと訴えている。市民、自治体、各州は、環境悪化の影響を地域レベルで抑制するための急進的なイノベーション、規制、そして法制を試みている。組織家たちは大規模抗議の動員のため、インターネットと対面の両方に基づいた手法を用いている。そして若者たちは緊急の、情熱的な行動への呼びかけを生み出ず先頭に立ってきた。
(p355)
さまざまな指標を考案し、計量データを示すことで、自説を手堅く展開していくスタイルは、これまでの著作と変わらない。
米国の閉塞状況は日本のそれとかなり重なり合う。
日本社会の未来を構想する社会変動、社会計画の議論は、本書の知見をふまえて展開されていくべきであろう。
緻密な統計分析と幅広い領域を見渡すダイナミックな論理展開で、現代アメリカにおける格差拡大の背景と社会関係資本〈ソーシャルキャピタル〉の重要性を論じてきたR・D・パットナム。
『孤独なボウリング』『われらの子ども』などのベストセラーに次ぐ本書では、気鋭の作家S・R・ギャレットの協力のもと、アメリカの過去100年における「われわれ(We)」性の上昇と下降が描く逆U字曲線に着目する。
19世紀末には極端な個人主義だったアメリカ社会が、約半世紀をかけて徐々に差別と格差を縮小させ、利他性とコミュニティ志向を強めたのち、1960年代をピークに再び下降して現在の排他的な差別・格差社会に至るまでの大きな流れを、政治・経済・社会・文化・人種・ジェンダーなどさまざまな角度から検証。危機的状況にある現在のアメリカが再び〈上昇〉するためのヒントを探る。
分断され沈みゆくアメリカが再び「上昇」するには?19世紀末から現在まで、アメリカ社会は「個人主義―共同体主義―個人主義」の間で振り子のように揺れていた。多領域に共通して見られる、百年にわたる大きな変化のカーブを、綿密かつ独創的なデータ分析をもとに検証し、未来への展望を探求する。『孤独なボウリング』『われらの子ども』のR・D・パットナムによる、集大成にして最も壮大な“温故知新”のストーリー。
目次
第1章 過ぎ去りしは序幕
第2章 経済―平等性の盛衰
第3章 政治―部族主義から礼譲へ、そして元どおりに
第4章 社会―孤立と連帯の間
第5章 文化―個人主義対コミュニティ
第6章 人種とアメリカの「われわれ」
第7章 ジェンダーとアメリカの「われわれ」
第8章 二〇世紀の弧
第9章 漂流と統御