西宮歩き
我(わぎ)妹子(もこ)に猪名(いな)野(の)は見せつ名(な)次(すき)山角(つの)の松原いつか示さむ
(万葉集279・高市黒人)
冷たい小雨が止まず鬱陶しかったが、市役所近くの銀行まで、月末の支払いに行ったついでに、犬養先生の尽力でできた万葉植物園のある西田公園まで歩いて行った。西宮・夙川河畔に転居して三年近く、だんだん愛着が深まってきた。「一日1万歩」を目標に毎日歩いている。いつもは夙川河畔の公園を南に行き、御前浜まで出たり、北に苦楽園口辺りまで行き、起伏の多い住宅街をうろついたりしている。歩くと、言葉の向こうに出られるし、何か大いなる存在の近くに行けるように思えるからいい。そして、そこからの「よい知らせ」を待ち続けているのだ。
名次山(今は「なつぎ山」)にも近い西田公園も小さな丘になっていて、海がずっと入り込んでいた古代の地形を偲ばせる。わたしは、長い間、ここが名次山だと思い込んでいた。今日やっと違うことも分かり、さらに家に帰って調べ、「見す」と「示す」の違いも分かった。「見せる」より意味が強く、事物を具体的に明確に見せるのが「示す」だとか。黒人が最愛の女性に具体的に何を見せたかったのかわからないが、この丘陵地帯には、なにか「よい気」があるように思うのでだ。――現に、西田公園で万葉歌碑を訪ねていると、スマホガ鳴り、少し「よい知らせ」があった。
往路、西宮神社に参り、おみくじを引いたら、「中吉」で、「何事も行動すれば良い結果が得らる」とのこと。具体的に明確に行動すればいいのだ。帰宅して、多くの人に塾支援の手紙を書いた。(4/28)
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