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ES国語塾

愛(うつく)しき言(こと) 尽くして

命との出会い  ~映画『骨なし灯篭』感想文~ 

2024-07-25 19:51:37 | 随想
 これは映像詩! 熊本県山鹿市の夏祭り「山鹿灯篭まつり」に材を取った“命の共生”を主題とした美しい映像の詩である。不思議なことに、登場人物もその言葉も、通常の文脈から遊離している感じがする。いきなり親切を言う人も、前後の文脈なしに「明日また」だけで関係を創っていく言葉も、さらには、自然に現れる死者たちも……。
今月12日の京都であった「シリア映画上映会」で、政木さん(彼女もまたいきなり昔からの知人のように前に顕われた!)から勧められていた映画『骨なし灯篭』を、やっと神戸三宮で鑑賞した。かねて民謡研究の途上、「山鹿灯篭」の「ヨヘホぶし」のことは知っていた。「主は山鹿の骨なし灯篭ヨヘホヨホヘ 骨もなけれど肉もなし」という甚句調の言葉で、野口雨情が作詞し、戦後になって、その骨格ができた新しい民謡・盆踊りである。ただ山鹿は、景行天皇巡行以来の伝承があり、傷ついた鹿が山の温泉で生命を再生させたからの地名とか、古い文化が息づくところだ。「山鹿千軒、盥なし」という歌詞もある。それこそ命も蘇る名湯なのであろう。いつか行ってみたいところだ。
男はなぜか死に場所を探して彷徨して山鹿にやって来る。最愛の妻を交通事故で亡くしたことが原因らしいが、この辺の事情は、詳しくは語られぬ。そして、出会った灯篭師見習の青年の親切や優しさも、あまりにも唐突で、現実生活の中で苦労が多いわたしなどには、戸惑いさえ覚えてしまう。しかし、それでいて、別のチャネルが開き、その異空間が肌に合うものになっていく。そうか、わたしたちはこういう空間と時間の中で暮らしてきたのだ。どうしようもない悲しさと無類の優しさとが同居し、8月15日16日だけ死者とも出会えるのだ。自己と他者の隔たりが薄いというか、みんなが命を共有しているのだ。
 だから、この映画を見て、とてもよかった。いきなり声を掛けてきた政木さんに感謝したい。映画出演の政木さんは八代市出身とか、しかし、もうすっかり山鹿の灯篭師見習いの母親役として映像の中に溶け込んでいた。地元というか、地方文化の粋を演じておられた。演劇の可能性についても考えさせられた。
 今朝、亡母の夢を見てしまった。もっと優しく接しておけばよかったと思った。だから、この映画を見て、ちょっと「弔い」ができた感じ。感謝。(24.7.25.)


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (政木ゆか)
2024-08-03 08:23:50
宮崎先生!
ご感想をありがとうございます。
監督も読まれて、大変感謝しておられました。
またお目にかかった際に、改めてご挨拶させてください。
ありがとうございます。
酷暑が続いています。どうぞご自愛ください。
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