本水滸伝十九巻のうち、第一章が1~10巻、梁山泊の立ち上がりから独竜岡戦、呼延灼戦という位置づけで
この十一巻は第二章へと変遷した最初の巻です。
呼延灼戦の戦後処理をしている風景や、晁蓋と宋江の対立が中心に描かれています。
また、これまでにばらばらと「チョイ役」として出てきたキャラクターが再度出てきて、「その後」の様子も垣間見れるのもまた面白かったです。
さて、本巻で私が興味深く感じたのが杜興の心の動きでした。
李応という主人に執事として幼いころから使えてきた杜興。
李応、杜興、ともに梁山泊へ入山しますが、この2人は別れ別れになり、主従関係ではなくなりました。
梁山泊で新しい自分の居場所を作り上げていく李応に対して、
杜興は新しい居場所を見出すことができなくなっています。
「あの時から、杜興はよって立つ場を失ったのかもしれない。」
「ここは、李家荘ではない。頭で、それはわかっていた。」
「李家荘と李応が、これまでの人生のすべてだと言っていい。その李応が、いまは自分よりずっと大きくなり、ひとりで立っている。」
そして、こう思い定めます。
「つまり、用済みなのだ。あとは、朽ち果てるまで流れていくしかない。そういう人の人生もあるのだ。」
現代の会社勤めでも、部署異動という行事がありますが、これに通ずるものを感じました。
新しいい部署に配属されても、「さあ、心機一転頑張るぞ!」と思える時はよいですが
「なんで?これまでやってきたのに!?」とうまくなじめず、孤独を抱えてしまうこともあります。
そんな時どのような心持ちをすればよいのか、杜興のを観察していると見えてくるものがあります。
彼は昔の想いは抱えたまま昇華できませんでした。しかし、新しい居場所を見つけることはできました。
完全に割り切ることができなくても、立っていられればそれでいいんじゃない?
そんなメッセージを受け取ることができた11巻でした。
この十一巻は第二章へと変遷した最初の巻です。
呼延灼戦の戦後処理をしている風景や、晁蓋と宋江の対立が中心に描かれています。
また、これまでにばらばらと「チョイ役」として出てきたキャラクターが再度出てきて、「その後」の様子も垣間見れるのもまた面白かったです。
さて、本巻で私が興味深く感じたのが杜興の心の動きでした。
李応という主人に執事として幼いころから使えてきた杜興。
李応、杜興、ともに梁山泊へ入山しますが、この2人は別れ別れになり、主従関係ではなくなりました。
梁山泊で新しい自分の居場所を作り上げていく李応に対して、
杜興は新しい居場所を見出すことができなくなっています。
「あの時から、杜興はよって立つ場を失ったのかもしれない。」
「ここは、李家荘ではない。頭で、それはわかっていた。」
「李家荘と李応が、これまでの人生のすべてだと言っていい。その李応が、いまは自分よりずっと大きくなり、ひとりで立っている。」
そして、こう思い定めます。
「つまり、用済みなのだ。あとは、朽ち果てるまで流れていくしかない。そういう人の人生もあるのだ。」
現代の会社勤めでも、部署異動という行事がありますが、これに通ずるものを感じました。
新しいい部署に配属されても、「さあ、心機一転頑張るぞ!」と思える時はよいですが
「なんで?これまでやってきたのに!?」とうまくなじめず、孤独を抱えてしまうこともあります。
そんな時どのような心持ちをすればよいのか、杜興のを観察していると見えてくるものがあります。
彼は昔の想いは抱えたまま昇華できませんでした。しかし、新しい居場所を見つけることはできました。
完全に割り切ることができなくても、立っていられればそれでいいんじゃない?
そんなメッセージを受け取ることができた11巻でした。
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