えんたんと読書

2015年開設。メーカー営業女子の日頃読んだ本や読書に関係したコラムなど日々綴っています。

水滸伝 十一 天地の章 北方謙三

2018-01-03 04:52:51 | 水滸伝
本水滸伝十九巻のうち、第一章が1~10巻、梁山泊の立ち上がりから独竜岡戦、呼延灼戦という位置づけで
この十一巻は第二章へと変遷した最初の巻です。

呼延灼戦の戦後処理をしている風景や、晁蓋と宋江の対立が中心に描かれています。
また、これまでにばらばらと「チョイ役」として出てきたキャラクターが再度出てきて、「その後」の様子も垣間見れるのもまた面白かったです。

さて、本巻で私が興味深く感じたのが杜興の心の動きでした。

李応という主人に執事として幼いころから使えてきた杜興。
李応、杜興、ともに梁山泊へ入山しますが、この2人は別れ別れになり、主従関係ではなくなりました。
梁山泊で新しい自分の居場所を作り上げていく李応に対して、
杜興は新しい居場所を見出すことができなくなっています。

「あの時から、杜興はよって立つ場を失ったのかもしれない。」
「ここは、李家荘ではない。頭で、それはわかっていた。」
「李家荘と李応が、これまでの人生のすべてだと言っていい。その李応が、いまは自分よりずっと大きくなり、ひとりで立っている。」


そして、こう思い定めます。
「つまり、用済みなのだ。あとは、朽ち果てるまで流れていくしかない。そういう人の人生もあるのだ。」



現代の会社勤めでも、部署異動という行事がありますが、これに通ずるものを感じました。
新しいい部署に配属されても、「さあ、心機一転頑張るぞ!」と思える時はよいですが
「なんで?これまでやってきたのに!?」とうまくなじめず、孤独を抱えてしまうこともあります。

そんな時どのような心持ちをすればよいのか、杜興のを観察していると見えてくるものがあります。


彼は昔の想いは抱えたまま昇華できませんでした。しかし、新しい居場所を見つけることはできました。

完全に割り切ることができなくても、立っていられればそれでいいんじゃない?
そんなメッセージを受け取ることができた11巻でした。





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