4月18日PM8時半ラルクは静かに神様のところへ旅立ちました

その、2,3日前後くらいから私の右奥歯?顎?が急に痛み出し、痛み止めを飲んでも、
肩こりから来るのかもとサロンパスを貼りまくっても痛みは引くことは無くて
どんどん痛みが増して行きました
丁度ラルクと同じ方側でした
もしかして?と思ってその日のお昼頃、意を決して院長先生を訪ねました
院長先生は私の顔を見るなり「今日の夜、病院が閉店してからおいで」と言いました
院長先生は、私に何も言わさずわかってくれました
その日の夕方、いつもより多めにドッグフードを入れて、大好きな缶詰やらヨーグルト、クッキーをあげました
もう余り食べるのも上手ではなくなっていました
口の中がどうなっていたのかは、私は怖くて良く見てあげれなかったけど
よほど腫れていたと思います
今までは全く鳴くことが無かったこでしたが、「くーんくーん」と鼻で鳴くようになっていました
いたいんだろうな?
水を飲むと、1回でおわんの中の水の中に血や膿が混ざって直ぐに汚れてしまいました
それに、たまらないくらいな悪臭でした
本人が一番良く解っていたと思います。
ばらばらに散らばったドッグフードをかき集めて茶碗の中に入れてあげると最後まで食べました
それでも、数粒は散らばりました
そうこうしているうちに、院長先生との約束の時間が近づいてきました
いつものランドリー用のかごに入れました。
いつもは直ぐにお座りするのですが、この日は立ったままでした
病院へ着いたら、まだもう一人お客さんが残っていましたので、「もうちょっとだけ待ってや」と院長が言いました
その間ラルクは車で待たせました
いつもは一人で病院へ行くのですが、さすがにこの日だけは一人では心許無かったので友達について来て貰っていました
最後のお客さんは小さなチワワの子でした
血液検査、レントゲン、エコー検査、etc&薬を貰っていました
何と請求額が5万何円でした!
っとびっくりしている場合ではありません
その日の私は何十万も払う覚悟で、お金では買えない命ですが、その命を私の決断で絶ってしまうと言うのですから
そして院長が私を呼びました
私はラルクを車から連れてきて診察室へ入りました
院長はかごからラルクを優しく抱いて診察台の上へ乗せました
ラルクは元気だった頃のように背筋を伸ばしきちんと立っていました
そう、ラルクはとても姿勢のよい子でしたから、ステイがとても綺麗でした
「先生、私2日ほど前から奥の歯なのか顎なのかが痛くて、ラルクもこんなに痛かったんかな?」と言うと
「そんなもんやないで!もっとやで」と言われてしまいました
院長は事前に用意していた注射器を持って来て
「ここには麻酔薬と筋萎縮剤が入っていてな、苦しくなく10分ほどしたらゆっくり心臓が止まるんやで」
「ちゃんと血管に入れてあげな苦しむさかい慎重にするんやで」
と言うと、確か院長は血管注射がうまいとずーっと前からこれだけは評判やった!
だから私は安心した
院長はラルクの右手も持ってゆっくっり針を刺していった
案の定、綺麗に入った
と同時に立ったままのラルクがバタンと倒れた
「今はまだ麻酔が聞いたばかりで寝てるだけや、心臓は動いてるで」と院長は言いながらラルクをずーっとさすってくれた
私もラルクの色んなところを触ってラルクが生きていた感触を手の中に、心の中に残そうとしました
「先生、このこの子供な、300頭ぐらいいてるんやで、ここの病院でもしょっちゅう出会ったわ、
そやけど、その子供達よりも長生きしたんと違うかな?」と私が言うと
「へ~!しっかり子孫繁栄したんやなぁ」とか色々思い出話をしていたら
ことん、と心臓が止まった
本当に本当に静かに静かに逝ってしまいました
「先生、ラルクの顔をよう見ておきたいわ」と言うと
先生は私に良く見えるように場所を交代してくれました
「あ~ラルク、こんなに顎が腫れてたんやな、ちっとも知らんかってごめんな」
そして、用意していた箱に院長が入れてくれました。
やっと今夜から痛くないし、苦しくないし良く眠れるなぁラルクと私は思いました
ラルクのこの決断は私にとってとても後悔する物になりました
それは、今まで苦しんで死んでいった子達に対してこういう方法があったのに、どうして最後まで苦しめてしまったのだろうと
ラルクは静かに目を閉じて死んで逝きました
他の子達は皆目を開いたまま死んで逝きました
この差は大きいです
今後の私にとっての最後まで見取る為の選択肢が大きく変わったことには間違いありません
只やっぱりいつも思うこと
もう、ラルクに会うことができないのが淋しいです
それから不思議なことに、あんなに痛かった私の右奥歯は以後痛みも無くなり、腫れも引いてしまいました
まるでラルクが私に「痛いよ~」って教えてくれたようです
今後、犬の居ない生活は考えられないけれど、私の年齢と体力と金銭力のことを考えると
シーズーは飼えないだろうと思います
私にとって最後のシーズーです
1998年10月3日生まれ享年15歳と6ヶ月と15日でした
血統名 HOSINO STAR JP'S NEVER SO LURK
♂2、♀3のきょうだいでした
他の子達はどうしてたのかな?
ラルクはお父さんやお婆さんやお爺さんやご先祖さんが殆どCHです
毛の手入れの大変な犬種にすると珍しいと思います
なので、色んな人から交配を頼まれました
そのお蔭で300頭近くの子供達にも恵まれ、本当に幸せな子だったんじゃないかな
ブラックブリンドルと言う毛質たっだので子供達にも殆どの子に遺伝したので
ラルクの子供だって直ぐにわかるほどでした
我家の春ちゃんと夏ちゃんが6歳になった時、ブリーディングは辞めることにしました
同時にラルクも去勢しました
その後はのんびり暮らしていました

まだまだ元気やった頃のラルクはいつも運動場に出ていました
何故ならボストンのブルータスと仲が悪かったからでした
それから暫くするとラルクの目が見えなくなってきて、Booとも喧嘩しなくなったらマナーバンドをして家の中に居ました

この頃は大家族だったので、目が見えないラルクはよく他の子に当たっては怒られてたね
本当はもっと若い頃の綺麗なロングヘヤーの画像や、可愛い顔の画像もあるのですが
ちょっと探してみたけど、ラーちゃんや、ピクシーやティアラやタバサや夏ちゃんや春ちゃんや他の子達の画像まで見てしまって
まだまだメンタル的にまだまだ癒えていませんので....
またいつか、立ち直れるときが来たら、いつになるか解りませんが
みんなの事が思い出に変わる日が来たら探してみたいと思います
でも、まだエルちゃん、ありす、葵ちゃんピュアちゃんの為に笑顔でいたいと思っています
最後に、何十万もすると思っていた「安楽死」のお願い料は病院の善意と言うことでした

その、2,3日前後くらいから私の右奥歯?顎?が急に痛み出し、痛み止めを飲んでも、
肩こりから来るのかもとサロンパスを貼りまくっても痛みは引くことは無くて
どんどん痛みが増して行きました
丁度ラルクと同じ方側でした
もしかして?と思ってその日のお昼頃、意を決して院長先生を訪ねました
院長先生は私の顔を見るなり「今日の夜、病院が閉店してからおいで」と言いました
院長先生は、私に何も言わさずわかってくれました
その日の夕方、いつもより多めにドッグフードを入れて、大好きな缶詰やらヨーグルト、クッキーをあげました
もう余り食べるのも上手ではなくなっていました
口の中がどうなっていたのかは、私は怖くて良く見てあげれなかったけど
よほど腫れていたと思います
今までは全く鳴くことが無かったこでしたが、「くーんくーん」と鼻で鳴くようになっていました
いたいんだろうな?
水を飲むと、1回でおわんの中の水の中に血や膿が混ざって直ぐに汚れてしまいました
それに、たまらないくらいな悪臭でした
本人が一番良く解っていたと思います。
ばらばらに散らばったドッグフードをかき集めて茶碗の中に入れてあげると最後まで食べました
それでも、数粒は散らばりました
そうこうしているうちに、院長先生との約束の時間が近づいてきました
いつものランドリー用のかごに入れました。
いつもは直ぐにお座りするのですが、この日は立ったままでした
病院へ着いたら、まだもう一人お客さんが残っていましたので、「もうちょっとだけ待ってや」と院長が言いました
その間ラルクは車で待たせました
いつもは一人で病院へ行くのですが、さすがにこの日だけは一人では心許無かったので友達について来て貰っていました
最後のお客さんは小さなチワワの子でした
血液検査、レントゲン、エコー検査、etc&薬を貰っていました
何と請求額が5万何円でした!
っとびっくりしている場合ではありません
その日の私は何十万も払う覚悟で、お金では買えない命ですが、その命を私の決断で絶ってしまうと言うのですから
そして院長が私を呼びました
私はラルクを車から連れてきて診察室へ入りました
院長はかごからラルクを優しく抱いて診察台の上へ乗せました
ラルクは元気だった頃のように背筋を伸ばしきちんと立っていました
そう、ラルクはとても姿勢のよい子でしたから、ステイがとても綺麗でした
「先生、私2日ほど前から奥の歯なのか顎なのかが痛くて、ラルクもこんなに痛かったんかな?」と言うと
「そんなもんやないで!もっとやで」と言われてしまいました
院長は事前に用意していた注射器を持って来て
「ここには麻酔薬と筋萎縮剤が入っていてな、苦しくなく10分ほどしたらゆっくり心臓が止まるんやで」
「ちゃんと血管に入れてあげな苦しむさかい慎重にするんやで」
と言うと、確か院長は血管注射がうまいとずーっと前からこれだけは評判やった!
だから私は安心した
院長はラルクの右手も持ってゆっくっり針を刺していった
案の定、綺麗に入った
と同時に立ったままのラルクがバタンと倒れた
「今はまだ麻酔が聞いたばかりで寝てるだけや、心臓は動いてるで」と院長は言いながらラルクをずーっとさすってくれた
私もラルクの色んなところを触ってラルクが生きていた感触を手の中に、心の中に残そうとしました
「先生、このこの子供な、300頭ぐらいいてるんやで、ここの病院でもしょっちゅう出会ったわ、
そやけど、その子供達よりも長生きしたんと違うかな?」と私が言うと
「へ~!しっかり子孫繁栄したんやなぁ」とか色々思い出話をしていたら
ことん、と心臓が止まった
本当に本当に静かに静かに逝ってしまいました
「先生、ラルクの顔をよう見ておきたいわ」と言うと
先生は私に良く見えるように場所を交代してくれました
「あ~ラルク、こんなに顎が腫れてたんやな、ちっとも知らんかってごめんな」
そして、用意していた箱に院長が入れてくれました。
やっと今夜から痛くないし、苦しくないし良く眠れるなぁラルクと私は思いました
ラルクのこの決断は私にとってとても後悔する物になりました
それは、今まで苦しんで死んでいった子達に対してこういう方法があったのに、どうして最後まで苦しめてしまったのだろうと
ラルクは静かに目を閉じて死んで逝きました
他の子達は皆目を開いたまま死んで逝きました
この差は大きいです
今後の私にとっての最後まで見取る為の選択肢が大きく変わったことには間違いありません
只やっぱりいつも思うこと
もう、ラルクに会うことができないのが淋しいです
それから不思議なことに、あんなに痛かった私の右奥歯は以後痛みも無くなり、腫れも引いてしまいました
まるでラルクが私に「痛いよ~」って教えてくれたようです
今後、犬の居ない生活は考えられないけれど、私の年齢と体力と金銭力のことを考えると
シーズーは飼えないだろうと思います
私にとって最後のシーズーです
1998年10月3日生まれ享年15歳と6ヶ月と15日でした
血統名 HOSINO STAR JP'S NEVER SO LURK
♂2、♀3のきょうだいでした
他の子達はどうしてたのかな?
ラルクはお父さんやお婆さんやお爺さんやご先祖さんが殆どCHです
毛の手入れの大変な犬種にすると珍しいと思います
なので、色んな人から交配を頼まれました
そのお蔭で300頭近くの子供達にも恵まれ、本当に幸せな子だったんじゃないかな
ブラックブリンドルと言う毛質たっだので子供達にも殆どの子に遺伝したので
ラルクの子供だって直ぐにわかるほどでした
我家の春ちゃんと夏ちゃんが6歳になった時、ブリーディングは辞めることにしました
同時にラルクも去勢しました
その後はのんびり暮らしていました

まだまだ元気やった頃のラルクはいつも運動場に出ていました
何故ならボストンのブルータスと仲が悪かったからでした
それから暫くするとラルクの目が見えなくなってきて、Booとも喧嘩しなくなったらマナーバンドをして家の中に居ました

この頃は大家族だったので、目が見えないラルクはよく他の子に当たっては怒られてたね
本当はもっと若い頃の綺麗なロングヘヤーの画像や、可愛い顔の画像もあるのですが
ちょっと探してみたけど、ラーちゃんや、ピクシーやティアラやタバサや夏ちゃんや春ちゃんや他の子達の画像まで見てしまって
まだまだメンタル的にまだまだ癒えていませんので....
またいつか、立ち直れるときが来たら、いつになるか解りませんが
みんなの事が思い出に変わる日が来たら探してみたいと思います
でも、まだエルちゃん、ありす、葵ちゃんピュアちゃんの為に笑顔でいたいと思っています
最後に、何十万もすると思っていた「安楽死」のお願い料は病院の善意と言うことでした