イギリス44大聖堂巡り

イギリスの大聖堂探訪記。
旅好きな人も、そうでない人も、
雑誌のような感覚で読んでもらえたら...

綺麗なモノには刺がある -薔薇戦争-

2010-09-10 | 予備知識(歴史的背景 etc)
昨日のWakefieldの記事を書いていて(ひとつ前の記事はこちら)、Wakefieldが薔薇戦争の闘いの場のひとつであったことを知った私。



薔薇戦争なんて聞き覚えはあっても、中味がどういうものかなんて全く知らない。

ざっくり調べてみるとヘンリー8世*の誕生に関わる話。
ヘンリー8世*:イングランド国教会の創立者。私が回っている大聖堂はこのイングランド国教会に属するもの。詳しく知りたい方は、コチラをクリック。


というわけで、大まかにここに記してみました。

時は、1455年。王家の流れを汲む2つの家が王位を巡って衝突。(ヘンリー8世の2代前。)

それが、下の白薔薇を家紋とするヨーク家と赤薔薇を家紋とするランカスター家



薔薇戦争という名前は、2つの家紋が薔薇だったことから。

約30年にわたり、数々の闘いを繰り広げ、その間の闘いの勝敗によって王位はランカスター家ヨーク家の間を行ったり来たり。

1470年頃、ヨーク家に王位が戻り、ようやく国内は安定したかのように思われた...

ところが、1483年にヨーク家出身の王が病死し、彼の弟が王位に就いた時、再び国内は反対勢力によって混乱。

そこに現れたのが、ランカスター家の最後の末裔(元をたどると少し微妙らしいですが...)、ヘンリー・チューダー。

このヘンリー・チューダーこそ、後のヘンリー7世。ヘンリー8世の実の父親。

1485年、ヘンリー・チューダーはヨーク家の王を破り、ヘンリー7世として即位。しかも、頭のいい事に彼は対立していたヨーク家の娘と結婚し、ヨーク家ランカスター家を和解させ、薔薇戦争を集結へと導く。

と同時にがスタート。

ランカスター家ヨーク家が和解したためか、その両方の家の流れを汲むの家紋は2つの薔薇を混ぜ合わせたような下のような家紋。



24年のヘンリー7世の治世のあと、登場するのがヘンリー8世。

薔薇戦争あってのヘンリー8世。

大聖堂巡りを始めただけで、ずいぶんイギリスの歴史に触れるようになったなぁ。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (mgrove)
2010-09-10 06:25:24
随分よく分かりました。
うんうんなるほど。書物を引くのは億劫で。ありがとうございました。
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>mgroveさん (はな*)
2010-09-11 02:27:36
世界史を学ぶ上で混乱するのは、名前ですよね...
このブログをupするときに、
エドワードとかリチャードとかいろんな名前は
話をややこしくしそうなので、全部はしょってしまいました。

歴史の研究者の方が見たら、ぜんぜん分かってないと怒られるかもしれませんが、私のブログに必要なのは、これくらいで充分だと思いました!

また歴史に触れる機会があったら、upします!
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