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入院中のあれこれ①

2020-09-05 20:52:17 | 日記
ほぼ毎日お見舞いにいきました。
日常生活から離れ、弱まってしまうのが私の中で一番気がかりだったので
入院中はレンタルのパジャマ?は借りず
新しいパジャマを揃えて
少しでも心が華やかになる様な柄を
用意しました。

身体も拭きました。
身体の清潔さと、心身の状態は
とても影響力があると、、日常生活のレベルを出来るだけ落としちゃいけないと
強い思いがありました。
病院は病気を診るのが一番なので
そういった所は、なかなか手が回せない
ですから。。

この時は病気のショックもあるのに、
身体の麻痺までショックを感じさせたくなかったので… 着替えを手伝いました。
病院の方にお任せすると、お忙しいし
中にはきつい言い方の人もいるだろうと。。
この時は、出来るだけそういった事を
避けたくて、、私も時間があるのだから
出来る事はやろうと。

大阪で介護の仕事を経験していたので
とてもとても役に立ちました。

家の洗剤、柔軟剤の香り…
母と 日常生活とを繋げてくれていたと
思います。

入院中のあれこれ②高額医療費の申請

2020-09-05 20:52:17 | 日記
担当医の先生から、病状の説明と
2枚紙が渡されました。

1枚目は高額医療費の申請をして下さいとの事。。
恥ずかしながら役所関係など、こういった事に慣れてなく・・
「⁉」

その方に応じた医療費の限度額を越えると
戻ってくる制度だったのですが
ネットで見てても、難しい。。

市役所に直接聞きに行って、一発解決。
母はその時73才だったので、何もしなくても限度額を越えれば、市役所から用紙が届き、必要事項を記入・領収書(必須)
を揃えて市役所へ持って行けばOK
との事でした
母は長期入院になったので、何度かこれで
市役所に足を運ぶ事にもなりました。

市役所にもお世話になり、慣れない手続きや書類関係もどんどん増えて行く事になります。。
これは、予想外でした。。
一人で対応してたので、孤独感も増してくる、、
介護は天からの試され事かもしれません。
この時の私に伝えたい。
頑張れ‼

母は脳梗塞

2020-08-20 19:32:24 | 日記
命が助かった事に、本当に安堵しました。
ここから、様々な事が一気に降りかかります。
まずは。。
母のお見舞い、入院で必要なものの準備、ぐちゃぐちゃになっている家の片付け・・

食事もままならず、いつ食べたかも記憶がない中、栄養ドリンクを飲んで走り回ってました。。

幸い病院が近くて、片道30分位で歩けたので毎日通えました。

母は左半身が麻痺になり、入院当初は
ほとんど自力で動けなかったので、
身体よりも心が落ち込んでしまい、
さらに弱ってしまう事が一番怖い。
まずいと感じました。

できるだけ、日常に近い生活を崩さない様に…。しっかり尊厳を保てる様に。
介護される側になると、どうしても
弱い立場になります。弱い人になってしまう。私達と変わらず、普通に暮らしていた人達なのに。これが、さらに力を奪ってしまうんじゃないかと、私は感じでいました。

日常から離れない様に。日常に戻る様に。。

母の入院生活が始まりました。

救急隊員の方とのやりとり。心に響いた言葉。

2020-08-19 16:11:15 | 日記
大阪から千葉へ戻る時は
新幹線の中で、救急隊員の方とも
連絡をとりながら向かいました。

初めての経験でした。お忙しいし、
どんな対応だろう。。テキパキ答えなきゃ
と思いながら、電話に出ると
とても物腰の柔らかく、若い隊員さんの様でした。
「ご家族さんは、大阪から向かわれているんですね。病院はおそらく〇〇病院ですが、まだ決まっていないので、決まったらまたご連絡します。」

病院が決まった際の電話では
切る間際に隊員の方が何か言いたそうで
でも何かを飲み込んでから、

「気を付けて来て下さいね。」
と声を掛けて下さいました。

この一言に、本当に救われました。
隊員の方が飲み込んだ言葉はきっと…
家の中が乱れている様子を見て、
私が驚かないか、失便の衣類や汚れも残ってる事を心配されたんだとすぐ感じました。

私は忘れません。

救急車が通る度、母がお世話になった事を思い出していつも頭を下げてます。
「助かって下さい。」
と心の中でお祈りしています。

母が倒れた時

2020-08-16 11:44:05 | 日記
2018年が終わろうとする、3日程前。
お昼休憩に、母からの留守電に気づいた。
この時、結婚も視野に入れて彼と大阪で
生活をしていました。

ろれつの回らない声。
私「??」
母「朝トイレに行こうとしたけど
起き上がれない。助けて。」
ようやく聞き取れた時、これはまずい!
と、すぐ母に連絡。

ろれつは少し治まってる様子だったけど
トイレに間に合わず、失便もしてしまっていると。。
ここから、日常が一転して怒涛の日々が開幕しました、、😑
救急車を渋る母を説得して、彼氏に連絡
海外にいる姉に連絡、
律儀な私は、離婚した父にも連絡

職場に話をして早退し、そのまま
新幹線へ飛び乗り大阪 → 千葉へ
飛んでいきました。。