成相博昭ブログ

これからを生きる素晴らしい明日へ・・・

誘導される「世論」

2010-01-22 20:53:37 | Weblog
 新聞、テレビから提供される情報の内容と量は、受け手に対して絶対的な力を持っている。殆どの受け手は、無意識のうちに無批判に受け取り、喜怒哀楽に直接スイッチオンさせられたり、認識の組み立て直しをさせられている事を考えれば、報道の結果に対するいわゆるマスコミ当事者の倫理観が問われよう。最近殊に報道側の「真の意味のコンプライアンス」について考えさせられることが多い。「真の意味のコンプライアンス」とは、「法に抵触しているかどうか」というレベルのそれではなく、『社会の不利益や不安定に繋がることをしない』というコンプライアンスの真の意味から、マスコミ報道の内容と量、それに質に対して危機感を感じているのである。

 コージブスキーの提唱した一般意味論{言葉と思考の科学}の一つに、「うなり言葉」「ごろごろ言葉」というのがある。これは、言葉の感化性についての特性を取り上げたものだ。この観点からとらえれば、意識せずか意図的かは知らないが、TVでは一日中「うなり続け」「ごろごろと叫び続け」ている。これに多くの国民が直接的に影響を受けないはずはない。
 今週号の「週刊文春」をめくっていたら、小林信彦氏の連載第588回本音を申せばの中にたまたま共感する一文があった。次のように述べておられる。

 『いちばん気になるのは検察による小沢一郎叩きである。いや、小沢・鳩山叩きである。二人の<政治と金の問題>を連日のように大マスコミにリークして、新聞に書かせ、テレビの愚にもつかないニュースショウに報道させる。ぼくは呆れて、<大新聞>は断ってしまい、テレビも観ないのだが、世の中には騙される人間もいるのだ。そういう人間はいまさら自公支持でもなく、ただ<鳩山内閣不支持>にまわる。すると、新聞・テレビは「ほら、こんなに支持率が下がりましたよ」と数字を示す。たしかに鳩山内閣には、無駄な動きが多い。沖縄の米軍基地問題は一点に絞ってから交渉すればいいだろう。官房長官が沖縄に行って走りまわる必要はない。しかし、自民党結成(1955年)からずっと沖縄を放っておいた自民党の責任はどうなるのか。オレたちの番は終わったから、鳩山内閣が早く片づけろというのは無茶である。』

 知る人ぞ知る小林氏は評論やコラムにおいて客観的にニュートラルな、時に辛口の表現をしておられる。それだけに私の本音を代弁して頂いた思いである。

 以下、ついでに思うこと。民放テレビは、最近とみにコマーシャルが多すぎる。コマーシャルの延べ時間は際限なく視聴者の立場無視といってもよい。ま、民放はコマーシャルなしでは成り立たないけど。しかし、ものには節度というものがある。民放の3文バラエティ目白押しのそれとコマーシャルで寸断される画面が嫌だから、民放にチャンネルを合わせる時間が段々なくなっていく。




 

「人物」を感じるのは明治10年までの日本

2010-01-20 18:53:48 | Weblog
 暮れから新年にかけて読んだ本である。
  

 NHKドラマで話題の「坂の上の雲」は、30代に新鮮な感動と共に読み、司馬文学の本領に堪能したものだ。
 この物語の主人公3人は明治20年代から30年代に活躍する。真之と子規誕生は大政奉還の年だから明治元年の前年となる。好古は、それより9年以前で、安政の幕末期である。
 彼らの生き様には、サムライのいわば「矜恃」が骨の髄にしみこんでいる。英語では「プライド」となろう。これに矜恃とも訳語が並んでいるが、ここで訳されている矜恃と、前者でいう「矜恃」とは、似て非なる語義として世界観の違いがあるように思う。

 一般に、維新の前後と明治時代の日本人は偉大で素晴らしかったと表現されることがあるようだ。一概にそうだというにはかなりの抵抗感を感じるのは私だけだろうか。
 近年明らかになった史実(記録や資料)も含めて、明治の元勲といわれて賞賛されている人物の歴史的行動を評価すれば、今日に続く日本の暗部に脈々と繋がる許されざる事柄も多い。お札に採用されてきた肖像画の人物たちも、どこをとらえて評価するかであって、権力をものにしてやった功績よりも、その権力を獲得したり維持するための影の謀略(敢えてこう表現したい)は隠されていることが殆どだ。
 例えば、江藤新平、西郷隆盛の後世の評価にはいささか腑に落ちない点が多い。
 その一例として、「征韓論」と称されるものは、記録を見ると実際は「遣韓論」として、軍事力で攻めることとは異なり、自ら当時の朝鮮へ使節としていこうというもの。これを蹴ったのは留学から帰ったばかりの内政安堵ばかりを主張する大久保利通や木戸孝允なのである。これをきっかけにして西郷、江藤、後藤象二郎、板垣退助らは公職を辞し帰郷したのである。このあとの次第は、いわゆる佐賀の乱、西南の役となる。いわく、旧士族の叛乱というのも、巧妙に仕掛けられた新政府の謀略で、煙たい大物を抹殺するCIA的手法に見えてならない。
 ちなみに、後藤象二郎と板垣退助は武闘ではなく、自由民権の言論に訴えて新時代を切り拓くわけで、西郷、江藤と好対照といわざるを得ない。それにしても日本に初めての三権分立の制度を導入した江藤新平は惜しい殺され方(ろくな裁判も行われず、意図的に抹殺されたというしかない)をしたといわざるを得ない。何か山県有朋と井上馨の私怨が見え隠れしてしょうがない。もし、を歴史に語ることは無意味であるが、この二人が生きて新政府で影響力を発揮すれば、明治時代の日本の歴史は変わったはず。当然昭和の歴史も変わったはずである。

 ついでながら私見を述べるならば、日清戦争、日露戦争の「いわゆる勝利」がその後の日本人も国土も荒廃させてしまった。