いなり寿司とのり巻きの詰め合わせのことを
「助六」と呼ぶようになったのは江戸時代中期です。
その頃、今でも歌舞伎宗家・市川團十郎家のお家芸として
人気の歌舞伎十八番「助六所縁江戸桜」が大流行していました。
いなり寿司とのり巻きの詰め合わせ「助六」は
、この「助六所縁江戸桜」の通称から取られたものなのです。
当時、江戸の町には贅沢を禁止する倹約令が出されており、
江戸前の魚を使った握り寿司に代わって
、油揚げを使ったいなり寿司とのり巻きが江戸の人々に親しまれていました。
やがて、このふたつを詰め合わせた寿司折が登場し、
油揚げの「揚げ」とのり巻きの「巻き」から
「揚巻;あげまき」と呼ばれるようになりました。
そして「助六所縁江戸桜」の主人公・助六の愛人である
吉原の花魁の名前も同じく「揚巻」という名前でした。
このつながりから、寿司の揚巻も歌舞伎の助六の人気にあやかるようにと、
いつしか「助六」と呼ぶようになったのです。