私たちが普段何気なく言っている「かぼちゃ」
という名前の由来は、カンボジアからきています。
日本へカボチャが伝えられたのは、
1541年に大分に漂着したポルトガル船が「日本かぼちゃ」
を運んできたのが始まりと考えられています。
伝えられた当初はカンボジアがなまって
「かんぼちゃ」や「かぼちゃ瓜」などと呼ばれ、
最終的には「かぼちゃ」になりました。
ちなみに、スペイン人やポルトガル人の
宣教師たちが日本へ寄港したときには
「かぼちゃ」のほかにも、サツマイモやトウモロコシ、
ジャガイモなどの保存性が高い野菜類が持ち込まれました。
その後、1573年頃に長崎県に伝わってから、
日本の農家でも栽培されるようになりました。
中国品種は1501~1600年のあいだ、
アメリカ品種は1863年に伝えられたと言われています。
こうして
東北地方では1620年頃、京都周辺では1670年頃、
東京周辺では1740年頃から普及しはじめました。
ちなみに、
1530年、豊後国の大名・大友義鑑の嫡子として誕生しました。
「日本でのかぼちゃの歴史」でも書いているように
難破したポルトガル船が大分県に着き、そこでカボチャが運ばれたのですが、
このときカボチャを献上されたのが大友宗麟だったのです。
その後、キリシタン宣教師フランシスコ・ザビエルに出会ったことで、
キリスト教に興味を示すようになります。
1578年に洗礼を受けた彼はドン・フランシスコという
名前をもらいます。
そんな彼は
日向国・無鹿の地にキリスト教の理想郷建国を夢見ていました。
そのことで薩摩国の島津氏と衝突してしまいます。
この際に大友・島津と肥前国の龍造寺氏をリーダーとします。
1584年に龍造寺氏は島津氏に敗れ、
翌年の1585年に宗麟は大坂に行き、
豊臣秀吉に九州征伐を要請しました。
1587年、島津氏が秀吉に降伏した知らせを
聞いてから
すぐに大友宗麟は病気のため、命を落としました。