日向の旅立ちにこんなにも沢山の言葉を寄せていただき、本当にありがとうございます。
ひなたんを見送って4日が過ぎました。
2週間…あっと言う間の時間であり、柔らかく暖かな命とまた向き合う事の出来た優しい時間でもありました。
保護した当初、私は日向をブログで紹介する事を考えていませんでした。
(明日、いや今晩にもこの子の命は消えてしまうかもしれない…)
もう自力で立つ事も出来ない位、衰弱していたのです。
もしねねが「看取ってあげて」と私に託したのだとしたら、私がこの子の最後を見守ってあげよう。この子の事は私だけが知っていればいい。
そんな風に思ったのです。
今タビィ・ねね・ちょびを想う時、旅立ち直後に感じていた深遠の暗闇に何処までも落ち続けている様な悲しみは消え、亡くなったその瞬間をひたすら追いかけ頭の中で再生し続け涙する様な事も随分無くなりました。
この大地の上でのびのび過していた頃の姿を、自然に頭に浮かべる事も出来る様になりました。
が、あの子達を想う時「側に居て旅立ちを見守ってあげられなかった」という後悔はやっぱり今も自分の心の底にあり、時折それは顔を覗かせ【私はそれが出来なかった人間だ】ごめんねと、その気持ちがずっとあの日のままに続いていた事も事実です。
私はこの先、この後悔を更に大きなものにしたくない…。
もし私と出会う子が居たとしても、きっとまた看取ってあげる事が出来ない。だからこんな自分とは暮らさない方がその子の為だ。辿り着いた考えはそれでした。
なのに日向を始めて見た瞬間、その痩せた身体を撫でながら(もしかして、ねねが頼んだ?この子私に看取らせてくれるの?)何故かそう思ってしまったのです。
横たわって目を閉じ殆んど反応の無かった日向が、保護の翌日の朝には立ち上がってご飯をしっかり食べ、前夜寝かせていたキャリーからこたつへ居場所を自ら移動したのです。
明日はお休みだしずっと見守っていられる。このまま静かに旅立ちの時を…と勝手に悲壮な決意をしていた自分でしたが、あれ?って感じでした。
(これは、見守ってる場合じゃないんでないの~)
当初病院も迷っていたのです。ここがもし日向がやっと辿り着いた安心できる場所なら、そこを離れて余計な痛みや不安は与えたくない。此処で看取るって。
結局、午前の診療時間ぎりぎりで病院連れて行ってしまった訳ですが。
保護から2日目が3日目になり、4日が過ぎそれからの日向は私が少々びっくりするくらいの勢いで元気を取り戻していきました。
ドキドキ不安を感じながら仕事から帰って来たのは、初めの数日だけ。
先生の【長く生きられる子ではない】の言葉が、間違いだったのではないかと思うほど日に日に意思表示をしてくれるまでになってくれたのです。
(皆に知ってもらってもいいのかな…?)そんな風に思うようになっていました。
「ただいま~ひーたん♪」と部屋に入ると、おこたの座布団から立ち上がり待ちきれないようにダンボールトイレの縁にお顔をず~りずりこすり付けてご飯の催促。
薬を包んだお団子ご飯も気にせずぱくり。
「ひなたん、苦しくなるから途中でちょっと休みなさい!」と思わず声をかけてしまうくらいの食欲。
綺麗になったお皿を見ながら、私はいつも日向にお口のトラブルが無かった事を感謝しありがたいと思っていました。
ねねもちょびも、【食べる】事に苦しんだから。
初めはタビィの様に「サイレントみゃう」だと思っていましたが、段々可愛い声も出る様になりました。
日向とおでこをコッつんしながら「ここが日向のお家だよ、ずっと此処に居ていいんだよ、日向のお部屋はここだよ」と何度も話をしました。
そうすると、なんでか日向は必ず私の顎をカプッと噛んでくれたのです。
ちょっと痛くて幸せな私と日向のコミュニケーションでした。
毎夜、おこたの座布団に居る日向に「おやすみ、また明日ね」と声をかけながら(あぁ~一緒に寝たいなぁ~)の気持ちをひたすら抑えていた自分。
呼吸がしんどいだろうし、あのか細い身体に負担かかるかもしれないし…【ここおいで】の一言を何回も飲み込んで布団に入っていました。
1週間位経ったある夜、お腹の横あたりにふわふわの感触があって私はふと目が覚めました。
そこは一緒に寝る時、いつもちょびの指定席だった場所。
えっ?と思って…ゆっくり手触りを確かめてそこに眠っているのが日向だと分かりました。
暗闇の中、自分の顔がニンマリと緩むのを感じつつほこほことした眠りにまた落ちちていきました。
そして朝、同じ場所に居る日向に「おはよ~起きるよ~」と声をかけ一緒にお布団を出る幸せも。
旅立つ前夜も、気がつくとお布団の中に居た日向。
この間と同じ様に朝まで一緒に居て一緒に起きて…違っていたのは、大好きなご飯に顔をそむけた事。
その日お休みだった私は、わずかな胸騒ぎを覚えつつも(昨夜遅くに食べたし、少し飢餓感が落ち着いたのかな。いつでもご飯食べられるって分かったのかな)と自分を納得させてしまったのです。
そして夕方、その時は訪れてしまいました。
結果…日向をこの部屋から送り出す事は叶いませんでした。
今でも、あの時ぐったりした日向を抱いて車に乗った選択が間違っていたのではないかと考えてしまう自分が居ます。
あの振動と音が、日向を余計に苦しませてしまったのではないかと。
私の腕に手をかけたまま、大きく「ぐふぅ~」と最後の息を吐き出した日向に私はその時が来た事を教えられました。
「ひーたん!頑張れ!」そう声をかけながらも、(あぁ、逝くんだな…私の腕の中で逝くんだな…)そんな確信がありました。
病院に着いて先生に聴診器をあてて頂いた時には、日向の心臓はもう動きを止めていました。
日向…ひなちゃん…ひーたん。
縁側のぽかぽか日溜りの中で、うとうとまどろむ「お昼ね猫さん」みたいにこれからはずっとゆっくりのんびりした時間を過してほしい…そんな願いを込めた名前でした。
「その日」が来るのが遠くないと覚悟していても、もしかしたら半年、いや1年。
もしかしたら5年先かもしれない。そんな風に思える位、日向は苦しい顔を見せず甘えて食べて眠ってぎりぎりまで生きてくれました。
何が起きて日向の命を奪ったのか、ほんとの原因は分かりません。
それでもこの2週間が苦しいだけの日々で過ぎなかった事に感謝しています。
願わくば、春・夏・秋・冬 全部をひーたんと過してみたかったね。
ひーたんと過した14日間は、愛しい者と暮らす幸せをぎゅっと詰め込んだ濃密な時間でした。
もしかしたら、ねねやちょびが日向と相談して私に授けてくれた期限付きの時間だったのかもしれません。
だって私は、介護らしい介護なんて何も日向にしてないんです。
毎日日向と一緒に居てあげる事も出来なかったし。
私が日向に介護してもらっていたと言ってもいい位でした。
日向…私ね、寂しいけど、心配はしていないよ。
穏やかなタビィままが居て、ちょっとばかり男勝りのねねお姉ちゃんも居て、びびりだけどちょびも一応お姉ちゃんだしね!
きっと末っ子日向を暖かく迎えて守ってくれてる。
虹の橋には、多くの優しい友達も居るね。
ありがとうね、日向。
あなたが教えてくれた大切な事。
大事に胸にしまって、また頑張って生きていくよ。
まだまだぼぉ~~っとひなたを想って呆けたり涙する日々だけど、時薬がいつか癒してくれる事でしょう。
お別れ。可愛いひーたん。
また、会おうねひーたん!
沢山のコメント頂いてるのに、お礼が遅くてごめんなさい。ゆっくりお返事させてくださいね。
ひとつずつ、大切にお返事したいです。お時間下さいね。
ひなたんを見送って4日が過ぎました。
2週間…あっと言う間の時間であり、柔らかく暖かな命とまた向き合う事の出来た優しい時間でもありました。
保護した当初、私は日向をブログで紹介する事を考えていませんでした。
(明日、いや今晩にもこの子の命は消えてしまうかもしれない…)
もう自力で立つ事も出来ない位、衰弱していたのです。
もしねねが「看取ってあげて」と私に託したのだとしたら、私がこの子の最後を見守ってあげよう。この子の事は私だけが知っていればいい。
そんな風に思ったのです。
今タビィ・ねね・ちょびを想う時、旅立ち直後に感じていた深遠の暗闇に何処までも落ち続けている様な悲しみは消え、亡くなったその瞬間をひたすら追いかけ頭の中で再生し続け涙する様な事も随分無くなりました。
この大地の上でのびのび過していた頃の姿を、自然に頭に浮かべる事も出来る様になりました。
が、あの子達を想う時「側に居て旅立ちを見守ってあげられなかった」という後悔はやっぱり今も自分の心の底にあり、時折それは顔を覗かせ【私はそれが出来なかった人間だ】ごめんねと、その気持ちがずっとあの日のままに続いていた事も事実です。
私はこの先、この後悔を更に大きなものにしたくない…。
もし私と出会う子が居たとしても、きっとまた看取ってあげる事が出来ない。だからこんな自分とは暮らさない方がその子の為だ。辿り着いた考えはそれでした。
なのに日向を始めて見た瞬間、その痩せた身体を撫でながら(もしかして、ねねが頼んだ?この子私に看取らせてくれるの?)何故かそう思ってしまったのです。
横たわって目を閉じ殆んど反応の無かった日向が、保護の翌日の朝には立ち上がってご飯をしっかり食べ、前夜寝かせていたキャリーからこたつへ居場所を自ら移動したのです。
明日はお休みだしずっと見守っていられる。このまま静かに旅立ちの時を…と勝手に悲壮な決意をしていた自分でしたが、あれ?って感じでした。
(これは、見守ってる場合じゃないんでないの~)
当初病院も迷っていたのです。ここがもし日向がやっと辿り着いた安心できる場所なら、そこを離れて余計な痛みや不安は与えたくない。此処で看取るって。
結局、午前の診療時間ぎりぎりで病院連れて行ってしまった訳ですが。
保護から2日目が3日目になり、4日が過ぎそれからの日向は私が少々びっくりするくらいの勢いで元気を取り戻していきました。
ドキドキ不安を感じながら仕事から帰って来たのは、初めの数日だけ。
先生の【長く生きられる子ではない】の言葉が、間違いだったのではないかと思うほど日に日に意思表示をしてくれるまでになってくれたのです。
(皆に知ってもらってもいいのかな…?)そんな風に思うようになっていました。
「ただいま~ひーたん♪」と部屋に入ると、おこたの座布団から立ち上がり待ちきれないようにダンボールトイレの縁にお顔をず~りずりこすり付けてご飯の催促。
薬を包んだお団子ご飯も気にせずぱくり。
「ひなたん、苦しくなるから途中でちょっと休みなさい!」と思わず声をかけてしまうくらいの食欲。
綺麗になったお皿を見ながら、私はいつも日向にお口のトラブルが無かった事を感謝しありがたいと思っていました。
ねねもちょびも、【食べる】事に苦しんだから。
初めはタビィの様に「サイレントみゃう」だと思っていましたが、段々可愛い声も出る様になりました。
日向とおでこをコッつんしながら「ここが日向のお家だよ、ずっと此処に居ていいんだよ、日向のお部屋はここだよ」と何度も話をしました。
そうすると、なんでか日向は必ず私の顎をカプッと噛んでくれたのです。
ちょっと痛くて幸せな私と日向のコミュニケーションでした。
毎夜、おこたの座布団に居る日向に「おやすみ、また明日ね」と声をかけながら(あぁ~一緒に寝たいなぁ~)の気持ちをひたすら抑えていた自分。
呼吸がしんどいだろうし、あのか細い身体に負担かかるかもしれないし…【ここおいで】の一言を何回も飲み込んで布団に入っていました。
1週間位経ったある夜、お腹の横あたりにふわふわの感触があって私はふと目が覚めました。
そこは一緒に寝る時、いつもちょびの指定席だった場所。
えっ?と思って…ゆっくり手触りを確かめてそこに眠っているのが日向だと分かりました。
暗闇の中、自分の顔がニンマリと緩むのを感じつつほこほことした眠りにまた落ちちていきました。
そして朝、同じ場所に居る日向に「おはよ~起きるよ~」と声をかけ一緒にお布団を出る幸せも。
旅立つ前夜も、気がつくとお布団の中に居た日向。
この間と同じ様に朝まで一緒に居て一緒に起きて…違っていたのは、大好きなご飯に顔をそむけた事。
その日お休みだった私は、わずかな胸騒ぎを覚えつつも(昨夜遅くに食べたし、少し飢餓感が落ち着いたのかな。いつでもご飯食べられるって分かったのかな)と自分を納得させてしまったのです。
そして夕方、その時は訪れてしまいました。
結果…日向をこの部屋から送り出す事は叶いませんでした。
今でも、あの時ぐったりした日向を抱いて車に乗った選択が間違っていたのではないかと考えてしまう自分が居ます。
あの振動と音が、日向を余計に苦しませてしまったのではないかと。
私の腕に手をかけたまま、大きく「ぐふぅ~」と最後の息を吐き出した日向に私はその時が来た事を教えられました。
「ひーたん!頑張れ!」そう声をかけながらも、(あぁ、逝くんだな…私の腕の中で逝くんだな…)そんな確信がありました。
病院に着いて先生に聴診器をあてて頂いた時には、日向の心臓はもう動きを止めていました。
日向…ひなちゃん…ひーたん。
縁側のぽかぽか日溜りの中で、うとうとまどろむ「お昼ね猫さん」みたいにこれからはずっとゆっくりのんびりした時間を過してほしい…そんな願いを込めた名前でした。
「その日」が来るのが遠くないと覚悟していても、もしかしたら半年、いや1年。
もしかしたら5年先かもしれない。そんな風に思える位、日向は苦しい顔を見せず甘えて食べて眠ってぎりぎりまで生きてくれました。
何が起きて日向の命を奪ったのか、ほんとの原因は分かりません。
それでもこの2週間が苦しいだけの日々で過ぎなかった事に感謝しています。
願わくば、春・夏・秋・冬 全部をひーたんと過してみたかったね。
ひーたんと過した14日間は、愛しい者と暮らす幸せをぎゅっと詰め込んだ濃密な時間でした。
もしかしたら、ねねやちょびが日向と相談して私に授けてくれた期限付きの時間だったのかもしれません。
だって私は、介護らしい介護なんて何も日向にしてないんです。
毎日日向と一緒に居てあげる事も出来なかったし。
私が日向に介護してもらっていたと言ってもいい位でした。
日向…私ね、寂しいけど、心配はしていないよ。
穏やかなタビィままが居て、ちょっとばかり男勝りのねねお姉ちゃんも居て、びびりだけどちょびも一応お姉ちゃんだしね!
きっと末っ子日向を暖かく迎えて守ってくれてる。
虹の橋には、多くの優しい友達も居るね。
ありがとうね、日向。
あなたが教えてくれた大切な事。
大事に胸にしまって、また頑張って生きていくよ。
まだまだぼぉ~~っとひなたを想って呆けたり涙する日々だけど、時薬がいつか癒してくれる事でしょう。
お別れ。可愛いひーたん。
また、会おうねひーたん!
沢山のコメント頂いてるのに、お礼が遅くてごめんなさい。ゆっくりお返事させてくださいね。
ひとつずつ、大切にお返事したいです。お時間下さいね。