聞けば響く話のフォーラム

リンガマ+と合わせて記事を書いています。

自分も無能の人なのだろうか

2005-11-15 13:24:43 | 経験と言葉
仕事を終えた夜にバタンキューしないときは、四畳半くらいしかない書斎で、あまり高くない赤ワインを飲みつつ、つげ義春の漫画をよく読む。中でもとくに読み返すことが多いのは、『無能の人』である。もう擦り切れてぼろぼろになりそうだ、本が。

第4話の「探石行」に出てくる次の一節が心にしみることだってある。ひなびた鉱泉宿の風呂場でかわされる主人公と家人の会話。

「虚無僧さんて虚無の僧なのかしら」

「仏教に虚無はないよ」

「由来はよく知らんけど 乞食みたいなものだろ」

「まあ一種の無用者だな」

「どうゆう意味?」

「高度資本主義社会に機能しない無用の存在ってわけだ」

「役立たずの無能の人なのね」

「ははは そうゆうことだな」

「あんたみたいじゃない!」

(注:二人は夕方に宿にやって来た虚無僧に「プオー」をやってもらったのである。映画では風吹ジュンが奥さん)


言い切るところが偉いではないか。「仏教に虚無はないよ」と。それに何だかつい自分のことを振り返ってしまうような風情の会話だ。家でばかり仕事していると、社会と本当につながっているのかどうか、市民として機能しているのかどうかわからなくなることもある。

ところでつい最近、少し自信をつけた。大好きな作家の一人の川上弘美さんが、『無能の人』をきちんと読んでいたのである。しかも嫌いではないらしい。「おれはとうとう石屋になってしまった ほかにどうするあてもなかったのだ」という主人公の気持ちから発展させて、「マイナーとうとう」という言葉も発明している。作家はこうでなくてはいけないのだろう。

たぶんこれからは、『ゆっくりさよならをとなえる』も隣に置いて、つげ義春の漫画を読み続けることになると思う。ワインは白にするかもしれない。

*『無能の人』(新潮文庫『無能の人・日の戯れ』に所収)
『マイナーとうとう』(新潮文庫『ゆっくりさよならをとなえる』に所収)
コメント (7)
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