筑後川で鯉釣りを復活して3年半になります。
ここで私の忘備録として、鯉釣りの回顧録を記してみたいと思います。
35年前(昭和後期から平成初期)この時期、筑後川をホームグランドに休みの度に鯉釣りをしてました。以前、記事にもしましたが、かなりハマってやってました。釣果は大したことありませんでしたが。
当時のスタイルは、とにかく多数の竿を並べて「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」的な釣り方でした。これが昭和鯉釣りの常識でした。
少ない竿の1本針ラセンのシンプルな仕掛けを使う鯉師は、尊敬する故山田勲氏くらいでした。
長いブランクを経て鯉釣りを復活して驚いたことは、鯉釣りスタイルの変化。餌の変化(ボイリーの普及)やロッドリール・情報量の多さ等々。
そこで昭和と令和の鯉釣りの変化を項目別に比較してみます。
◎竿
(昭和)
当時はカーボンロッドが高価でグラスロッド、又はカーボン含み率が少ないものが主流でした。
よって手元は太く重い扱いにくいものでした。
流行の先端は、磯竿5号の5.4m。
または山田氏が使用して絶賛されてた「ダイワサーフパワー」。これの3.6mや4.2mの短い竿。
関東の方では石鯛竿を使う鯉師もいましたが、何如せん高価だったので少数派でした。
鯉専用竿も延べ竿以外は殆どありませんでした。
竿の使用本数は5〜10本がスタンダード。
2〜3本の鯉師は非常に少なかった。
と言うより筑後にはいなかった。
(令和)
現在は鯉釣りスタイルが「ジャパニーズ」と「ユーロ」に大別されます。
まず現在のジャパニーズスタイルの主流は、鯉専用竿や石鯛竿。鯉専用竿は現在販売されているのは「ダイワ鯉専科」だけになってしまいました。よって中古で鯉専用竿を購入する鯉師が多いようです。
長さは5m超の長竿。
石鯛竿は現行品か中古品。「ダイワ幻覇王」などの高級品が使われてます。
竿の本数は2〜3本がスタンダード。
ユーロスタイルの竿は国内外から何種類も販売されてます。
長さは3.6mがメインで、硬さは3〜3.5ポンド。ちょっと見ジャパニーズ鯉竿に比べると華奢に見えますが、細身でもパワーがあり十分メーターともやり合えます。
3.6mを使い慣れると5.4mの長竿は重くて使いにくく感じます。
が、場所によっては長い方が有利な場合もあります。
◎竿受け
(昭和)
竿受けは竿をほぼ垂直に立てるアングルタイプが殆ど。
釣り場に着くと、先ずはアングルをトンカチで叩いて埋め込み場所を確保してました。「トンカチ音で鯉が逃げる」なんて言われてました。如何せん本数が多いので1人で数十メートル占領するのは当たり前でした。
(令和)
現在はアングルは少なくピトンやロッドポットが主流です。
ピトンはジャパニーズスタイルに多く、ロッドポットはユーロスタイルが使います。昭和との大きな違いは竿のセット角度。昭和はほぼ垂直で令和はほぼ水平です。
ピトンやロッドポットも市販品がたくさんあり手に入れることは容易です。
中には市販品顔負けの自作派もいます。
◎リール
(昭和)
当時は大型のスピニングリールが主流で、両軸派もいたが、外国製のアブガルシアはとても高価で、更に多竿だと何倍にも跳ね上がる。よって筑後川では見たことはなかった。
他に太鼓リールを使う鯉師も多かった。
そのまま使うとバックラッシュするので、ゴムでスプールを押さえる必要があった。
当時、ザ・フィッシングの番組で大分の鯉師がゴムは「かあちゃんのパンツのゴム」と言っていたのが忘れられないww。
それから当時のスピニングリールは巻くとカチカチと音がしていたが現在のスピニングはしないのに気づいた。
道糸はかなり太めの10号位が主流だったと思う。
(令和)
現在はジャパニーズスタイルは両軸派が多いように思う。
逆にユーロスタイルはスピニングが圧倒的に多い。
スピニングで頭に浮かぶのが「クイックドラグ」である。昭和には存在してなかったように思う。
クイックドラグとはドラグを90°回すだけで絞り緩めの調整が簡単に手早く出来る機能である。通常のスピニングドラグは2回転はしないと絞ったり緩めたり出来ない。
まあ、通常のスピニングでも問題はないのだが、一度クイックドラグを使うと手放せなくなってしまう。
本格的にユーロしている鯉師はクイックドラグが多数と思う。
両軸も昔ながらのアブガルシアも人気だが、他にも色々種類はあるようだ。
現在でも、あえて太鼓リールを使う鯉師も大分や筑後には多い。
ギア比を高めたものが主流だが、やはりあのクリック音がたまらなく他のリールは使えないと言う。
道糸はジャパニーズは太めで、ユーロは細く4号〜5号が多い。ユーロではポンド表記が一般的。
◎センサー
(昭和)
当時は市販の無線センサーはなかったと思う。腕に自信のある鯉師は玄関チャイムを利用して自作してる人もいたかもしれないが、筑後には存在してなかった。
鈴が当たり前の時代であった。
私は有線式のセンサーを自作して使っていた。と言っても各竿にスイッチを付け、あたりによってスイッチが入ると玄関チャイムが鳴るという簡単なもの。
有線を水道ホースのドラムに巻いて使ってました。その程度でも、鈴に比べれば遥かによかった。
(令和)
現在は、様々なセンサーが市販されて鈴を見かける方が少なくなった。
ジャパニーズスタイルは、「コムテック社」が主流で、ユーロスタイルはバイトアラームと言われるものが主流。
バイトアラームは種類が多く、安価なものから高価なものまで価格幅が広い。
有名なのは「デルキム」でセットで揃えると10万を超える。中華製は1万前後で色々あり安価でも十分使える。
このバイトアラームのセンサー連打音に魅せられた鯉師は多いだろう。
◎仕掛け
(昭和)
当時の主流は市販品6本針の吸い込み仕掛けであった。誰しもが一度は使ったことのある代物でしょう。魚はよく釣れたが、釣れるのは鮒などの小物。鯉狙いには外道として邪魔だった。
これの進化版が、当時筑後で流行った4本針仕掛け。これに食わせ4個のみで団子は付けない。
こんな時代に山田氏は1本針で自作ラセンをつけ食わせは小さな角芋。これを釣鐘状にした団子に埋める。
当時の鯉師は竿数で勝負だったので、1本針なんて頼りなく心配で使う鯉師はいなかった。仕掛けハリスは当時販売された「ケプラート」これの6号に伊勢12号を4本付けていた。
(令和)
現在はジャパニーズとユーロで大別されるが、数多くの仕掛けが存在する。
また市販品も数多い。
ジャパニーズで多いのは「袋仕掛け」や「
ボタン仕掛け」で団子と食わせの仕掛け。
食わせは芋やコーン。そして「ボイリー」
を使うと「ハイブリッド」と言われる。
ユーロはなんと言っても「ヘアリグ」である。これはユーロ独特な発案で食わせを針に直接付けず、針につけたヘアに食わせをつけ針をフリーにする。
これによって食わせが邪魔をせず針掛が良くなる仕組みである。
ジャパニーズの仕掛けでもよく見かける。
それからジャパニーズでは針に食わせをつけず発泡剤をつけて浮力をあげ吸い込みやすくする「空針発泡仕掛け」もメジャーになりつつある。この仕掛けは高橋名人が使われていることで有名である。
◎餌
(昭和)
当時は団子餌か食わせのみか。
団子は市販品や赤土や芋ねりを混ぜたものが主流。
食わせは各芋か芋羊羹が主流だった。
角芋はアルミホイルで巻きタコ糸で縛って何時間も煮た。芋羊羹は芋を裏ごしして蜂蜜や色んなものを入れて小麦粉で蒸し固めた。私も暇さえあれば作って、その度にガス代が上がると妻に小言を言われた。
当時は羊羹の中身を秘密にする鯉師が多かった。また羊羹は作りたてがいいとか、腐りかけがいいとか、干してカチカチにした方がいいとか、色んな意見があった。
どれもさほど変わらなかったと思う。
(令和)
現在は餌の種類は星の数ほど存在している。団子だけの吸込み、食わせ付きの団子、空針発泡と様々。
粉餌も市販品から自家製まで千差万別。
ただ昭和との大きな違いは「ボイリー」であろう。
私は鯉釣り復活まで「ボイリー」なるもの
を知らなかった。
皆さんご存知の通り「ボトム」「ワフター」「ポップアップ」と区別され、それぞれ「動物性」だの「植物性」だの、とにかく種類が多い。更に自作派もいるのですごい種類になる。
ユーロでは、ボイリーが食わせでPVAバックを使って寄せ餌にしたりする。
餌の昭和と令和の大きな違いは、断然ボイリーの存在である。
とにかくボイリーの特徴は餌持ちがいい。
昭和で干し芋を使うのは餌持ちががいいからである。じっくり攻めるには食わせの餌持ちが重要になる。
ボイリーは事前のフィーディングで、鯉にボイリーの味を覚えさせないと釣れないと聞くが、それは鯉に聞かないとわからないような気がする。
そもそも鯉は雑食なので何でも食べる。
例えばサツマイモ風味のボイリーならすぐ食いつくと思うが。
フィーディングはあくまでも鯉を寄せる作業と思う。
◎スタイル
(ジャパニーズスタイル)
昭和の時代は当然ジャパニーズスタイルなのだが、現在とは全く違うものである。
現在はかっこいいピトンに高価な鯉専用竿や石鯛竿に同軸リール。
センサーも付いて見た目もかっこいい。
どちらかと言うと、オーバースペック気味が多いと思う。
(ユーロスタイル)
ユーロスタイルとは、鯉釣りが盛んなヨーロッパでの鯉釣りスタイル。
このスタイルを日本に持ち込んだのは、ユーロカープの福安氏と認識している。
彼は私と同世代であるが、20代の頃から存在は認識していた。現在まで長い間鯉釣りに貢献されていることに頭が下がり、日本の鯉釣りスタイルが変わったことに感謝したい。
◎情報量
(昭和)
当時はとにかく鯉釣りに関する情報量が少なかった。海釣りやヘラブナなどの専門書籍はあったのに、鯉釣りは「川釣り入門」の一部にしか掲載がなかった。
そんな中、1990年代に「大ゴイ倶楽部」の書籍を発見したときは目を疑った。
当然、即座に購入して穴が開くほど熟読した。この書籍によって全国の鯉師がどんな鯉釣りをしているのかがリアルにわかった。
テレビも毎週チェックした。
毎土曜夕方に放映されている「ザ・フィッシング」も欠かさず見てた。私の記憶で鯉釣り特集は1度しかなかったと思う。
大分県日田市の三隈川の取材であった。
これもビデオに録画して擦り切れるほど観た。とにかく鯉釣りに関することに注力していた。ある時荒川の鯉釣りを納めたビデオが販売された。これも当然購入し現在も家にあると思う。
それから現場での情報交換であるが、とにかく秘密と誇大表現が多かった。
特に「〇〇橋の下で、こげな大きかとがあがった」と両手を広げてサイズを見せるが、ゆうにメーターオーバーのデカさww
それとか昨日のことのように話しているが、よくよく聞いてみると10年前のことだったとか。
当時はデジタル写真もなく、画像で鯉を残す鯉師は少なかった。私は20代だったのでカメラで撮影していたが、その都度プリントに出すのが面倒だった。
更に当時は釣った鯉は持ち帰って食べる鯉師が多かった。私は当時からキャッチ&リリースが当たり前で、リリースしていると「逃すくらいならくれんね」と言われたものである。
当時はとにかく情報に飢えていた。
(令和)
現在は何事でもそうであるがネットを開けば、色んな莫大な情報が手に入る。
SNSの発信も当たり前で、タイムリーにどんどん入ってくる。昭和との差に驚いてしまう。筑後の鯉釣り仲間もLINEで繋がっておりタイムリーな情報を共有している。仲間の釣果に刺激されモチベーションが上がったりする。
その反面、あまりにも情報が多くて初心者は逆に戸惑うかもしれない。
共感できる鯉師の真似から入るのがベターかと思う。
それからとても残念なのが「大ゴイ倶楽部」や「Carp fishing」が休刊になったことだ。コロナの影響もあったかもしれないが、ぜひ復活してほしいものである。
その為には鯉釣り人口の増加が必要不可欠だと思う。
◎今後の鯉釣り
現在、筑後川をベースに鯉釣りをしているわけだが、ふと周りを見渡すと、私を含めて還暦前後以上の中年老人ばかりである。
私が鯉釣りをしていた頃も中年以上が多かったが、今は当時以上かと思う。
逆に鯉釣りをしてるとよく見かけるのがバスマン。颯爽とボートを操るバスマンや、陸っぱりから狙うバスマン。
実によく見かける。
反面、鯉釣りは以前見かけた顔見知りがほとんど。
関東、大阪では若手のカープアングラーが登場しYouTubeでもよく見かける。
この殆どのカープアングラーはユーロスタイルである。還暦過ぎた私が見てもシステマティックで見た目もかっこいい。
タックルもそうだが、本場ヨーロッパのカープアングラーと同じようなファッション。
バスフィッシングはかっこよく見える?
だから多い?なんとも言えないがカッコから入る人間はたくさんいる。私もそうである。
個人的には鯉釣り人口が減っても、なんら困ることはないが、身近で体験できる鯉の強烈な引き、誰もが夢見るメーターオーバー!この「素晴らしき鯉釣り」を若い世代も体感して欲しい。
現在はネットで簡単に必要なタックルは手に入る。若干高価ではあるが中古品なども探せばいくらでもある。情報も簡単に手に入るので先ずは情報収集をはじめたら如何でしょう。
◎最後に
このブログ「鯉釣り三昧」は外部への発信と言うより、自分自身の「忘備録」として投稿してます。去年の今頃は何処でどのような釣果だったかなど参考にする為です。よってダラダラと長文を殴り書きましたが、私の記憶違いや、独断と偏見的内容があるかもしれませんがご容赦ください。
また筑後の鯉釣り仲間の皆さん、これからもよろしくお願いします。