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物流は世界史をどう変えたのか(玉木俊明著)

2018-05-26 17:54:23 | 本と雑誌
「物流は世界史をどう変えたのか」を読んだ。

章立ては以下の通りだ。

第一章 フェニキア人はなぜ地中海貿易で繁栄したのか
第二章 なぜ、東アジアはヨーロッパに先駆けて経済発展したのか
第三章 イスラーム王朝はいかにして国力を蓄積したのか
第四章 ヴァイキングはなぜハンザ同盟に敗れたか
第五章 なぜ中国は朝貢貿易により衰退したのか
第六章 地中海はなぜ衰退し、バルト海・北海沿岸諸国が台頭したのか
第七章 喜望峰ルートは、アジアと欧州の関係をどう変えたか
第八章 東インド会社は何をおこなったか
第九章 オランダはなぜ世界で最初のヘゲモニー国家になれたのか
第十章 パクス・ブリタニカはなぜ実現したのか
第十一章 国家なき民は世界史をどう変えたのか1-アルメニア人
第十二章 国家なき民は世界史をどう変えたのか2-セファルディム
第十三章 イギリスの「茶の文化」はいかにしてつくられたのか
第十四章 なぜイギリスで世界最初の工業化(産業革命)が生じたのか
第十五章 アメリカの「海上のフロンティア」とは
第十六章 一九世紀、なぜ西欧とアジアの経済力に大差がついたのか
第十七章 社会主義はなぜ衰退したのか

これだけ見てもなかなかおもしろそうだ。
例えば第一章の一番最初のページで、「フェニキア人は、しばしば、ユールラテス川上流に定住し内陸貿易を担ったアラム人と対比される」とある。
もう先に読み進められない。アラム人ってなに?となる。そこでWikipediaで調べてみる。
次の文章には、「アラム人がアラム文字を作り出し、それがヘブライ文字やアラビア文字、シリア文字などの元になったが、一方でフェニキア人はアルファベットの元を作った。」とあるので、Wikipediaで文字を調べてみる。こんなやり方じゃ全く先に進まない。
線文字Bが1952年にギリシャ文字に対比されて読み解かれていった話などこの本には書いていないことまでWikipediaで知ってしまう。
楽しい。
いわば勉強のためのきっかけを教えてくれる本なのだ。知らなかった単語が大量に書いてあり、つまづきながらも調べていく。それが楽しい。

第二章の中国のところでは、大月氏が私のイメージしていた場所よりもずっとカスピ海に近い地域の国なんだなぁとちょっとびっくりした。(P.44)

第三章ではダウ船ってなんだよ、という感じ。グジャラート商人とか知らないし。Wikipediaでみると有名なんだろうなあ、とおもう。すっかり知らないということがじつは恥ずかしいことなんだと理解。

第四章ではヴォルガ川を初めて知った(ごめんなさい)。Wikipedia情報で恐縮だが「モスクワとサンクトペテルブルクの中間にあるヴァルダイ丘陵の海抜225mを源流」としているようだ。3690kmの全長というものすごく長い川なのに、225mが源流の標高となるとどれだけなだらかなんだ、となる。ちなみに長さは世界15位。

第五章の中国関連では、マラッカ王国やら鄭和の艦隊の話、そしてイスラム教化の流れなどが語られているのだが、マラッカ王国とか知らないよね。調べましたとも。段々とイスラム教に変わっていく感じはちょっと意外。イスラム教について日本ではあまり喧伝されていないが、実は魅力的な宗教だということにならないだろうか。

イスラム教への改宗についても調べてしまった。キリスト教文化圏では許されていること(自由と平等など)がイスラム教圏では完全な自由がないために帰って自分の方向性を理解しやすいなどの利点を説明したサイトなどを閲覧。正直私自身がその境地に行けるとは思えないが、その気持ち(不便であるくらいに方向性が決まっている方が楽になるという気持ち)は理解出来ないでもない。

第六章ではバルト海への派遣の移動を説明しているが、森林資源などの枯渇が原因であるようだ。エーアソン海峡についての記述があったが、そういうのを調べていると、湾(バルト海なので湾というのは不適切だけどね)の出入り口が閉まってしまっている。おもったよりもバルト海ってとても大きな湖的な感じなんだな、と思った次第。

第七章でのアフォンソ・デ・アルブケルケやフレンシスコ・デ・アルメイダの話。知らないので調べたけど結構インドでやりたい放題やっているように見える。こういう人たちがポルトガルを強くしたんだろうなぁ。喜望峰ルートによってヨーロッパとインドやアジアとの結びつきが強くなったということは理解だけど、これが地中海ルートよりも便利だから(?)というのはちょっとわかりにくい。というかわかっていない。運河がなかったからかなぁ。

第八章の東インド会社については結局はアルメニア人とかポルトガル人の商人たちと連携できたところが国策会社だけではできないパワーを持っていたということになるのかなぁ。

第九章でオランダの強みを説明しているが、地中海が食料自足ができなくなりポーランド付近での穀物を海上ルートで運ぶ際に強みを発揮したということのようだ。だとしたらオランダが強くなったのは地中海での木材資源や食料資源の枯渇が原因となる。あまりオランダの特質を説明できていないように感じるな。

長くなるのでここからは抜粋で。。。

アルメニア人ってユダヤ人のようにあちこちに根付いているのだ、ということは知らなかったなぁ。

セファルディム(ユダヤ人の南の方の人たち)とか言葉を知らない。調べてみるとアシュケナジムという言葉と対比的に存在しており、いずれにせよユダヤ人だが南欧系とか北欧系とかの違いになるようだ。ちなみにアシュケナジムには天才が多数生まれている。すごいな。

この他にも色々と勉強になった。とても面白い本だった。













本好きの下克上読破

2017-04-02 09:01:51 | 本と雑誌
文庫本一冊の文字数は10~20万文字程度と言われているようですが、このジャンルの小説はやや1ページあたりの文字数が少ないので(つまりページが白い、改行が多いということでもあります)、10万文字程度だとしましょう。本好きの下克上は568万文字ですので、56冊分です。



「小説家になろう」で掲載していた人気小説です。本が大好きな女性が念願の大学図書館の司書として採用が決まっていたにも関わらず、大学卒業後すぐに死んでしまい、本のない(ほぼない)世界に転生するという話。



魔力が通常の人間よりも大幅に多いことから、イロイロと事件に巻き込まれますが、逆に魔力の多さはご都合主義的展開も可能としてしまいます。



本好きにも関わらずまわりに本がないため本を作ってしまおう。そのためには紙を作り印刷機を作り、、、とそこから作るのか、と感心しました。その方向での技術が転生後の世界にはまったくないために技術の積み上げをゼロからしていくことが求められます。その辺がこの小説の面白みであるといえるでしょう。



とはいっても主人公の「本が好き」という情熱は、その他の価値観を凌駕しており、周りの人間の常識とは違う行動を巻き起こしていきます。



主人公は圧倒的に体力がありません。ちょっと歩くだけで熱を出してしまいます。しかも貧乏な兵士の娘。そうなると生きているだけで大変でそれ以上のことなどできるはずもなく、そのまま寝たきりということになるはずなのですが、本好きの情熱で徐々に周りを巻き込み紙を作り始めます。資金もないため、商人と交渉して現代知識の一部をうまくマネタイズしていくことで、紙作りのための元手を蓄えていくあたりも快感。何も持たないはずの主人公が生前の現代知識を駆使して転生先の世界で「わらしべ長者」のように地歩を固めお金を貯め、本造りのために突き進んでいきます。



とは言っても計算高く立ち回るというのではありません。主人公は本(と家族)以外には全く無頓着で関心がなく、ギラギラ感がないために、立志伝中の人というイメージではなく、やはりわらしべ長者なのです。



読者はこの「わらしべ長者」感を楽しみます。主人公と一緒に転生後の世界の「常識」に驚きつつ、徐々に広がる影響力ややれること、やったことなどを見守っていき、一緒に成長していくことを楽しんでいくことができます。



この小説は文庫本56冊分と申し上げましたが、大変に長いです。いくら読んでもなくならない(私は読み終わってしまいましたが)のは逆に安心感でもあります。独特の世界観にいつでも埋没できる。まだまだ続きがある。そんな安心感。



途中で執筆に追いついてしまったため、「小説家になろう」で追加の発表があるたびに読み進めるという、まるで新聞小説を読んでいるかのような飢餓感の中で読みました。余計に愛着がわきますね。この小説は2013年9月23日から連載が始まり、2017年3月12日に最終話が発表になりました。私はなんだかんだで半年くらい前からぼちぼち読み始めて、1月くらいには連載と伴走をしながらの読書となりました。



技術の開発もそれを元にした商売の展開も面白かったのですが、ちょっとだけ難を言うとその膨大な魔力があることでのご都合主義的展開です。そんなに都合よく行かないでしょ、という場面がたまにあります。ハリウッド映画の勧善懲悪的なストーリー展開にも通じ、安定した安心感を与えますが、やや不満も残るというところでしょうか。ただ爽快感はありますので、いいといえばいいのですけどね。



下克上と謳っていますが、何か武力的に何かをするというわけではなく(いや、武力行使もするって言えばするけど)、本人の意志に関係なく転がり込んでくる、というストーリー展開となっており(だからこそわらしべ長者だというわけですが)、陰惨な感じはしません。



読了してしまったので、寂しい気持ちです。



以上






下流の宴

2013-02-02 22:35:29 | 本と雑誌
下流の宴を読んだ。

強烈な差別感を隠さない母親には多少辟易しましたが、娘にしてもタマちゃんにしても努力の方向性は全く違って履いてもその努力をしているという点において共感出来ました。その意味では件の母親にも努力の跡はあります。おばあちゃんも大変な努力家であるようです。

一方で翔くんに対してはどうしても共感できない。いや、いるんだろうとは思います。こういう子供が。努力してもねぇ。という人。そしてそういう生き方もありだよねぇ、と考えてしまう人たち。若者たち。

おじさんになったせいでしょうか、心配をしてしまうのです。このままでは例えば病気になったらどうするんだろう。たまたま失業したらどうするんだろうと。結局は生活保護を受けるのかなぁ。それとも親元に帰るのだろうか。そのままそっと餓死して死んでいくのだろうか。ギリギリまでなにもしないで最後には親元に帰るのだろうなぁ。そう考えてしまうこと自体全く理解していないといわれてしまうのでしょうが、でもどうしても考えてしまいます。

そしてその結果として結局は親元に帰るにしても、生活保護を受けるにしても、社会で生活している以上もうちょっと「頑張らないといけない」と思うのです。もちろん頑張ってもうまくいかないこともあるでしょう。その場合は生活保護も仕方ないのかもしれません。でもなにもしないで当然予測できるはずの病気や失業時に備えることをしないでそのまま生活保護を受けたら、それはやっぱり甘えでしょう。

さて、話を戻しますが、タマちゃんの真っ当な怒りとその努力と結果としての成果は、この小説を救いのあるものにする一方で、翔の体たらくを対照的に目立たせています。かれの勝手な理屈での珠ちゃんとの別離はまったくもって珠ちゃんにとっては理不尽なものです。まあ、その意味では彼女の努力は報われたのかどうか。彼女の目的が、当初はどうであれ次第に変わっていったとする翔の観察が正しければ珠ちゃんの努力は報われたのかもしれませんが。

可奈の生き方もある意味では見事。母親も一目置くように彼女の家庭での価値観には合致しているのでしょう。努力の方向はかなり気にいりませんが、それでも努力は努力。あちこちに母親に依存している考え方がちらほらして努力も大したものではありません。彼女が最後に夫について行かず自分の田舎に帰ってしまうのはいかがなものでしょうか。彼女の選択が自分の期待とは違ったものとなっても今から路線変更はできないのですから、その後のリカバリを考えるのが彼女らしいのではないかと思うのですが、そうではないのですねぇ。母親のところに帰ってしまう。結局彼女は母親からまだ真の意味で独立していないのかもしれません。それは母親の由美子がその母親に依存しているという関係性に相似形を示しており、滑稽な悲しみも感じる。




リトル・ブラザー

2013-02-02 16:18:13 | 本と雑誌
リトル・ブラザー コリイ・ドクトロウ著

テロ事件が発生し、そのテロに対抗するために市民の自由までも犠牲にし始める国家安全保障省(DHS)のやり過ぎに、巻き込まれた高校生ハッカーの物語。

そもそもどうしてDHSが暴走したのか、ということについてまったく記述されていない。9.11以降のDHSのあり方が共通の認識としてあるために不要なのだろうか。このDHS側の論理があまりにもぶっ飛んでいるために、いわゆる善玉悪玉二元論的、かつ勧善懲悪的なストーリー展開になってしまった。DHSが悪であり、こいつをぶっ飛ばせばなんでもOK!というわけだ。でもそりゃあんまりじゃないかなぁ。

セキュリティについて色々と書いてあり、その意味では面白い。公開鍵暗号方式の説明などわかっている人には回りくどいけどわかっていない人にはこれでわかるのかなぁ。個人的にはDNSシステムでp2p的な通信がサポートされるのかその辺がよくわからなかった。それに信頼の輪に当初からDHSが入り込む可能性は当然あったが、そこに対してあまりにも無防備なのか、はたまた防御をしていたことになっているもののDHSが簡単に敗れるというのが不自然だろうとか、思う。

不自然といえば、主人公は白人だからという理由で釈放されたようだが、ヴァンという女の子は韓国系というストーリーなのではないのだろうか。だとしたらどうして彼女も釈放されたのだろう。DHSが悪事を働く理由も一部の無実の人達を釈放しない理屈もさっぱりわからない。


絶望の国の幸福な若者たち

2012-09-15 19:49:58 | 本と雑誌
絶望の国の幸福な若者たちを読んだ。

大変不満だ。古市氏は既存の若者論を否定し、多様な若者像を描き出している。これはよし。一方で国家観についての薄っぺらな論理展開が納得出来ない。明治時代の「国家」構築についての論理展開は結論ありきでの展開に見える。古市氏はニッポンを連呼する連中を納得してないのだろう。そこに危険の予兆をみているのだろう。典型的な左翼的発想だろう。ニッポンがニッポンになったのは明治以降だというのは本当なのだろうか。またニッポン以外のナショナリズムについても考察が全くなされていない。ニッポンは明治時代の危機的状況の中で西洋からの攻勢の中で意識的に植えつけたものだとしても、他の国ではどうなのか。ナショナリズムが日本だけのものであるかのような、論理展開は全く納得ができないのである。

それに古市氏が指摘している国防でも他国が攻めてきたら逃げたらいいじゃない。というのは本当に機能する考え方なのだろうか。ナショナリズムが不要であるというために、言い過ぎているのではないだろうか。日本の若者にはWiiとPSPをあてがっておけば、それで幸せだ、という内向きで幸せな若者論に対して反対意見も言っていたはずだが。いや百歩譲って日本の若者は幸福な若者たちだとして、他国が占領した時に本当にそんな呑気なことがいえるのだろうか。そんなインフラがキープできるのだろうか。日本の若者は、決して貧乏ではない、という氏の指摘は私も同感だ。日本で言われる貧困はそれほどのものではない。しかし他国に占領された環境下でも現在の日本の貧困レベル(つまりは裕福という意味だが)がキープできるのだろうか。

若者論は実際には手垢がついており、すでに数十年も前から指摘されていることの反復であるという。それはそうなのかもしれない。つまりは若者異質論というのは常に年寄りはそう感じるものなのだ、ということだ。私はこれに同感である。一方で本書の最後の方では、一億総若者論を展開するにいたっては、「若者」というカテゴリーは存在していると考えているのか、存在していないと考えているのか、混乱を与えている。私は意味がわからなかった。

氏は若者というカテゴリーが存在しているかのような、そしてその若者たちは意外に幸福であるという結論なのかもしれないが、論理展開はそうは読めず、若者論を語っている様々な「印象」はデータから考えればそうでもないというのが、結論だったはずだ。

うーん。

少なくとも、個人的には「国の存在」に対しての価値認定の少なさに納得がいっていないのだろうと思う。民族や国家、文化に対しての考察をもっともっと丁寧に行なってもらわないと、このような乱暴な論理展開では、納得出来ないのである。

以上