すべては皇室に繋がっている

横浜の地主(不動産業)の娘が東久邇宮家の跡取りの結婚相手だった 昭和天皇も初孫の結婚を祝福 意外と知られていない地方の旧家の財力・人脈・政治力と血筋の良さ

旧宮家男子皇室入りの最有力候補に挙げられているのが、上皇陛下の長姉の成子内親王が嫁いだ東久邇宮家の子孫である東久邇家。

長男の信彦さんは2年前に病気で他界したが、男子男孫が居る。

そして、この男孫が悠仁様と年齢が近いらしい。


・天皇ご一家と最も血縁の近い旧宮家

・悠仁様に男子が出来なかった場合に必要な悠仁様より下の年代を確保出来そう

という事で強力に推している人達が多いが、一方の血筋については知られていない。


故東久邇信彦さんは2歳の時に皇籍を離脱した正真正銘の元皇族だった。

母成子内親王が若くして他界した後も祖父母の昭和天皇と香淳皇后と那須の御用邸で過ごす事があったという。

元皇族というだけでなく、天皇の初孫。

天皇の血を父系で受け継ぐ男系男子として皇位継承者が少なくなる危機的状況では真っ先に名前が挙がる存在と思われていたが、結婚は恋愛という事だった。

相手は信彦さんより2歳上、横浜で不動産業を営む島田家の4女。

出会いは大学時代に友人と訪れたハワイ。

この時代にハワイに行く20代の女性は資産家の娘だろう。



信彦さんは昭和20年生まれ。

大学時代なら昭和39年から42年。

海外旅行の自由化は昭和39年(1964年)4月1日である。


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海外渡航の自由化から1週間後の48日にJTBが主催した、ハワイ9日間「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」の旅行代金は、当時の国家国務員大卒初任給(19100円)の19倍という364000円。


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トラベルボイス

観光産業ニュース     より



街の不動産屋には、地元の地主が多い。

土地や建物を貸して収入を得ていた「大家」がその管理を専門の業者に委任するようになったのは戦後の事で、それ以前は自らその管理を行っていた。

だから、貸しビル貸し店舗の管理を行う管理業をそのまま家業にした大家が多かったのだ。

横浜市内に多くの土地建物を所有しているなら莫大な収入が得られる。



そもそも、地主とは江戸時代にはその地に住み着いた旧家。

戦国時代以前にその土地を所有し治めていた家から何らかの理由で土地を譲り受けた関係者である。

具体的に言うと、遥か昔からその地域に住み着いていた豪族や京から下ってきた皇族や貴族の末裔というのが定説だ。


代々その土地に暮らし、寺や神社、村の役職に就いてきた。

地域の事情に明るく知り合いや親戚が多い。



紀子様、信子様、久子様の3方は父方がいずれも地方の地主の家系。

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