すべては皇室に繋がっている

皇位を奪われた内親王親子の鎮魂の地「秋篠」 男系男子継承を潰すのは男系男子派⑹

兄の後に王位に就いた欧州の2人の次男達は、称号や位も皇太子に準じてかなり高かった。

王位に就くに相応しい称号や位でないと、皇太子の兄のスペアにはならない。


日本の皇室の場合はどうか。


まず、

ジョージ6世(エリザベス女王の父)は「ヨーク公」という爵位(称号)だった。

エドワード4世の即位前の爵位で即位の前例があった。

また、ヨークは大聖堂があり歴史的にも宗教的にも重要な地域である。


やはり兄の後を継いで国王となったベルギーのアルベール2世は、兄が子供に恵まれぬまま60代となっても、その爵位は変わらなかった。

「リエージュ公」

ドイツとフランスの間にある重要な地域。

教会をトップに教会の領地という形で長年独立した国を形成していた。

その昔の首都もリエージュと呼ぶ。



「秋篠宮」という宮号の由来の秋篠は、奈良県奈良市。

奈良市はリエージュ同様古都ではあるが。

なぜ秋篠という町名なのか。


光仁天皇が創建した秋篠寺がある。

井上内親王と他戸親王の祟りを恐れ、2人をしっかり弔う為に建立した寺だ。


光仁天皇は自分を呪ったという嫌疑で皇后の井上内親王とその子供で皇太子の他戸親王を廃后と廃太子にし、幽閉。

2人は幽閉先で命を落とした。

そして、新たに立てられた皇太子が後の桓武天皇。

百済王の末裔という高野新笠が産んだ子供であった。


その後、光仁天皇の家族親族関係者が次々と病に倒れ、

井上内親王と他戸親王の怨念ではないか・・・との噂が広がる。


井上内親王と他戸親王が光仁天皇を呪っているという話は出鱈目だった。

皇后と皇太子をその座から引きずり下ろす為の作り話。




光仁天皇は白壁王と言った。

天智天皇の孫だが、父親の志貴皇子共々有力な後ろ盾が無く、皇位継承とは無縁に思われた。

ところが、天智天皇の後を継いだ弟の天武天皇の血筋は子供の居ない女性天皇、孝謙天皇によって途絶えそうな状況。

孝謙天皇の異母妹の井上内親王が白壁王と結婚し、その子供が皇位に就けば、天智天皇と天武天皇両方の血筋。

白壁王は中継ぎという役割だった。

それが、

白壁王は即位すると皇位継承の根拠となった皇后と皇太子をあっさり廃后と廃太子にし、その命まで奪ってしまった。


光仁天皇が祟りを恐れて寺を建立した秋篠の地を宮号とするのは、どのような意図があっての事か。










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