笑顔&元気

パーキンソン病との暮らしの中で当たり前の笑顔と元気を忘れないように。 

特定疾患見送られました。

2006-12-29 | お知らせ

夏からお騒がせしてましたパーキンソン病が特定疾患から外れる話。
今回は見送られることになりました。

報道にあったように一度は対象より除外ということで決定しましたが、野党だけでなく自民党内部からも反対意見がでて、あっというまに経過措置として見送りということになったそうです。 (読売新聞

夏からのあの騒ぎはなんだったんでしょうね。

でも…この決定までには、多くのパーキンソン病患者が署名を集め、声を上げた結果だということ。そして未だ難病に指定されていない患者さんたちの多くが声を届けてくれたことを忘れてはいけないと思う。

私はこうしてブログに書くぐらいしかしていないけれど、患者でない人たちに病気のことをしってもらいたいという気持ちだけは伝えたいと思っています。
今回の報道のおかげで「パーキンソン病」という病名だけは少し宣伝できたかもしれないですね。

 

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夢に向って

2006-12-24 | つぶやき
お友達のブログに、松坂選手の言葉があった。

「夢という言葉は好きではない。「目標」としてやってきた」

~夢の叶った人がいうとかっこいい!

わがやには15歳と13歳の息子がいる。
長男は今年受験生。
何になりたいとか、何となくでも将来への展望がないのかと今年何度もはなしたのだけれど、なんとも希薄で短気な私はついつい怒ってしまう。

幼稚園の頃はディズニーの映画を作る人かピカソ!だったんだけどなぁ。

そんな具体的な「目標」でなくても、ぼんやりとした「夢」を見つけて欲しい。
そうしたらそこに向う「目標」もきっと見つかると思うから。

何かに「熱く」なってほしい。
「夢中になれる時間」を少しでいいから過ごして欲しい。

易きに流れるのでなく、頂を目指す「何か」を見つけて欲しい。

受験を通してそういうことを考える時間であって欲しいと思うのだけれど、現実は難しい。
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私とP病② もしもしと右手のけが

2006-12-24 | 病状&気になること
私は運動が苦手です。はっきり言って運痴。
球技やゲーム性のあるものは持ち前の性格からなんとかやってきたものの、走る、腹筋、マット運動というような基礎的な体力を使うことは一切だめです。
特に「走る!」
一生懸命走れば走るほど空回り。運動会に良い思い出がありません。
必死になればなるほど首が右側へ傾き、精一杯前後にふる右腕との姿がまるで電話をかけるようで、ついたあだなが「もしもし」。
私が走るとクラスの男子に「もしもし」とからかわれ辛かったなぁ。

握力も右側だけ以上に弱く、逆上がりや登り棒、運艇は苦手でよく落ちては右手首を骨折していましたね。
転んで手を突くのもいつも右手なので、右手のけがが絶え間なく続いていました。

その時は何も思わなかったけれど今思うとその頃から左右の体のバランスが悪かったのかもしれません。
美容院へいくと必ず美容士さんが頭が右に傾いていますよ~。
そういってはまっすぐ正面をみてください、といらだちながら首を直すのです。
私は意識していないのに、首が曲がっているといわれることはいろいろなシチュエーションでありました。

病気とは何も関係ないかもしれない。
でも今同じことが起きたらPDの症状といわれるでしょう。
私がいつからこの病気だったのかは永遠のテーマです。
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私とP病① 小さな文字

2006-12-23 | 病状&気になること

私の中にあるパーキンソン病。
大抵の医学書には、
50~70歳の発症がもっとも多いが、40歳以前の若年性パーキンソン病もある。
「振戦、筋硬直(強剛)、無動、姿勢保持障害」が四大症状。
 手のふるえ(手指振戦)で発症することがもっとも多く、次いで動作緩慢、歩行障害が初発症状な場合が多いが、言葉がもつれる、体が凝る、足がもつれる、といって来院することも少なくない。
なんて書いてあります。

少し私のパーキンソン病について振り返ってみようと思います。
私は病名がついて治療を開始したのは4年前でしたが、手の震えは20歳前から症状としてありました。
今になって思うともっと前から、子どもの頃からの不思議なことがどこかこの病気に関係があるのではないか、と思い、ここに残しておくことにしました。

「読みやすい大きな字を書きなさい。」

私の学生時代は丸文字とか漫画文字全盛期、今では信じられないようなユニークな文字を皆書いていたので、小文字もその1種として受け入れられ、学生時代はそんなに目立たなかったのですが、それでも私はいつも母に「大きな字」「大きな字」と言われていた気がします。

私が働きはじめた頃はまだワープロがやっと導入された頃で、それもフロアに1台とか所属部署に1台を皆で使うというような時代で、ワープロ専用機やパソコンを敬遠する多くの年配の男性の手書きの書類を女子社員が入力して清書するのがひと仕事で、今のように一人1台、連絡全てがメールやPCを使っての日常業務が当たり前の時代がくるなど信じられない頃でした。

年配の皆様の象形文字のような独特の字を解明出来ることは社内では特殊技能で、
「役員の○さんの字は*さんが解読できるとか、◇部長の字は**さんが得意よ」
なんて会話が通常行われていたので、私もワープロオペレータなんて、今では小学生でも当たり前に習得している技術で、まだ世の中になじみのなかった派遣会社に登録すれば普通のOLよりも高い給料をいただくことが出来たわけです。

文字が小さく、「大きな字」コンプレックスな私が皮肉にも悪字コンプレックスから未だに仕事を続けていけるというのも不思議ですが、この「小文字」が病状の一つであるということは20年たって始めて知ることになるわけです。

このように私の中では、今振り返るともしかしたらと思いながら、今や生活や性格の一部となってしまっていることが少なくありません。
子ども時代のことなので、いつからそのようになったのか覚えてないし、本当にこの病気が原因なのかもわかりません。それでも今になって振り返ると何かの因果関係があるのではないかと思う事がたくさんあります。

今、薬や治療法が出来て病名がわかったことは本当に有難いです。
子どもの頃からわかっていたら、妻となることも、母となることもなかったかもしれません。ただ、今振り返ることでこれからの病気とのつきあい方や、これから患者になる方が少しでも早く治療を開始してもらえたらいいな、そんな風に考えています。

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心にナイフをしのばせて

2006-12-20 | 本のこと
少し薬の種類を減らしたら、本が読めなくなってしまった。
読んでも読んでも頭に入ってこない。
記憶が続かない。少し活字を追うと疲れてしまう。
そんな症状が出てくるようになって、小さな頃から
「本さえ与えておけば機嫌がいいんだから」とか「読書量と速さだけは自慢出来るね」なんて言われた頃が嘘のようです。

それでも、出来るだけ本を読みたいと電車の中で読めるような内容の軽いエッセイや、持ち歩きに便利な文庫本を習慣のように持って歩いています。
そんな状態なので久々のハードカバー。

今から38年前に同級生を刺殺し、首を切り離したという現実の事件の話。

被害者加賀美君のお母さまと妹さんの取材を下敷きにご家族が事件後40年近く向き合うことの出来なかった現実をみつめるという形でストーリーは続いていきます。
息子の無残な事件に息子さんの死を受け入れられず心の病になってしまったお母さん。家族が兄の事件に苦しんでいる姿の中で家族の中の自分の存在をみつけられずにずっと苦しんでいた妹さん。
苦しみの中淡々と現実を受け止め耐え続けるお父さん。
皆がそれぞれ苦しみながら過ごしている40年の日々はどんなに重苦しいものだったのだろう。

そうして、取材を通して事件と向き合う中、加害者が弁護士となり地元の名士として社会の中で幸せに暮らしていることを知ってしまう。
賠償も謝罪もないまま、前科もなく「更生」というなのもとに暮らしている加害者
の存在と加害者からの鞭打つ気持ちの無い対応により傷つく母と娘。

筆者はこの現実を通して少年法について問題を投げかけているのだろう。

加害者にとっては忘れてしまいたい、なかったことにしたい過去なのであろうが、法律上そうだったとしてもそれがまかり通っていることに、違和感は拭い去れない。少年法の理念と現実の事件の温度差は解決されないのだろうか。

親族をなくした悲しみの中、民事の裁判を起こすだけの気力のある人がどれだけいるのであろうか。被害者の保護やその後の生活に関するフォローは現在はどうなっているのだろうか。

偶然、事件が起きた場所は息子達を生み育てた場所に程近い。
友人たちの多くが舞台の学校の付属幼稚園に通っていた。思い出がいっぱいのあの町でこんな悲惨な事件があったなんて。

長男が小学校にあがる年に神戸の酒鬼薔薇事件が起きた。
初めて入学した学校で当時まだ知識のなかった学級崩壊クラス。
現代のわが子がいつ被害者になっても加害者になっても不思議のない危うい学校生活に不安を覚えながら、事件の報道に目が離せなかった
今でも少年Aの行く末は気になる。

息子達が平穏で私たちと笑っていることが普通でないのだなぁ、いつまでも息子達と笑って過ごせるように祈ることしか出来ないけれど、被害者になっても加害者になっても一生背負わなければいけないことの大きさに心の痛んだ一冊でした。
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牡蠣の恨み

2006-12-19 | つぶやき
世間で猛威をふるっている「ノロウィルス」

わが家にもやってまいりました。

先週、夫とふと入ったファミレスで夫の静止もきかず食べた「牡蠣のパスタ」
その日の夜から私が嘔吐。
2日ずつずらして、義母、次男、長男、夫。

長男は模擬試験会場で発熱し夫が迎えに行くことに。

最後に症状の出ている夫は抵抗力が落ちているので一番症状が重いようです。

「牡蠣のパスタ」は辞めろっていったのに。
戦犯は私ということになっている。

世間でこれだけ流行っているのだから牡蠣のせいでもないだろうに。
でも、意地汚く我慢できなかった私の意思の弱さも確かで…。

当分牡蠣のパスタは自粛します。
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今年の手帳

2006-12-15 | お知らせ

文房具好きなんです。特に手帳好き!
毎年この季節になると新しい年の手帳を準備するのが楽しみです。
最近は10月ぐらいから店頭に並ぶのですが、10月から買ってしまうと毎年後半3ヶ月の記入がなくなってしまうので11月中旬すぎ、それも品切れにならない頃合いに気に入ったものを見つけています。
今年はあわただしく探しにいけなかったので、ネットショップをまわって新しいものを購入しました。
これもまた新しい発見があって楽しい時間でした。
手帳で幸せになれるなんて本当に安上がりな私。
今年も2冊用意しました。
1冊は

     

来年は仕事も少しがんばらなくては、会社でも浮かない黒を選びました。
それでもこの青いゴムがワンポイントにおちゃめなので私的には今年の一押しです。マンスリーページが横型なのが使いやすそう…。
私のこだわり数点。サイズはA5!
 持ち運びにはもう一回り小さいサイズがよいのですが、A5サイズはA4書類が二つ折りでちょうどよいのでどうしても変えられません。
それとこのゴム!
今年は別会社のものを使っていましたが、ここ数年このページを押さえるゴムが優れもので、チョイスの決め手になっています。
投函しなければならない封筒や、コンビニの支払い伝票などその日に忘れてはならないものを手帳にはさんでゴムでとめておけば、いやおうでも目に付くのでかばんに入れたままポストへ入れ忘れるということも少なくなりました。
マンスリーのほかにウィークリーの書き込みは仕事のこと、学校のこと、少し内容が多いものを極力書き留めるようにしています。

もう1冊は毎年恒例の「ほぼ日手帳」
     

毎年、来年は中身だけを取り替えようと思うのですが、今年も新作のファブリック調プリントに釘付けとなり思わずクリックしてしまいました。

「ほぼ日手帳」は24時間管理が出来るので、病状や薬の効果や体調の変化、毎日の日記のように思いつくまま記入しています。
今年はいづみちゃん提唱の"ラッキー&Wish手帳"も「ほぼ日手帳」で活用しようと思います。
毎年1月から2月はぎっしり。4月はこどもの学校の年間行事を記入して、6月ぐらいに中だるみするのですが今年はラッキー&wishリストを充実させるよう、1年通じて活用していきたいと思っています。

鬼も笑うというけれど新しい年のことを考えているとうきうきします。
新年は12月の助走が一番心ひきしまる時かもしれません。

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まじめにパーキンソン病について-2

2006-12-14 | 病状&気になること
-1(つづく…)と書いてしまったので、続けなくては…

実は以前のブログは1ヵ月毎の受診の度、前回からの症状を伝えなくてはならずその忘備録として日常の出来事を残しておこうと始めました。
足掛け3年続けたけれど、病状やその心情を書くということは時に自分では消化出来ない事や家族のことも書く事が多くなり、言葉で伝える努力をせずにブログに書くことで大事なことを見失いそうだったり、同じ患者さんの中には一人一人違う症状や地域によって違う医療や福祉サービスの中でマイナスな感情をもたれることも多いようで、そういうなんだかんだに疲れて、ここに再開した時には極力ネガティブなことは書かずに自分の日常のことを綴っていこうと思ったのです。
Mimは病気のことを見ないで、虚像ばかりというご意見もありましたが、P病で何も出来ない時間の私も、料理をし、家族や友人たちと楽しい時間を過ごしている私も偽りのない私なのです。

病名を宣告されて4年。
病状は高校生ぐらいから自覚がありましたからすでに20年選手のP病患者です。
「進行が遅かったのね。」「軽いのね。」と声をかけてくださる方もいます。
20年病気と向き合っている方とじっくりお話したことがないので、人と比べてどうだかはわかりませんが、病名を告げられて真っ暗になった時期をすぎ、3年が過ぎた頃から病気を客観的に見られるようになってきたように思います。

今でも仕事もしています。
家族のサポートと片目(いや両目かも…)をつぶってもらって家事をしたり、妻も母もさせてもらっています。
それだけでも幸せだと思えるようになったのはP病のおかげです。

偽善でなく今生きていること、家族と一緒にいること、動けること、歩けること、たまに友人と会い短い時間でも話をして、おいしいものが食べられること、そういう当たり前の事がきらきらと輝いて見えるようになったのは病気になってはじめて当たり前ではないと思えた出来事です。
歩けなくなったから普通の道路は平らでないことに気づいたり、カートに乗るようになって元気な頃は安全だと思っていた歩道の段差をうらめしくおもったり、今までと違う視線に気づくようになりました。

出来ない事がたくさんあるので、頭をさげることも少しずつ出来るようになってきました。震えたり、固まったり、表情のなくなる顔を恥ずかしいと思ったこともあったけれど、今はそういう自分も少し認めて、出来ない事を考えるより出来ることを大切にしていこうと思っています。
そのためには少しずつ「病気の私」も綴っていかなくてはいけないのかもしれません。

昨夜私はヤール4で今回の特定疾患から外されない病状にあると書きながら、元気で楽しいことばかり書いているというのは誤解があるのではないかとずっと思いながら、今夜はこんなことをつぶやいてみました。
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まじめにパーキンソン病について-1

2006-12-12 | 病状&気になること
今日のニュース。
夏の報道から話題になっていた通り、パーキンソン病が特定疾患から外される事が決定しました。
正しくはパーキンソン病患者のうちヤール3までの患者さんが今まで特定疾患患者として受けていた公費助成がうけられなくなるのです。
現在のP病患者の1/2がこのヤール。

ヤールとはパーキンソン病患者の重症度の分類です。
かなり乱暴な表現ですが、通常パーキンソン病は片方の手や足の振るえや動きにくさに気づいて治療を開始することが一般的です。ここがヤール1
その後、手、足…そして片方(右或いは左)の体全体の自由がだんだんきかなくなったり、左右両方に広がって何らかの歩行障害が出てくるのがヤール2.
医師の診断にはもっと詳細な確認方法があるのだろうけれど、私はこんな風にりかいしています。

そして、ヤール3。
いよいよ生活に支障をきたすのがこのヤールだと思うのですが…
症状が両方の手足にみられ、典型的な前屈姿勢、小刻み歩行がみられる。日常生活は自立しているが、職種の変更などかなりの制約をうけている。

これって服薬して生活しているときの状態。

薬を飲んでいても、日常生活の自立、通常通り仕事が続けられない状態です。
ですから多くの患者さんはこのヤール3「生活の自立、職種の継続」を維持するために多くの薬を飲んで治療を続けています。
どうにかヤール2まで、生活の維持が出来る症状を基準に薬の調整もしているのではないかと思います。その患者さんの多くが公費助成を受けられなくなるのです。

パーキンソン病はそれでも現状では完治することはないのです。
今、新しい薬が次々と出ているそうです。
これからも海外では標準となっている薬がやっと日本で認証されると聞いています。新しい薬、新しい治療法が唯一の救いの病気です。
でも、この薬が高い。
例えば多くの患者さんが飲んでいるドーパミンアゴニスト
 カバサール   1mg  1錠 388.90円 (3割負担116円)
 ビ・シフロール 0.5mg 1錠 204.50円 (3割負担61円)

これは1錠の値段です。
以前カバサールを飲んでいたときには食事のたびに100円だね、と笑っていましたが笑ってらいれません。大抵の患者さんは数種の薬を飲んでいるので、月に3万~5万円の薬代がかかります。

これからは薬代を気にして、薬を変えることも出来ず、ヤール3以上に突入してしまう患者さんがふえるのかなぁ。
80歳まで生きてこの薬を飲み続けると1500万円と試算してくれる人もいました。
はぁ~(大きなため息)
1500万円あったらいろんなことが出来るだろうなぁ。

この国はどこへいくのでしょう…(続く)

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真っ赤だな

2006-12-11 | つぶやき

♪真っ赤だな、もみじの葉っぱも真っ赤だな♪
わがやの庭から見える風景。今年はなかなか赤くならないなぁ、というか気がつかなかった窓の外。
今日久しぶりに外を見上げたら、葉っぱが深い赤に紅葉していて綺麗だったので思わずパチリ!

これからは、だんだんと葉がおちて、霜がはるようになるし、雪がふったら息子達が又雪ダルマ作ってくれるかなぁ。

なかなか窓開けて空気吸うぞーって元気がある時ばかりではないのだけれど、たまには風で季節を感じたりや青い空を見上げたりしなくちゃね。

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