思春期迎える息子もだんだん難しくなってきて、それでなくても少ない会話の中で日々変わる病状をどう伝えていったらよいものかと苦慮しています。
今出来た事が突然出来なくなったり、さっき出来なかったことが薬が効いてくれば簡単に出来てしまったりサポートするほうも混乱するみたいです。
わがやは夫の両親、夫、私と家族が順番に病気を抱えることになったので子どもたちは小さな頃から、否応なく病気を抱える家族との暮らしの中にあり、時に我慢をしたりあきらめたり、親を助けなくてはならないことも多く、優しい子に育ってくれてはいますが、子どもにしたらつらいことも普通の友達と同じように叶わないこともたくさんあるに違いありません。
わがやでは子どもたちに対して親として、子どもに包み隠さず話してきました。他に方法が見つからなかったのです。それが最良の選択かはわかりません。
きっとずっと迷いながら暮らしていくのだと思うのです。
家族の中で最初に義母が倒れたとき当時2歳で大のおばあちゃんっ子だった息子は祖母と二人で洗面所にいた時に目の前で祖母が嘔吐し倒れたことがショックで、その後不安定な時期がありました。
手を洗っているときに倒れたせいか救急車の音をきいては手を洗わずにはいられなかったり、その行為は随分私を心配させました。
義母が生死の境をさまよっていた頃、私は息子にたくさんの機器につながれた義母に会わせることを躊躇しましたが、夫は迷わず母の病室に息子をつれて入きました。
病室に入った息子は少しの時間固まっていましたが、ふと気づくと義母の手を握って「おばぁちゃん、起きて…」そう話かけていました。
その日から息子は手を洗わなくなりました。
私は大人の下手な計らいよりも、嘘のない現実ほどストレートに子どもの心に
響くことがないことをその時知りました。
少なくともうちの息子はそう受け止めてくれました。
それ以来、どこまで理解しているかはわからないけれど、出来るだけ隠すことなく
伝えてきました。私の病気のメカニズムも、この病気は現代の治療では直らないことも、進行性の病気なのでこれからも悪くなるであろうことも全て話しています。
なかには驚く人もいるけれど、私には隠して笑顔をとりつくるだけの余裕もなく、子どもの年齢にあわせて理解してもらえる言葉も見つけることが出来ません。
自分自身もよくわからないのですから…。
時間がたてば治る病気なら不安にならないよう隠すことも出来たかもしれないけど、私にはその選択はありませんでした。
子どもは子どもの年齢なりに理解できる量の分だけ受け止めてくれると信じて
話します。
病気を取り上げた番組があれば一緒にテレビやビデオをみる。
わかりやすい冊子をみつけては話題にする。一方的にこちらが話せることを一生懸命話しています。
息子を信じて伝えられることを伝え、その上で不安や疑問が出てきたら無理強いすることなくそれを一緒にに受け止めていきたいと思います。
それしか出来ないのですが…。
今日も炒め物の出来ない母の隣で次男が野菜を炒めてくれました。
私は野菜を切りながら来週の運動会の様子を聞き、最近聞かせてもらえない学校の話を少しずつ聞かせてもらっています。
そういう共有の時間を少しでももつことでつながっていけるならそれが貴重な時間になると信じて…。そういう時間が持てなくなった時にはその時にまた悩みたいと思います。